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僕にとっての唐十郎さんとは

誰かが亡くなった時に、SNSで何かコメントを投稿するのは、なんかこうすごく烏滸がましく感じがちで。
思い入れの強い人であればあるほど、主観が入ってしまって自分語りになっていくその手触りの気持ち悪さ、みたいなことを感じてしまうし、そう言う場合自分よりもずっとその方と深く付き合っていた人のことも知っているから余計に烏滸がましく、基本的にはスルーしているのだけど、今朝ニュースを見ての心の揺らぎが思った以上だったので、自分のためにちゃんと言葉にしないといけないなぁと思う。

僕は唐さんが教授として教鞭を取っていた、横浜国立大学のゼミ生から生まれた劇団「劇団唐ゼミ☆」の初の唐さん書き下ろし作品「木馬の鼻」を学内でのプレ公演で観て衝撃を受け、そのまま入団しそれまでまるで考えてもいなかった演劇活動をスタートさせ、わかりやすく人生を変えられたわけなのだけど、「本来の状態の唐さん」にお会いしたことは一度もない。

ニュースでもあるとおり、2012年、ちょうど僕が「木馬の鼻」を観た時くらいのタイミングでの転倒事故以降体調を崩されていて、それ以降何回か公演に来られるタイミングもあったが、先輩劇団員や、唐さんを横国の教授に呼び込んだ、僕の学科の長だった室井教授から伝えきくお話の中での唐さんとは大きく違う姿ではあった。

アングラ黎明期の60年代の話はもちろん、入団時には僕にとってもうすっかり"大人の劇団"だった唐ゼミの立ち上げからのさまざまな公演での血気盛んな逸話、僕は絶対にこういう人生は歩めないな…という人とのたくさんの出会いなど、当たり前ではあるのだけど、自分が経験できなかったことを一生懸命追体験しようとするのが僕にとってのアングラ演劇だと思っている。
その中でも特に、いろんな人から伝えきいたり、状況劇場の脚本を読み解く中で垣間見える、ほとばしるパワーと人を惹きつける愛嬌を持った唐さんの輪郭に、公演に参加するなかで少しでも触れられた時に、すごく喜びを感じつつ、同様に少しそれを知らないコンプレックスというか、寂しさも感じていたんだなぁと思う。

ちょっと綺麗に書きすぎている気もするし、結局劇団は中途半端な感じで就職のために3年で辞めているので、それこそ僕よりもずっとずっと関わりが深い人が山のようにいるので心底烏滸がましいなとも思っている。
それでも、その後数年ぶりに出演させてもらった「唐版 風の又三郎」では僕なりに成長した姿で、千秋楽に唐さんの前に立つことができてすごく嬉しかった。
※本当に余談だが、千秋楽のラストの借景の仕掛け前に、舞台上のセットの固定が外れておらず、テント幕が開く時にきちんと倒れないことに袖から気付き、「唐さんに中途半端なもんは見せられん」と黒いカッパを着て、テントが開いてお客さんの視線が上に向くその瞬間にバレないように舞台上に高速ほふく前進で飛び込んで、無理やりセットを動かして事なきを得たあの瞬間、人生で屈指の”いい仕事”だったと思ってる。
あと今年3月に出演させてもらった「鐵仮面」では劇団員の時に何回も映像で見てた唐ゼミ初演時の、池袋西口公園での借景での炎の演出とはまた違う、新しい公演の歯車の1つになれたり、作品に触れたり参加するたびに自分の現在地や成長が新たに実感できる原点では間違いなくあるんだなと思っている。

なのでなんというか、憧れというより、”絶対に手の届かない、実体も良くわからない、心に残り続けるもの”として唐さんの存在は僕の中にあり続けるんだろうな、とここまで書いていて整理できました。
心からの感謝と尊敬と、ご冥福をお祈りします。

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