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楽器正宗 本醸造 中取り

商品名:楽器正宗 本醸造 中取り
酒蔵:合名会社 大木代吉本店(福島県矢吹町)
代表者:大木雄太氏
原材料:夢の香
アルコール度数:16度
日本酒度:±0

すみません。福島が続いています。そりゃそうです。年末年始で福島遠征で仕入れしておりますので。今回は福島県矢吹町のお酒です。我々、福島県民は矢吹がどこなのかパッとわかりますが、県外の方はイメージしにくいと思います。ゆえに、楽器は「白河」の日本酒だ、と思っている人も多い。が、実際は矢吹。白河と矢吹は全然違います。地理的には、郡山と白河の間にあり、白河寄り、白河市と矢吹は隣接しています。矢吹から北にいくと鏡石、須賀川、そして郡山というロケーションです。正直、この矢吹という土地は雪がふるわけでもなく、水に恵まれているわけでもなく、場所的に何となく中途半端なです。しかしながら、楽器という全国区の日本酒を世に出す大木代吉本店さんは歴史ある酒蔵です。

創業は慶応元年、慶応元年といえば、アメリカでは南北戦争、そして日本では武市半平太が亡くなった年です。武市半平太は土佐の下士で、土佐勤王党中枢の人物です。坂本龍馬も生きていた時代です。そんな激動の年に、大木代吉本店が誕生。社名は創業者の名前です。そして現在の代表者も大木氏なので、159年もの間、事業を継承し続けている酒蔵です。

代表の大木氏は、2007年に代表に就任し、現在55歳。王道の東京農業大学を卒業後、醸造試験場で働き、その後、大木代吉本店にて就業というご経歴。つまり、自分が会社を継ぐことを前提に大学を選び醸造を学んだ、ということ。それだけで立派ですよね。正直、大学進学時点で自分が何になるのか全くわからない人がほとんどで、大学進学時点で明確な目的がある人は強いな、と思う。

さて、なぜ商品名が楽器なのか?について。これはHPの情報をそのまま転載する。

明治期より矢吹が原周辺は、御料地が多く点在し渡り鳥が飛来する御猟場として皇族や軍人が頻繁に訪れていました。

『楽器正宗』の名前は、大正年間二代目代吉の時、朝香宮様が当地を来訪した際、大木代吉本店の酒を所望され大変気に入り、その時随行していた宮内庁の雅楽師で君が代の作曲者とされる奥好義(おく よしいさ)が「酒造りも楽器を奏でることも、元は同じく神様への捧げ物」と言われたことに由来しています。二代目代吉は、醤油屋から分家したこの酒蔵を発展させ、酒造りでも既成概念を打ち破る斬新なアイデアで大木代吉本店の基礎を作りました。

『楽器正宗』は、そんな二代目代吉の志を受け継ぐ醸造文化を進化した酒です。華やかで香味に優れた淡麗な本醸造。ジューシーで甘さと酸味のバランスに優れた芳醇な純米酒。ひとりで飲むもよし、仲間と楽しみながら飲むもよし、魚にも肉にもよく合い毎日飲んでも飲み飽きない、好みの曲を聞くように暮らしに潤いを与えてくれる酒です。

https://www.daikichi-sizengo.co.jp/%E6%A5%BD%E5%99%A8%E6%AD%A3%E5%AE%97/


何と、君が代を作曲した偉大なる音楽家の言葉だったんですね。ただ、その偉大な音楽家がなぜ大木代吉本店の日本酒を気に入ったのか?だって、当時の矢吹町は土地的にはかなり荒れた場所だ。大久保利通の安積開拓という言葉を知っている人もいると思うが、郡山ですら緑も水もない荒れた土地だったのだ。そんな場所でどうやって日本酒を造ったのか?

もちろん、後に郡山も猪苗代というから水を引っ張ることで、開拓が進んで、郡山でたくさん作物(稲作)を創れるようになった。矢吹町も例外ではなく、同じように先人達が開拓した土地なのだ。そこで日本酒を造り続けた大木代吉本店の力とは、すなわち、環境に恵まれなかったからこそ、今の技術があるのではないか、と感じる。そりゃ、会津の酒は美味しいに決まっている。それは環境が良いからだ。しかし、矢吹で良い日本酒を造る、というのは簡単ではなかったはずだ。そして、150年以上続いていて、さらに楽器ブランドは全国区なのだ。

当然ながら、楽器正宗は誰が飲んでも外さない。絶対の美味い。そんなお酒。だからこそ、福島に仕入れにいったら絶対に楽器は買う。そして、楽器を愛する皆さんに言いたい。楽器は白河市のお酒ではなく矢吹町である、ということを。

合掌


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