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新潟で会社を作りました

こんばんは、ナオと申します。

この度、3年8ヶ月の台湾生活を終え、日本へ帰ってまいりました。

いやー長かった。

次の道も決まったので、今回は僕の過去のキャリアを振り返りながら、最後にこれからの話をして締めたいと思います。

社会を舐めたクソガキ 長野1年目

僕のキャリアは、富士通マーケティング:略称FJM(現 富士通ジャパン:略称FJJ)という会社の総合職からスタートしました。

就職した理由は、富士通の名前が入ってるから安定しているだろう。です。

当時の僕は定年まで適当に暮らしていければ良いと思ってました。

なので正直な話、仕事中も飛び込み営業という名目で温泉行ってました。

長野ICから車で5〜10分頃にあるまきばの湯はおすすめです。
露天風呂からの眺めが絶景で、湯加減も丁度いいです。

突然芽生えた未来志向、海外行きを決意する 長野生活2年目

サボり続けて1年が過ぎた頃、僕の心に変化が起きました。

なんか最近つまんねぇなぁ。

と。

仕事飽きました。

でも何やろうかなってずっと考えてました。

考えても正直何も出てこず、しばらくダラダラしていたのですが、ある日突然僕の死ぬ時の姿が見えました。

僕は病院のベッドに横たわっていて、もう死にそう。
そして、ベッドの横には2人の僕の子供がいる。
子供が僕に残した最後の言葉は「この人がお父さんで良かった。」という言葉。

この姿を見て「僕は良いお父さんにならないと」と強く思いました。
※28歳現在、子供はいません。

ちなみに、僕にとっての良いという定義は、常に子供と共に成長し、子供が悩んだ時に力強く導いてあげられる人が良いお父さんの定義だと考えてます。

この視点から何をすべきかを考えた結果

環境・業種・会社規模全て変えてやろうと思い、台湾・広告代理店・ベンチャーだったカプセルジャパンに転職をすることとなりました。

ポンコツ社員 台湾生活1年目

当時24歳、中国語も分からずに台湾に乗り込んだ僕は文字通り地獄を見ました。

台湾赴任1・2週間、会議でのワンシーン
社長「中国語で会話」
台湾人スタッフ「中国語で会話」
僕「・・・」
社長「分からない所はあった?」
僕「ん〜・・・」
社長「分からない所があるなら全部聞けよ!」
僕「はい、すみません、、、」

今となっては笑い話ですが、当時は無茶苦茶ビビってました。
当時は仕事をどう成功させるか、というよりも、どうすれば怒られないか。しか考えてなかったです。

怒られないように仕事するって今の僕からしたら一番やっちゃいけないことなんですけどね。

でも、怒られたくなさすぎて、半年ぐらいで中国語が喋れるようになりました。

これは今でも僕の財産だし、もし当時日本語でも仕事ができてしまう環境にいたら、今でも中国語を喋ることができない自信があります。
何故なら、日本語喋れる台湾人スタッフが近くにいる人は、大体カタコトだったりするのを見てきたので。

これは余談ですが、台湾来たばかりの頃は、仕事のPCをどこかに置き忘れるみたいなことが3回ぐらいあって、社長と副社長を随分と困らせました。

当時副社長からは、「今までで一番失敗した採用だ」とまで言われる程です。

社会の本当の厳しさを知ったのがこのタイミングです。

なんて僕は無力なんだと。

ただ、一方で、この地獄は財産になるとも思っていました。

振り返って考えてもやはりこの台湾に来て最初の1年は、間違いない経験をしたと思います。

仕事したくない、やりがいも面白みもない 台湾生活2年目

ベンチャー企業という環境は変化が速すぎて、気付いたら部下がいるなんてこともよくありました。

当時、2人僕の下についた部下がいますが、どちらも数ヶ月で辞めてしまいました。

どちらも理由は

「僕と仕事をしたくないから」

非常に落ち込みました。

事実を受け入れられなかったから、心の中でも言い訳してました。

僕のせいじゃないし。相手の能力不足だし。と。

結果、心から仕事したくないって思いました。

僕だって好きでやってるわけじゃないし、辞めたいのはこっちだわ!!

みたいにずーーーーっと考えてました。

副社長からも「ナオキが悪い。」と言われるし。

誰も僕の気持ち分かってくれんやん!!!!!って感じでした。

仕事のやりがいを理解する 台湾生活3年目

転機になったのは、2019年1月を過ぎた頃。

他人からの反発していた僕も、この時期は過去の失敗を潔く認め、どうすれば自分が変われるのかを考えていました。

僕が決めたことは、
・目の前のクライアントに集中する。
・仲間を大事にする。

シンプルかつ、基本なことですが、この2つが一番効きました。

信頼できる仲間も増え、お客様から温かい言葉も沢山頂きました。

ネットで「営業職 やりがい」なんて調べると、営業のやりがいはお客様から感謝の言葉を直接いただけること。なんていう言葉がありますが、ほんとにその通りなんだな。って思いました。

ネクストキャリア 台湾4年目

社内外からも評価頂き、やりがいのある環境でしたが、一方で30歳までのキャリアが後の人生を決めるなぁ。となんとなく考えていました。

そこで考えたのが、今もちょっと流行りのエンジニア。

職種を変えてやろうと思いました。

早速Progateを始めたのですが、Progateはおすすめです。利用してチュートリアルに沿って進めるだけですぐ「あれ、プログラミング余裕かも」って思えます。

しばらくプログラミングを学んでいたのですが、ノーコードという技術に出会いました。

簡単に言えば、プログラミングを使わないで、システムを作る技術です。

当たり前だけど、プログラミングが書けるから価値があるのではなく、プログラミングを活用して、誰かの課題を解決したり、新たなサービスを提供できるから価値があるということ。

今からプログラミングを学ぶよりも、プログラミングはそこそこに、ノーコードを活用しながらビジネス視点で色々試してみるのが一番早いかもなという結論になりました。

今後プログラミングの技術を身につけるかどうかは分かりませんが、少なくともノーコードは活用していくと思います。

新潟で株式会社サンゾウを創業 新潟1年目

ここからは現在のお話。

今僕は株式会社サンゾウの創業メンバーとして、事業内容や、今後の計画、成長プラン等を考えながら、目の前の業務としてはサンゾウのHPを作っています。

ちなみに、このホームページもノーコードで作っています。

今までの技術に比べて、圧倒的に早く、安く作れるので、ホームページ作りたい方はお声掛け下さい。笑

未来

サンゾウを広い意味で価値のある会社にしていきます。

存在としての価値

サービスとしての価値

社会貢献としての価値

等色々ありますが、優先順位のバランスを見ながら、色々大きくしていけたらなと。

ご清聴、ありがとうございました!

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