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女優オノマチの魅力とは

 えらくストレートなタイトルである。これはnoteに「#とは」で好きなものを語る、という「お題」があることを知ったためだ。好きなもののことならいくらでも書けるのだが、さしあたり、ここでも何度か書いている「推し」のことを、性懲りもなくつらつらと書き続けてみたい。

 『カーネーション』以後、オノマチ作品制覇に乗り出した私は、名作『火の魚』に心を射抜かれたのちもずっと作品を見続けた。そこで、いくつかの名シーンにさらに出会っていくことになる。『最高の離婚』の第4話の「ロールキャベツ投げつけ」の回やら、『疑惑』の鬼クマの「ニヤリ」やら、『夫婦善哉』で目がアップになってそこから涙が溢れ出してどんどん流れていく回やら、『長谷川町子物語』のちょっと背中を丸めて膝をくっつけずに歩く、おばあさんそのものの身のこなしやら、『足尾から来た女』のランプを背景に文字を読むサチの横顔やら、『坂道の家』で最後に黒いドレスを着て電話をするときの悪と美の同居やら、『起終点駅』の冴子さんの妖艶な居ずまいやら、『夏目漱石の妻』で自嘲的に笑う表情やら、数え上げればきりがない。で、いつも感嘆させられるのが、そこに素の尾野さんが全く見えないことであった。バラエティやトーク番組を見なければ、この人が本当はどんな人なのか、全くわからなかったに違いない。私にとって、役者というのはこういうもの、と最初に思わされたのは、ジュリエット・ビノシュの次のような言葉である。

役者はコップみたいなもんだと私は思う。その透明なコップである役者を通して観客は登場人物を見る。裸になるというのは言い換えれば透明になるということ。私は自分をなるべく透明にして、そこに人間や光を引き込む。瞳を通して魂が見える。それが私の仕事。シンプルなことよ。                                                                 ージュリエット・ビノシュー(『Switch』1993年5月号より)

 これはもう大昔に買って大切に保存している雑誌だが、これを読んで以来、役者というのは登場人物を見せることが仕事であって、その人自身を見せるのはまあどうでもいいこと、と思っている。だから役のたびに違う尾野さんを見るたびに、「やっぱりこの人は素敵だ」と思い続けてきた。(ただ、日本はむしろ「その人自身を見せる」ことが主になっている気もして、だから尾野さんタイプの役者は不利というか、ちゃんと評価されない傾向があるように思う。)

 と言いながら、結局演技にはその人が出てしまう、というのもまた事実だ。つまらない演技をする人は話もつまらない(言い過ぎ)。その点、尾野さんのトークは、時々ふっと本心に触れるときがあって、その時に「本性を見つけたり!」という気にさせられる。例えば、2018年の川島小鳥さんとのトークショーで、尾野さんは写真が不完全燃焼だった、と語っていた。「役者として来ているのに、撮れてりゃいい、という感じで終わる」という言葉を聞いたとき、ちょっとゾッとした。明るくケラケラっと話している裏で、ちゃんとそういうところを見ている。怖い人だ、と思った。さらに、自分らしく演じるとは、という問いに対して、「自分らしさって生まれてくるものであって、どうやって出せるのか意識はしない。セリフがあったら、言い方は色々あるけど、自分らしさの中の最上級のものを出すことを考える。自分が思うその人を、書かれているもの以上に何を見せられるかを考えて、私だったら、というのを、ト書き以上につけ足す。」と語った時は、めちゃくちゃ深いな、と思った。深いと言っても、深く見せよう、とか感性豊かなように見せよう、というのではなく、自分の中にある感覚を、忠実に言葉にしている感じだった。

 実は私は、尾野さんがどんなに屈託のない明るいトークを繰り広げようとも、心の中で、「あそこまでじっとりと暗い役のできる人が、明るいだけで終わるはずがない。必ずどこかに、暗くて深い部分も持っているはずだ」とにらんでいる。これはまあ勝手な思い込みだし、それはもしかしたらずっと中島みゆきを聴いていることと関係しているかもしれない。中島みゆきさんのDJでの頓狂な語りと、「エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたいエレーン その答えを誰もが知ってるから誰も問えない」の歌詞との間にはインダス川のような深い隔たりがあり、そういうギャップに慣れているだけに、尾野さんのことも「この人はめちゃくちゃ繊細な部分もあって、でも明るい部分もあって、その色んな面をさまざまに出し入れして演技をしているのだろう」と思っている。普段はそういう部分を見せないようにしているけれど、多分相手と本当に打ち解けたときにこの人は本心を明かすのだろうなと思う。川島さんとのトーク然り、小説『Tripper』での尾崎世界観さんとの対談も、まさにそうだった。そんな風に、ふざけた顔の中にふっとのぞく真顔、のようなところがまた、オノマチの底知れぬ魅力の一つである。




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