見出し画像

人間には本気で挑まなくてはならない時がある

 私はストレスが嫌いです。結構プレッシャーと闘う環境で暮らしてきて、それを乗り越えたら「不要なストレスは不要」という当たり前のことに気づいたからです。しかし、人生には(と大きく出た)挑まなくてはならない時がある、ということも、改めて実感しています。これは家族を見ていて思ったことです。具体的な内容は記しませんが、例えば大学受験を例に取ると、
1)高校受験の時からランクを下げて、高校でいい成績を収められるようにし、評定4以上を獲得して指定校推薦、もしくは公募推薦を受ける。
2)行きたい高校に行って、そこで定期試験をまじめにがんばり、指定校推薦、もしくは公募推薦を受ける。
3)行きたい高校に行って、そこで定期試験もがんばりつつ、公募推薦は受けずに一般入試に挑む。
などの道があります。
 浪人してもいい、行きたい大学に行く、と思っているなら3)、浪人は絶対に嫌、という場合は1)か2)ということになります。
 ここで言いたいことは、本人が本気でどの道を選ぶか、ということで、推薦は安易、などということではありません。かつて、高校の後輩で、〇〇大学でラグビーをしたいから指定校推薦枠を取ってそこへ行く、と狙いを定め、見事意図通りに合格を勝ち取り、その後大活躍した人がいます。
 ただ指定校推薦に本当に行きたい大学がない、とか、チャレンジしたい!という気持ちがあるのなら、橋を焼いてでもその道に行ったほうがいい、と思います。後になって、あれが分岐点だった、と思うことがあるからです。

 私の場合、修士課程に進んだ時は、頭の片隅に「研究がダメなら修士で止める」「修士修了時点なら、まだ公務員、高校の先生という『カタギの道』が残されている」という思いがありました。しかし、修論を書いているうちに、「カタギの道」に戻る気持ちは消えてしまい、茨の海(「茨の道」ではない)でもいいからこの道を進め!という気になったのです。その時は、一世一代の大バクチ、という気持ちでしたが、結果的に、その道を選んでよかったと思います。今後の目標を実現させるためには、今の仕事で考えたこと、組み立てたことがとても大きな役割を持っているからです。

 親は、子どもに苦労をさせたくないので、予防線を張る、ということがあります。しかし、その結果、子どもが本気をかけて挑みたいことを回避させてしまうとしたら、ちょっともったいないと思います。


 
 
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?