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Green Talk 127 : 東京でコンポストを始めて起こった嬉しい5つのこと - LFCコンポスト

LFCコンポストさんとお付き合いを始めて、3巡目になります。
始めたのは今年の2月の末。約3ヶ月半が経つんですね。

最初の思いは、自分が作った土でできたものを食べること。その循環を自分の生活に取り入れたいという気持ちでした。
これまでに、ミックスリーフ、バジル、イタリアンパセリ、青じそ、順々と食卓を彩ってくれました。

思いが実現している横でも、色々と試行錯誤もあり。こうやったらいいかな、こうしようかな、と思うところも。そららも、LFCコンポストのラインで相談し、小さな実験をして、自分らしいやり方を見つけて行きました。
細かく切ろう(目安はOKマークを手で作った丸くらいまで)。途中で中身を逆さにしてみよう。自分のための知恵はゆっくりと溜まってきています。

今回は、その知恵ではなく、改めて感じた”やって嬉しかった”自分の中の変化を5つ、備忘録として記しておこうと思います。

ちょっと長くそして私的な想いになりますので、これ以降はご興味がありましたら見ていただければと思います。


LFCコンポストをやって起きたうれしい変化 5つのこと
1. 生ゴミやゴミのことを知ることになった
2. 食べ物を知りもっと大事に喜びを持って食べるようになった
3. 植物が家に来て、自然をもっと理解するようになった
4.コンポストを介して話をする人ができた
5.何を食べてどう住んでどう生きるということの優先順位を下げることなんてないと改めて思った

1.の生ゴミやゴミのことを知ることになった
我が家はコンポストをお迎えする必要がない家でした。キッチンにディスポーザーがついているからです。コンポストに入れられる手羽元などは入れることはできませんが、集合住宅でもあるのでいつでも収集場へ持っていける。正直、生ゴミには困っていなかったんです。

でも、コンポストを始めて、今まで目の前からなくなって欲しいものであった生ゴミが、育てる野菜の土の養分になるという感覚は、同じものの持つ意味を変えました。

また、目の前からなくなればいい、という感覚は、とても私的だということにも気づき、「じゃ、今まで生ゴミって」と見つめることになりました。
すると見えてきたこと、例えば生ゴミの80%は水分でその上に濡れたままで出すとなかなか燃えずに焼却場に負担はかかるし、収集する人たちが匂いなど大変な思いをすることとか。それの必要性を実証するために住んでいる自治体では集合住宅で水分を抜く実験を繰り返していることとか。
逆に、それを私の手元にある段階でほんの5分を使って対応したら、LFCコンポストのたいらさん曰く焼却場の70%費用削減できることとか。

そういうことを、知るに至ることになりました。
目の前から無くなったからいい、では本当にない。つながっている。
目の前にあるものの輪郭がくっきりと見えた来事でした。

2. 食べ物を知りもっと大事に喜びを持って食べるようになった
これ残ったね。これなんか賞味期限切れたね。じゃ、コンポストに入れればいいや。そういうなんでもかんでも入れる魔法のボックスではコンポストはないと言うことを感じています。
1日約300gぐらいというコンポストとうまく付き合える”加減”を”量”をしっているから、今日はバナナの皮多めに出たから、野菜はなるだけ皮が出ないようにしっかり食べようと亀の子束子を使ったり。
土の様子を見ながらおこなうものなのだなと。
そして、ベースに、しっかり、今ある食べ物と向き合い、食べられる場所を食べた上での、コンポストへ、だと思っています。
決して、「コンポストの餌が少ない!」という考え方をしなくていい。もちろん微生物さんたちは可愛いのだけど、彼らは入れたものでお力を貸してくれるので、大丈夫。もっと信じてあげたいと思います。


3. 植物が家に来て、自然をもっと理解するようになった
本当に数十年ぶりで種から植物、特にハーブ類を育て始めました。
一年草と多年草の種の出方の違いもそれぞれのその命の長さで過ごしていると感じるし。子葉はみんな空を破る力を持った丸っこいのが多くて、本葉からすごい個性を出してくる。
虫も出てきますし、その対応に最初はオロオロとしていましたが。果物の皮って虫がつきやすいんだ!とか、この匂いはこの虫は好物なんだねとか。それらは自然なことで、自分もその一部だと改めて感じます。
そして、インターネットの先にいる先輩たちの言葉を借りてそれぞれの植物の性質も学んで。少しでも一緒にいられるようにと毎日ベランダに出ている日々です。
きっと普通に生活している中でも、本当の自然はそういうもので。自分がコントロールできることなんてそう多くはないんですよね。私はただただ私の範囲で今何ができるか。それをし続けたいなと思います。

4.コンポストを介して話をする人ができた
「コンポストしています」なんて人にいう日が来るとは笑。
そして、何より、「実は気になっていて、、」という反応がとても多かったことも驚きでした。
私たち家族は、この家にいる時間の多い日々の少し前から、コンポストを始め、種を買い、育て始めたのですが、家で育つ植物たちに自宅にいる時間、とても癒されました。
コンポストをするまたはされたいという人たちからも、自分たちの生活にそれを取り入れたい動機、なんとなく捨てているバナナの皮がずっと気になっていたとか、バック型のコンポストっていいですよね!とか。家の樹木もコンポストしたい時ってどうしたらいい?などの相談まで。
私も勉強、皆さんとともにコンポストをより知りたくなりましたし、全く同じ状況ではないかも知れないからではなくて「私はこうかも」というぽろっと出した言葉が誰かの+になることもある。予想外の嬉しい事はこれが一番かも知れません。


5.何を食べてどう住んでどう生きるということの優先順位を下げることなんてないと改めて思った
これは4にも通じるのですが、声を聞かせていただくことで、「私はどう生きたいか」「この人はどう生きたいか」という輪郭が見えてくる気がします。子供たちのためにおいしく安全な野菜を、や、自分たちの生活圏でできる範囲の環境や社会にいいことをやりたいという気持ちだったり。

何を食べて。どう住んで。何をして。どう生きる。
なかなかそういうことは言葉にする機会は少ないのですが、それはとても生活の元になることで、その優先順位は決して下げる必要はないしそうありたいと人は根本で求めているのだなと感じたりもしました。

その形態はそれぞれでいいと思います。
例えば何を食べては、美味しいご飯を最高の食材で最高のシェフのもとで食べたい、や。ご飯が20分以内でできて熱々簡単で食べられるものが好きだ、など。
余程、体に害が蓄積されたり、金銭的な無理をせず、美味しく食べられているなら、本当にそれぞれあっていい。それよりも、その思いと実生活に乖離があると、人は苦しくなるから。
ペンと紙と5分程度の時間で。『私は...』の思いを書いてみるのもいいかもしれません。