宮之浦岳縦走編①
1日目。
朝4時。同行の友人らと起床を確認し合い、朝食を摂る。
山に登る朝は納豆卵かけご飯、と決めているのだが、前日昼用に買ったカツサンドを食べそびれていたので、それと、ソイラテ。
支度をととのえ、5時半過ぎに家を出る。
快晴、準備万端、体調・メンタル良し。
不安要素などないはずであったが、私の気をほんの少し、小石一つ分くらい下へ引っ張るものがあった。空港での保安検査である。
何も危険物や禁止物を持ち込むわけではなく、たいていのことは「行けば分かる」「聞けばいい」と下調べもしないのだが、たまたまネットで「保安検査場でもたつきたくない!」「手荷物検査で何を出したらいい?」などの記事に遭遇し、以来不安を募らせていた。
大体こういう場面でもたついてしまう上、飛行機に乗るのは16年ぶりであった。
液体類は鞄から取り出す必要があるのか?他のものとポーチに入れておいてもいいのだろうか?
登山用ストックは危険物とみなされはしないだろうか? 爪切りは?
アクセサリーは外さないといけないのか?
最も私を悩ませたのは「くるぶしを覆う靴は脱いで検査を行う」という項目であった。
今回の縦走に備え購入した気に入りの登山靴なのだが、非常に脱ぎにくいこの靴を履いていくことは不安の種であった。
登山靴は持参し、山に入るまでは別の靴を履く、という選択肢もあったが、荷物は最小限にしたかった。
悩んだ末、靴の着脱は一時のこと。登山靴一本で行き、島に着いたら現地でサンダルを買い街履きにしよう、と決めた。
そして少しでもスムーズに着脱できるよう、靴紐を上までは締めないことにした。
慣らしておいた靴の履き心地は上々、ザックも大きなトートも足取りも軽く、旅に出るよろこびと共に駅へ向かった。
ホームで電車を待ち、もう少し向こうのドアから乗ろう、と移動しようとしたその時、何かにつまずいて転びそうになった。
一瞬、何が起こったのか分からなかったが、結んでおかなかった左の靴の金具部分に、右の靴のループが引っ掛かったのだ。
思えばこの時、いちばん上まで靴紐を結ぶべきだったのだ。
しかし残念ながら、その時の私はその発想には全く至らなかった。
保安検査、保安検査。
乗り換えのために電車を降り、ホームを少し回り込んだところにあるエスカレーターに乗る手前で、それは起こった。
唐突で、圧倒的で、疑う余地なき、純度100%の転び。
いや、転ぶ、という表現では優しすぎる。
「転倒」とはなんとうまくできた言葉なのだろう。
私は文字通りその場へ両膝から転び、倒れた。相当量の荷物と共に。
周りの親切な方の「大丈夫ですか」にもロクに反応できないまま何とか立ち上がり、ふらつきながらエスカレーターに乗った。
私は呆然としていた。
何でこんなことに。
初の本格的な縦走を前に、思わぬ怪我をしたり、どこかを痛めたりすることもあるかもしれない、と私なりに気を引き締めていた。
が、まさか、まだ始まってもいないうち、家を出て30分も経たぬうちに己の右足と左足をひっからめて転ぶだなんて、どうして想像できただろう。
ずきずきと痛む膝、急激に重みを増した身体と荷物に私のテンションは急降下していた。
どうにか空港に辿り着き、これ以上自分の機嫌がわるくならないようにしなくてはならない、と思った。
ぼんやりした頭のままコンビニに入り、自分を甘やかしなぐさめてくれるものを求め、目に入ったちいかわののど飴を買った。
搭乗ターミナルまで来たものの、何をどうしたらいいものか皆目分からない。
転倒ショックは「行けば分かる」「聞けばいい」スピリットもショートさせていた。
立ち尽くす私にやさしく声をかけてくれるエアラインのお姉さんの導きで、何とかチェックインと荷預けを完了。
と、ここでようやく友人らと合流。
半泣きで「コケた…」と告げる。あまり喋ると不機嫌が増長しそうであったので黙りがちであった。
友人は、一人は心配し、一人は想定の範囲内といった様子で「これからこんなことは山ほど起こる(のでこれくらいで揺さぶられていては身が持たない)」というようなことを言っていた。
態勢を立て直せないまま保安検査場へ到着。
国内線だからなのか液体物を取り出す必要もなく、トートもスマホの入ったショルダーも、そのまま預けるだけでよかった。
それでも荷物の回収や上着と靴の着脱(結局なかなか脱げない)に人3倍ほど手間取るは、膝は痛むは、で、私は早くも疲労のピークを迎えていた。
各自飲み物を買ったりトイレを済ませたりしたのち、搭乗。
飛行機の座席に身が落ち着くと、やっと心身共にゆるむ。
ぽつぽつ話をしたりしているうち、次第に落ち着きと元気を取り戻す。
最大の関門(保安検査)を突破した今、念願の屋久島を前に、それ以上不機嫌でいる理由はなくなったのだった。
定刻通りに離陸、巨大な鉄のかたまりが宙に浮かぶ不思議に感心しつつ、離れゆく街を見下ろす。
乗り継ぎのため、鹿児島で一度降りる。
ここでも検査があるものと思いやや緊張していたが、初めだけでよかったのだと知る。その上、預けた荷物までノータッチで乗り継ぎ便に運び込まれるのだという。
飛行機、すごい!とまた感心する。
屋久島便に乗り込んだのも束の間、あっという間に着陸のアナウンスが流れる。
鹿児島へ着く時もそうだったが、旅の飛行機から見る陸地はぐっとテンションをあげてくれる。
きっとわざわざ見せてくれてるんだね、とか言いながら写真を撮る。
9時半過ぎ、屋久島空港着。
飛行機からもずっと見えていたはずだが、空の青さをあらためて噛みしめ、よろこぶ。
レンタカーをピックし、下山後に宿泊する宿に荷物を預け、観光センターやスーパーを回り山中での食糧など調達する。
三岳の一升瓶がバリエーション違いでずらっと並ぶ様子にテンションが上がり、早速2本ほど購入。三岳グラスも発見し、これは後で買おうとチェックする。
3日間三岳に漬け込んだレーズンで作る、というレーズンパンを翌日の朝食にしようと目論んでいたが、店が閉まっており断念。(この後、滞在期間中を通して、屋久島では店や施設が開いているか閉まっているか、などのGoogle情報が全く当てにならないことを思い知らされることになる)
【買ったもの】(だいたい)
魚肉ソーセージ(大)、Appleパン、ドーナツ、レーズンパン、ようかん3種(たんかん、安納芋、紫芋)、ボンタンアメ、よもぎ黒糖、炭火焼鳥のようなものの真空パック詰め2つくらい、生らっきょう、豚みそ、切れてるチーズ、切れてるフランスパン、良さそうなハム、三岳200mlx6本・350mlx1本
最初は何か美味しいもの食べたいよね!ということで、買い出し後は、是非行ってみたいと思っていたレストランで昼食。
(この時よく分かっていなかったが、レストランは、旅の終盤に宿泊を予定している宿が営んでいたのだった。たまたま。)
【食べたもの】
お刺身セット×2、刺身定食×1
お刺身:甘エビ、きびなご、首折れ鯖、イカなど(刺身の種類に疎いので間違っている可能性有)
亀の手、さつま揚げ、飛魚の唐揚げ、ご飯(おかわり1回ずつ)、味噌汁、蛸ときゅうり、お漬物
刺身定食についてくる飛魚は、焼きか唐揚げかを選べたので唐揚げにしてシェア。羽根のところがパリパリとして、身もかなり好みの味。たくさん食べる。
満足して、紀元杉行きのバスに乗るため安房港へ向かう。
港で時間があったので近くのスーパーでトイレに寄り、缶ビールを1本ずつ買い足す。(バスに乗ったら飲むのだろうな、と思いすぐ取り出せるところにしまった。が、バス内では誰も飲まなかった)
白地にカラフルな椰子の木柄のバスが到着。
作り付けの古びた椅子やブラインドが青と水色でできていて、好きだとすぐに思った。
(青と水色の組み合わせは、先に行ったスーパーでも、入口の自動ドアに店名が書かれた様子が気に入っていた。写真に撮ろうと思ったが、人の出入りがひっきりなしでドアが閉まらず、なかなか撮れなかった。ぐずぐずしていると、友人らを車を入口に横付けで待たせていたので諦めた。バスではすぐに写真を撮った)
車窓はたちまち山景色。
木や草が道路の方までいっぱいに伸びていて、窓ガラスに当たってはカタカタ、と音を立てていた。が、途中でカタカタ、には2種類あることに気がついた。
一つは木々、もう一つは留め具から外れたブラインドが窓に当たる音だった。
気になるのでブラインドの固定を試みるがなかなか収まらない。何度か挑んでようやく収まりカタカタ、は1種類になった。
道に猿の親子がいた。初猿。
とても小さかった。しばらく見たように思うから、運転手さんが停車していてくれたのだろう。
揺られていると、眠くなってくる。が、寝てしまうのはもったいない気がして、しばらく眠気と景色を天秤にかける。
ふと、ああ、私は今、向こう2,3日じゅうでいっとう座り心地のいい椅子に座っているのだ、と思った。
山にはこの後たっぷりと入る。それはやがて景色ですらなくなるのだ。
今は椅子の心地よさに身を委ねることに決める。安心してうとうとする。
小一時間ほどで終点。
降車して歩き出すと、すぐさま杉が現れ始める。
おお、大きい、とぱちぱち写真に撮る。(紀元杉行きのバスだったはずだが、紀元杉を見た記憶がない。どれがそれだったのだろう)
15時過ぎ、淀川登山口に到着。
ここから一時間ほど歩き、宿泊予定の淀川小屋を目指す。この日は軽登山。
トイレを済ませ、各自支度をととのえたりストレッチしたりして、登る準備。私はいよいよ登山靴の紐を上まで締める。(まだ締めていなかった)
出発記念に写真を撮ったりして、登り始める。
天気はいいし、たっぷり、堂々とした植物たちの様子は生き生きとして個別の力があり、豊かで、好もしかった。
何て歩くのが楽しいところだろう。荷物の重さも全く気にならない。
が、ずきずきと主張する膝にのみ一抹の不安を感じた。
屋久島へ発つ少し前から、1人は腰、1人は膝を痛めていると聞いていた。みんな大変だなあ、大丈夫かなあと思っていた。
私1人万全であったはずなのだが、朝の転倒により全員がどこかしらに爆弾を抱えることになってしまった。
登る一足毎に、あの時転びさえしなければ…との思いがよぎったが、間もなく、いや、転んでおいてよかったのだ、と思うようになった。
もしあの時転んでいなければ。
私は危うさを自覚することのないまま山に入り、とんでもない、取り返しのつかない転倒をしたかもしれない。いや、間違いなくしただろう。だから、よかったのだ。
山と足の神様ありがとう...と心でつぶやきながら歩いた。
靴と足の具合はすこぶる良く、それまででいちばん足に吸い付いてくるようだった。友人たちの身体の調子も大丈夫そうであったのでほっとする。
元気をたっぷり残したまま、16時半頃、淀川小屋着。
すでに10人くらいいただろうか。外にテントを張っている人もちらほら。
2階のロフトに陣取り、寝床を準備したり荷物を少し整理したりする。
友人が柱と柱の間にロープを渡し、食糧の入った袋を引っ掛けていた。ねずみ除けなのだそうだ、なるほど。
幸い(?)小屋ではいちどもねずみに遭遇することはなかったが、トイレには閉口させられた。
やばいよ、とは聞いていたのだが、どうやばいのかは調べたりしなかった。どうせ使うのだし。
いざドアを開けると、おびただしい数の蝿が群がっていた。一旦ドアを閉じた。
隣の簡易トイレ(専用袋を取り付けて用を足す)を使うという選択肢もあったが、それはいざという時のためにとっておきたかった。意を決して、再びドアに手をかけた。
友人たちが近くの川に水を汲みに行く。甘える。(屋久島の山中は水が潤沢で、いたるところで川の水や湧水を飲むことができる。これにはこの後本当に助けられた)
缶ビールで乾杯して(ぬるくなっていたはずと思うがおいしかった)夕飯の支度。
2人とも、せっせと準備して手際がよい。お湯を沸かしたり、持参したナイフや調味料で一品を拵えたり。私はせめてもと、らっきょうの皮を剥いた。
【食べたもの】
生らっきょう、豚みそ、鯖節(たぶん)とらっきょうの醤油マヨ和え、炭火焼鳥(真空パックを温めたもの)(これを食べたのは翌日だったかもしれない)、缶ビール3本、三岳3本
生らっきょうを食べたのは初めて。新鮮だからなのだろうか、辛みも爽やかで豚みそや鯖節とよく合った。けっこう食べる。
夕飯を食べ終え、小屋付近をお散歩。(この辺りからだんだん雲がかかり始めていたような気がする。単に、日暮れ前で暗かっただけだろうか)
知らないところを散歩するのは、とても好き。
ましてやそれが南の島の山の中の18時台、となるとレアもレアである。その時はそんなふうには感じていなかったけれど。
帰ってきて、そんなふうに旅を思う。
明日も早いし山小屋の人々も一様に早寝であるので、早々に就寝。20時くらいか、もっと早かったかもしれない。
まだ元気いっぱいだった私は、なかなか寝つかれなかった。
結局寝たのは23時くらい。たぶん。