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宮之浦岳縦走編②

2日目。

朝4時過ぎ、起床。
ごそごそと支度をし、5時朝ご飯。

【食べたもの】
ハムチーズサンド(切れてるフランスパン、切れてるチーズ、良さそうなハム)、レーズンロール、チャイ(友人持参)

友人が、昨晩飲んで空いた三岳ミニボトルに、山歩き用の水を分けてくれる。
ザックの脇に収めるのにちょうどよいサイズだし、手の中にもすっぽり収まる。何という資源の有効活用。大きなソフトボトルから器用に移す。

歯磨きをしたりして、薄暗い中6時過ぎ出発。
予報通りの怪しい天気にレインウェア(上)を着たが、暑くてすぐ脱ぐ。

良さそうなハムはうまかった


やはり木がいちいち大きい。
とぐろを巻いているの、雨宿りできそうな空洞のあるの、複数の木が絡み合ったの、磨き上げた床のように艶やかな躯体の、根っこをもりもり地上頭上に展開させているの。

迫力岩。
雨宿りできそうなの、まあるいの、なまこを切ったようなの。ピークのてっぺんにいるのが多い。隆起してできた島故、彼らも押し上げられたのだろうと推測。

花はまだ少ない。
したたかを隠して取り澄ました首の長いの、小さい釣鐘の連なった白いの、濃いピンク色のつつじ、花なのか葉なのか分からないフルーツのようなの。

苔さまざま。

これらが無数の組み合わせでかけ合わさり、唯一無二の森林世界を形成している。皆さかんに写真を撮る。

雨宿り可
マレフィセントとみまごう


小花之河を過ぎしばらく行くと、展望所の案内板があった。
さして期待もせず草の多い細い道を登ってみると、開けた見晴らしに上がる歓声。

来て良かったね。ここはみんな来るよ。
と讃えたが人はほぼいない。
(サッと過ぎちゃうのかねえ、我々はこういうところも逃さないよ、などと話したがあとから思えば私たちが到着するのが遅かっただけかもしれない。やはりみんな来ていたのかもしれない。)

岩に座ってようかんを食べる。安納芋。
3人ともようかんを食べていたが、1人の友人の食べていたようかんが大きかったことが印象的であった。

展望所への案内札
ぐるりこういうのが広がる
フルーツのような植物
ようかんタイム


8時半頃、花之江河に到着。
来る前に読んだ屋久島の昔話にたびたび登場し、楽しみにしていたところ。何となく一面もやがかかったような、神秘的な様子を想像していたが、ぽっかり開けて、明るい感じ。のんびり歩く。
去り際、目に入った遠くの白い木がマリア様に見えて、写真に撮った。

花之江河
釣鐘花 いたるところで見る
湿地保護のため歩行用の板が渡してある
小鳥居
マリア様に見えた


9時半頃、この日のメインイベントの一つ、黒味岳へ登る分岐点に到着。
空も明るさを保っていたので計画通り登ろう、ということになる。
荷物をその辺りにデポして、登り始める。

分岐点
皆ザックを置いていく


荷物がないって何て楽ちんなのだろう。まるでアスレチックではないか。
ビバ、身軽。
まもなく、1人の友人が、一眼レフを取ってくる、と分岐点へ戻って行った。もう1人の友人と私は、先へ進んでおくことにする。

元々登りが好きで、登っている時はごきげんな私。
ロープワークや大きな段差を存分に満喫。
が、登りが苦手で膝に爆弾を抱えた友人は、一眼レフと共にここを登れるだろうか。ちょっと心配になる。ややあって、姿を確認。

楽しいロープ


前方に、ゴールと思しき巨大な岩(むしろ崖)が見える。
てっぺんに人の姿を確認するが、見間違えだろうかと思う。あのようにまっすぐ切り立ったものへ、果たして人が登り得るのだろうか。

人?


30分ばかり登って崖の如き岩も登り切り(ちゃんと裏に登れるようになっているところがあった)てっぺんに到達。
そこには空と雲と山々、一歩間違えばさようならの足元が広がっていた。
太陽こそ出ていなかったが、印象としては「晴れ」だった。(あとから写真を見てこんなに曇っていただろうかと思った)

てっぺん


道中で度々出会い、淀川小屋でも一緒だったおじさん二人組が先に到着していた。一歩間違うところで飛び跳ねていて、信じられない。
写真を撮り、こちらも撮ってもらう。

(お二人とは展望台でもお会いしており、そこでも写真を撮り合いっこした。
スマホを構え「プロセス!」とおじさん。きょとんとする私たち。
正解は「チーズ!」だった。
以降、私はお二人を「プロセスおじさん」と(まとめて)名付けた。
プロセスおじさんとは、この後も抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り広げることになる。)

プロセス!


ここがてっぺんなのだが、右手に、さらに切り立ったまさに崖、があった。
プロセスおじさんはそちらへ移動し、やはり飛び跳ねている。信じられない。
入れ替わりで友人たちも移動。
せっかくここまで来たのだから、と私も挑もうとするが、岩と岩との間にぱっくり開いた裂け目に、きゅっとなるお腹。
これは無理だと待つことにする。

が、カメラマン(友人)は諦めなかった。
励まし手を引き裂け目を超えさせ、四足歩行動物と化した私を崖の端っこへたどり着かせ、「下から撮るから!」と元来た道を下っていった。

ほどなくして所定の位置につくカメラマン。もう1人の友人はやはり飛んだり跳ねたりして、写真を撮ってもらっている。信じられない。
遠く下方から何か指示が飛んでくるようだったが、全く聞こえなくて笑った。

腰が引ける崖上
上からも


荷物をデポした分岐点まで戻り、ここで友人から「このままでは今日泊まる小屋に辿り着けないかもしれない」と告げられる。
その時点で10時半であったので、まさかそんな…と笑って否定しながら、そう言えば、同じ時間に同じ行程を辿る人々に道を譲り続けてきたな、と思い出していた。
各所でのんびり、はしゃいでいるうちに、何ということだろう。
(私が「暑い」「やっぱり着る」などと言っては服を脱いだり着たりして終始もたついていたことも、多分に影響していたと思われる)

兎にも角にも、先を急ぐことにし、昼ご飯は歩きながら食べよう、ということになる。

【食べたもの】
Appleパン、ザックの中でつぶれたレーズンパン、ぼろぼろになったドーナツ(逆に食べやすい)、アミノ酸の粉末

急ぐ、と言われているのに「これだけ撮らせて」とAppleパンを写真に収める。
友人がくれたアミノ酸の粉末が何やらすごかった。水と一緒に飲み込むと、一気に元気になる。速く歩ける気がする。科学の力。

Appleパン

次に目指すはこの日のメイン・オブ・メイン、宮之浦岳。
標高1,936m、九州最高峰のピークでありながら、人里から見ることのできない奥地にあり、島の人々に「奥岳」と呼ばれる山の一つ。(もちろん「三岳」の一つでもある。)

黒味のてっぺんに立った時などは、あれが宮之浦岳かなあ、と言ったりしていたがどれがそうなのかはっきりとは分からなかった。(分からなかったのは私だけで他の二人は分かっていたかもしれない)

歩く道々、何やら高そうな頂が見えてくる。
しかし何といっても奥岳。あれはダミーの可能性が高い、と言い合う。
目の前のそれを宮之浦岳だと思いたいのは山々だが、そうでなかった時の心理的負荷を下げようと努める私たち。
途中ツアーのガイドさんとすれ違ったので聞いてみると、「あれはダミーですよ」との答え。
ほらね!と謎の勝利感に浸る。

この辺りは歩きやすかった

歩き続ける。
次第に道が急登になり、息がはずむ。
懸念材料であった膝は、ほとんど痛みを感じなくなってきていた。転倒の際ホームについた右手指と爪の間からは、血が滲んでいる。

ダミーも越え、本物の宮之浦岳、最後の登りにさしかかる。
雨が降り始めている。ザックからレインウェアを出して着る。

険しい。雲がかかっていたこともあり、頂上はなかなか見えない。
が、一歩また一歩と登りながら、六甲の急登を登ってきたことが今、私の足を進めてくれているのだ、と感じた。

+

一年前。

どんな景色が見えるのだろう。
登ってみないと見えない、登った人だけに見える景色があるに違いない。
目に見えるものも、目に見えないものも。
その景色を、見てみたい。

不器用・運動音痴・方向音痴の私が迷惑をかけることは分かりきっていたが、山に登っている友人たちに頼み、導いてもらいながら近くの六甲山から登り始めた。

ただ「歩く」ということがこんなにもむずかしいのかと、どういう身体の動きがそれを生み出すのかを、生まれて初めて考えた。
はじめはそれはきつく、下りには膝はがくがくになっていた。
けれど、楽しかった。

ふかふかとしていたり、さらりとしていたり、どろりとしていたりする土の上を無心に歩くこと。
いっぱいに手足を使って、大きな石や岩にかじりつくこと。
満ちる甘い匂い。
緑。まっすぐに伸びた木。
声。鳥、水、葉、風。
谷を舞う薄桃色の花びら、見上げる空見下ろす海、鮮やかに染まった葉にたたえられた光、踏みしめる雪のしゃくしゃく。

一定のペースで歩き続けること。
水と栄養を摂ること。そのタイミング。
死ぬかもしれないこと。
最後まで自分の足で歩くしかないこと。

教えられたこと、見よう見まねで覚えたこと、知ったこと。
それらが今、私の身体を動かしている。心を静かにさせている。
遠く離れた苔むす島の、山奥で。

頂上の手前で、小屋では遭遇しなかったヤクシマヒメネズミを見た。
小さな茶色が岩穴から別の岩穴へ、走り込んでいった。

13時。
一人が先に、頂上に辿り着く。待ち受ける姿を見て、そこがそうなのだ、と知る。私も辿り着く。ほどなくして、もう一人も辿り着く。

九州でいっとう高いところからは、何も見えなかった。
雲一色。笑った。
全くがっかりしたりはしなかった。道中はとても楽しく、その時たまたま、雨が降っていた。
私にとっては、ただ、それだけのことだった。

登る、登る
頂上がそこだと知った時
てっぺん!


雨の頂上での長居は身体を消耗させるので、早々に下り始める。
新高塚小屋まで下ってその日の宿とするか、翌日目指す縄文杉により近い高塚小屋まで行くか、時間や体力、小屋の人数などによって決める計画であった。

大の苦手、下り。
それは、下りで決まって膝が痛くなるからなのだ、とずっと思っていた。
が、ストックを使うことを教えてもらって膝の痛みが激減しても、苦手意識に変わりはなかった。
そう、私はそもそも「下るという行為そのもの」が苦手だったのだった。

どこに足を降ろせばよいのか、分からない。
こっちの石のこの部分なのかもう少し左か、はたまた隣の石のあの部分なのか。
一足一足迷い考え、足を降ろしてみる。そうするうちに、考えることにくたくたになってしまう。
おまけに転倒はゼロにはならない。やはり、滑る。したたかおしりを打ちつけたりする。

考えてもうまくいかないなら、いっそのこと考えることを一切やめようか、という気持ちになる。
が、そうした場合、うまくいかない確率はもっと上がってしまうだろう。取り返しのつかない事態が、起こりかねない。

結局、分からないなりに考えながら進むしかない。
雨が足元を滑りやすくしていることが、むつかしさに拍車をかけていた。
とろとろしているうち、後ろから来る人たちが詰まり始める。高まるプレッシャーが次々道を譲らせる。
皆ひょいひょいと、駆けるように降りていく。いかにも簡単そうに見え、羨ましい限り。

(旅から帰ってきた後、一つ大きな発見をした。
ある日、道を歩いていて突然、片足が溝にはまった。思いがけない衝撃に、あやうく腰を痛めるところだった。

何もない、いつも歩くところでなぜ...と情けなくなりながらふと、気がついた。
溝にはまったのは、下を見ていなかったからに、違いなかった。
いや、その時だけではない。
ふだん私は上ばかり見て歩いているため、下を見て歩くことに慣れていないのだ。だのに、山を下る時は常に下を見て歩かなくてはならない。
そうだったのか、と妙に納得し感動すら覚えた、気づき)

下り始めて1時間ほどで、早くも相当に疲れ始めてしまっていた。
弱音も吐く。
ああ、せめて、鹿に会うことができたら頑張れるのに。
そんなことを話していた矢先だった。
本当に、鹿が現れたのだ。

鹿は辺りの笹に顔を突っ込み、静かに草を食んでいた。小さい。
何でこんな高いところまで。
鹿は一頭きりだった。
愛らしいやら驚くやらで、ひといきに元気になる。

鹿はたしかに神の使いだった


が、鹿にもらったはずの元気は長続きはしてくれなかった。
次第に、思考能力がなくなり、何も考えられなくなってゆく。
雨。私を濡らすこれが、そうだというのか。
小屋。そこに着きたいのだろうか。
分からない。

只、前に進まなくてはならない。
頭と身体にあったのは、それだけだった。

途中、猿たちにも会った。
道をふさがれていたので、通らせてはもらえませんか、とお願いする。

猿たち。木の上にもいた


どれくらい時間が経ったのだろうか。
永遠に着かないように思えた新高塚小屋が、ようやく見える。その時のことをあまり覚えていない。
小屋に着く直前、しゃくなげの花が一つの木きり、咲いているのに出会った。
(時期にはやや早く、他のどこでもまだ咲いてはいなかった。その後も咲いた花を見ることはなかった)

しゃくなげ


ぼんやりした頭のまま小屋に着いた私は「とりあえずトイレに行きたい」と言った。
ザックをその辺に降ろし、友人がさしていた傘を貸してくれる。

トイレは小屋から少し離れていたので、今来た道を戻る。
そしてまた、転倒した。思いきり。
記憶にないが、小屋に着いた時に靴紐を緩めていたのだろう。また左右の足がひっ絡んだのだった。
吹っ飛んだ友人の傘を這うように拾いながら、折ってしまったのでは、と気になったが幸い無事。己の学習能力の無さを呪うばかり。

小屋に戻ると寝床が確保されており、放置していったザックも運び込まれていた。レインカバーなんかも干してあったように思う。
到着した安堵からか、少しずつ落ち着きを取り戻す。

指摘されて分かったことだが、私のめためたな在り様は炭水化物の不足が原因だろう、ということであった。
合間でレーズンやナッツをかじったりはしていたし、思考能力がなくなる前に栄養を摂取しなければならないことも分かっているつもりだったが、全然足りていなかった。
靴紐は上まで結ぶように再三、注意を受ける。

(それでも、トイレに行くたびに結ぶのが面倒だと思った私は、次は気をつける、などと言い結ばなかった。
夜、皆が寝静まる中トイレへ行く段になり、転倒こそしなかったものの、真っ暗な中、見るのが苦手な足元に目を凝らし続けながら進むのは、非常に困難であった。
そこへ来てようやく、大人しく靴紐は常に上まで結ぶことにした。)

夜ご飯、17時か18時くらい。
三岳とアルファ米が沁みいる。
並んだ魚肉ソーセージ(大)を見て「歩きながらこれ食べるとか言ってたよな」と言われる。そうだった、と初めて思い出す。

【食べたもの】(曖昧)
アルファ米x3(友人提供。梅じゃこご飯を真っ先に選んだ)、魚肉ソーセージ(大)、生らっきょうと豚みその残り、フランスパンとチーズと良いハムの残り、何か麺のようなものと鶏スープ(友人提供)、炭火焼鳥、三岳3本

ベビーとあるが大きなソーセージ


山の中では歯磨き粉が使えない(環境保護のため)せいか、前日の夜と朝の2回の歯磨きにも関わらずこの日じゅう、自分の口の中でらっきょうの匂いがしていた。ので、この夜はらっきょうにはほとんど手をつけなかった。たぶんバレていなかったと思う。
お酒がちょっと少ないなと思い、買い出しの時に気になった島のウイスキーを買えばよかったと思った。

よく眠れそう。
とか言ったと思う。
前の日の晩とは打って変わって、即寝だった。落ちる。
深い眠りを、眠った。トイレに起きた時、以外は。





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