そのダメ出し、求めなくてよし!
日々、インターネットに成果物を投下するようになり数ヶ月。
密かに決めて実行しているマイルールがある。
それは、「ご意見ください」と言わないこと。
その代わり、かならず「感想ください」と言ってる。どう違うかわかるだろうか。
前者では“ご意見したい人“が集まり、後者では出されたものを純粋に楽しんでくれる人、応援したい人が集まる。気がしている。
ちょっとしたニュアンスの違いではあるが、どういった人に呼びかけて見てもらうか(どんな人がお客さんになってくれるか)が変わってくるのではと思っている。
そもそも無料で出しているものにご意見は不要
多くの人は趣味でSNSをやっている。わたしは宣伝のためにやっている。
多くの人は善良なのでこんなこと言わないが、無料で閲覧できる場に出すものに対し、関係者でも無いのにいちいち些細な誤字脱字の指摘や、こともあろうか内容へのダメ出しを寄越してくる奴は、ろくでもないと思う。
わたしが誤った道を歩んでいないか、たとえば自分が根拠の乏しい説を信じてしまったり、誤った判断をしていたり、お客さんに対して不誠実な態度を取ってしまったりーーーそうしたことに気がつき、必要なタイミングで警告や助言をくれるのはごく少数の身近なステークホルダー(直接の利害関係者)だけだ。
わたしのミスが今後のキャリアに致命的なものか、ゴミ箱にポイしたら一瞬で終わりになるものかを、無料ゾーンで閲覧している通りすがりの人物が判別するのはまあ不可能だろう。そういうことだから、無料で提供しているものに批判がくること自体わけわからんが、“助言“はまじで輪をかけて意味わからん。
周囲10人に向けた謙遜、潜在的な数万人には意味がない
謙遜は、とても有用なソーシャル・スキルだ。ただし、半径10メートルの関係性において。上司はあなたが謙虚な態度でアドバイスを請うと喜んでいろんな情報を融通してくれるし(たぶん)、取引先はあなたが柔らかな物腰で控えめに段取りを提案すると、これからも良い関係を継続してくれる(たぶん)。
そうしたふるまいは、密度の高いコミュニケーションには必要不可欠なものだ。
一方で、なにかモノを売りたい相手ーーーつまり不特定多数の潜在顧客1万人に対してはどうだろう。たいていの人は忙しいし、たいして他人には関心が無いので、謙虚な態度でコソコソとオススメしていてはその声はかき消されてしまう。
「××がちょっぴり上手くいかなかったけれど」、「難しい分野なので理解が追いついていませんが」、「もっとほかにいい物があったかもしれませんが」、「〇〇には負けるけど」・・・・・・はて。
こうした前口上からはじまるコピーに、いったい誰が振り向くのだろうか。
「自信なさげなひとこと」が添えてある作品に足を止めて関心を寄せてくれるのは、あなたの熱心なファンか母親だけである。あるいは、「どれどれ、批判してやろう」と寄ってくる奴。オーケー?
10人の周囲の人に向けて正解であるその謙虚で素晴らしいふるまいは、1万人のまだ見ぬ潜在顧客にはまったくの不正解である。お客さんが集まってこないどころか、天地がひっくり返ってもお客さんになってくれない嫌な奴を引き寄せてしまう。
お前のオールを任せるな
わたしには、わたしの成功や進展を心から願い、喜んでくれる相手からの助言と、わたしより優位に立ちたい・周囲に優位性を示したいといった嫉妬の気持ちの裏返しから寄越される助言風批判・コメント風批判の区別くらいつく。というか、みんなついてるでしょう?
そうしたとき、わたしの頭のなかには中島みゆきの歌詞が流れる。
お前が消えて喜ぶものに お前のオールを任せるな
・・・
いちおう、補足しておくと、こうした方針でSNSをやると決め、日々実行しているわたしの周囲は、平和でおだやかで素晴らしい方ばかりだ。
常に素晴らしい出会いに溢れている。いつもありがとうございます。
もともとたいした炎上力(?)も無いので、今後も平和にいきたいものである。
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