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義母の病気

お義母さんが亡くなり、仏教で言うところの49日も、もうすぐです。安らかに眠って欲しいのは勿論ですが、せっかく時空を超えられる存在になったなら、長い間離れて暮らした息子の傍で、もう少し見守って欲しいような気もします。義父の時も、そうでしたが、義母が他界した後、その存在が日増しに大きく大きくなっています。これまであった隔たり、言葉の壁と、11,000キロの距離が無くなったからという事もありますが、直接的には、クリスティン義姉さんから送られくる義母の思い出話の内容がとてつもなく濃いからなのですけど。

6月18日に義母が他界したと知った後の数日間、日本に居る私達は混乱していました。丁度、同じ日に、カンパラではCovid19の感染者数急増の為、ロックダウンが開始されました。数日前には、「お母さんが再入院した。PCRテストを受けて、陽性だった」という連絡が義兄から夫へありました。私達は、義母はてっきりコロナに感染して重症化して亡くなったものと思っていました。ところが、お葬式の動画が届くと、義母は、自宅で棺の中に安らかな顔でおさまってます。ウガンダでは、感染症で亡くなっても、遺体を自宅に戻す事が許されるのでしょうか?

姪っ子(クリスティンの娘)にメッセージアプリで聞くと、「コロナ陽性だったから、皆で看取る事ができなかった」との返事でした。義兄から聞いた事と一致しています。しかし、コロナでもお葬式ができる点については、「よくわからない」と言います。その後、義母と同居していた義姉のジョセフィーンと電話が繋がったので、確認すると、「コロナでは無かった、心不全だった」と言います。亡くなった時に一番近く、病院に付き添っていた義姉の言葉は信頼して良さそうだし、こんな時は、いつも連絡を取っているクリスティンに問いただしたいのですが、電話すると泣いてしまうからと、ボイスメッセージは届くものの、なかなか話ができませんでした。

1週間経って、ようやくクリスティンと話ができるようになったので、死因について聞いてみました。「ママはコロナ陽性ではなかった。カンパラでは、皆コロナを怖がっていて、誰かが病気になるとコロナだと誤解される。長年、血圧異常で色々な症状が出て苦しんでいたけど、クリニックに通院してコントロールしていた。今回、心臓発作が起こり、亡くなってしまった。血圧異常は1980年代に始まった。内戦の時に家に兵士が何回も押し入った頃のストレスの所為」とのことでした。大家族だと、重要な情報伝達(嫁としては、死因は知っておきたい)も、家族間で勘違いが生じるのでしょうか?お医者様が義兄に間違えた報告をしたのでしょうか?しかし、そんな事より、義母の血圧異常が戦争の時に始まったという事が衝撃的でした。今まで、義母に会った時も、電話で話した時も「お元気ですか?」と挨拶すると、「血圧の所為で調子が悪いです」と言われる事が何度もありました。症状としては、急に動悸が激しくなったり、血圧が下がった時は、眩暈がしたり、意識が無くなる事もあったそうです。40年もそんな状態だったとは、辛かったですね。しかし、ナントンゴは、高血圧とか低血圧って、生活習慣病的なものなのだろうと考えていて、敢えて原因を聞いた事はありませんでした。そして、日本に生まれ育った自分の平和ボケ加減に今更ながら気づきました。コロナ禍の今は、私にとっては、正に「緊急事態」なんですけど、ウガンダの夫の家族はロックダウン下でも、「退屈で困っている」位の愚痴しか伝わって来ない、動揺が感じられないと思っていました。あちらの家族の、夫より年長の人達は、皆さん内戦の時代の恐怖を体験しているからなのかも知れません。コロナ禍のロックダウンくらい、家に兵士が上がり込んで、財産を奪われる事に比べたら恐れるに足りないのではないでしょうか。

夫に、義母の持病がどのように始まったのか聞いてみたところ、内戦の頃の記憶を辿って話してくれました。とは言え、1970年12月生まれの夫は、兵士達が来るようになった頃は、10歳そこそこ、何が起こっているのかはっきり理解していたとは言えません。辛い思い出を語らせるのは、気が引けましたが、ついつい、クリスティン義姉さんに質問してしまいました。

「家を襲った兵士達とは?アミン軍?オボテ軍?それともムセヴィニ軍?」

クリスティンからの返事の内容は、長くなりますので、また次回に書こうと思います。




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