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ガンダ人の姪もキノコを食べない(キノコ族の話ーその2)

夫がキノコを食べられない理由が、ブガンダ王国のクラン(氏族)制度の為だというお話の続きです。

クランのはじまり

ブガンダ王国のクラン(氏族)はどうして動植物の名前なんでしょう?という問いへの答えになるかも知れない記述を見つけました。以下は、マケレレ大学所蔵の公開資料の一部を日本語にしたものです。

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ガンダ王国の初代王、カバカ・キントゥの時代にガンダの殆どのクランが始まりました。キントゥ王は北方からガンダの地に何人かのお供を従えて旅して来ました。その途中、干ばつがあり、食べ物が尽きてしまった時に、キントゥ王は、お供の人達、一人1人が何か食べられそうなものを見つけて持ってくるように提案しました。ある者は、動物を狩り、ある者は昆虫を採り、それぞれが異なるものを持ちよりました。キントゥ王は、更に、それぞれが自らが持ってきたものを食べてみるように、そして、もしそれを食べた後、吐き戻したり病気になる者があれば、食べた物を、その者のトーテム(象徴)とするように言いました。この事が実行され、クラン制度が始まったと言われています。

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英語の原文にご興味がありましたら、こちらから。

(猿族の最初のリーダーが、王国内で、どのようにして重要な地位を確立したのかというお話が主な内容です。)

ガンダ語は、現在は英語のアルファベットが表記に使われていますが、ヨーロッパ人が入り込む前、ガンダ王国の時代には口承しかありませんでした。その上、独立後のウガンダ国内の政争の為に、王政が廃止されていた時期もあり、ガンダ王国やクランの歴史には不明な事が多いそうです。

夫のクラン、キノコ族は、キントゥ王の時代よりも後に発生したそうのなので、成り立ちは異なるかも知れませんが、もしかしたら、夫の祖先が、キノコを食べて病気になったのかも知れないですね。

現代社会にも生きているクランのしきたり

夫がキノコを食べない理由を説明する為に、ずいぶんな情報量を詰め込んでしまいました。しかし、700年に及ぶ歴史の重みがあってキノコを食べないという事を伝えずに、日本で夫と知り合った皆さんから、好き嫌いだと思われたら困るのです。「キノコの美味しさを知らないなんて可哀そう、味を教えてあげよう」なんて親切心を発揮したくなる人が現われるかもしれませんから。

などと言っている自分が一番、危険かも知れません。ティーンエイジャーの姪っ子をカンパラで韓国料理店に連れて行った時には、危うくキノコ入り鍋を食べさせそうになりました。キノコ族の一員である姪っ子は、自らキノコの香りを嗅ぎ分け、危険を察知して、鍋にキノコが入っている事に気付き、食べるのを辞めましたが、恐怖で食欲がなくなり、その日はアイスクリームしか食べずに韓国料理店を後にしました。キノコを食べ慣れている人間には、料理に入っているキノコの香りを嗅ぎ分けるのは難しいのですね。自分、姪にとっては、ナントンゴ叔母さんは、先に鍋を食べていたにも関わらず、まったくキノコが入っている事に気づきませんでした。言い訳ですけど。

「もしキノコを食べてしまったらどうなるの?」と姪っ子に聞いたところ、

「病気になるにきまってるでしょ」即答でした。

では、他のクランでは、どんな食べ物の制限があるのでしょうか。

現在、ブガンダ王国で認識されている52のクランの中で、食べられそうなトーテムは牛族と、バッタ族位でした。「食べたら病気になった」がクランの由来であれば、少なくて当然かも知れませんね。

牛はウガンダで沢山飼育されていますし、ガンダ語で牛肉は、ニャマと呼ばれ、ご馳走の一つですので、食べられないのは気の毒です。バッタも、ンセネネと呼ばれ、翅、脚、触覚を取り除いて、塩コショウ味で炒めると非常に香ばしいご馳走ですので、気の毒です。残念ながら、これまでに、牛族の方にも、バッタ族の方にも会った事がないので、直接気持ちを聞いた事がないのですが、もしお会いする機会があれば、伺ってみたいと思います。

ふと、日本の皆さんにとっては、バッタが食べられないで気の毒な話より、バッタがご馳走という話の方がインパクトが大きいのかも知れないと思い、ご馳走の写真を探しました。キノコ族の話からは脱線しますが。

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11~12月頃だけ食べられるご馳走です。家庭でも調理しますが、画像は、市場で、調理したての新鮮なバッタフライを売っている所です。サクラエビのような見た目ですね。味も甘えびのようで、甘くて香ばしくてお勧めです。他の食べ物に比べて高価で、1スクープが300円位したように記憶しています。



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