見出し画像

大きな窓

数多ある富山県の農山村のなかで、私たちが「この場所にしよう」と思った決め手は、里山を背に北へ向かって段々と下っていく美しい田園風景だった。ちょうどとなみ野に広がる散居村景観の終点のような場所で、うちの辺りから眺めるならば電線も民家もその眺望を妨げない。だから、この納屋を店にしようと決めたとき、私たちの一番のこだわりは、その風景がよく見える大きな窓をしつらえることだった。

額縁のように景色を切り取る大きな窓は、季節ごとの農村景観の変化を、その絶え間ないグラデーションを映し出した。一日のなかで、天気や時間によっても、その景色は表情を変え続けた。店内のカウンターからこの景色を見ていられることが、私たちの幸せだった。

大きな窓

ある日、遠い昔にこの辺りに住んでいらっしゃったという女性が来店された。その方は、当時、この店を取り囲んでいるような農村の風景が嫌で嫌で仕方がなかったのだそうだ。一刻も早くこの風景から抜け出したいと考え、後年、実際にそのようにした。それから何十年も経って、彼女はSNSでこの店のことを見つけた。私たちは、大きな窓が切り取るこの場所の景色をよくSNSに上げていたから、そのどれかが目に入ったのだろう。窓枠の外に広がる驚くほど美しい郷里の風景を見て、思わず泣いてしまったのだ、とその方は教えてくれた。この場所がなければ起こらなかったであろうその出来事についてお話を伺い、私たちは「この店を始めてよかった」と心から思った。これはうちの六年間の営業のなかで、最も嬉しかったことのひとつだ。

一方で、安全な場所から絵画を鑑賞するようなまなざしで、ここから見える景色を「消費」してしまうことに関して、自分たち自身に疑いがないわけではなかった。店舗という空間と景観を切り取る大きな窓には強力な異化作用があり、田畑で働く人たち、犬の散歩、飛び交うトンボや走り去る軽トラックを、全て美しい絵画に変えてしまう。それは、農村の日常から美しさを抽出し提示する、大きな意義のあるものであると同時に、ある種の暴力性を伴うものであるようにも思えた。

田植えの季節

一度、庭師さんが営業に来られて「お客さんは非日常を求めて来店するのだから、敷地内の空間を作り込んだ方がいい」というような趣旨のお話をされたことがあった。「非日常」という言葉に違和感があったので、よく覚えている。

うちのお店(店舗空間 / 窓)を通して「非日常」を感じに来られる方、例えば農村の風景を楽しみに都市部から訪れるお客さんは当然いらっしゃると思う。珈琲の香り、本に囲まれた空間、美しい田園風景。その特別さは、実際、私たちがお店を通じて提供したいと考えているものだ。そういう意味で、確かに私たちはここで「非日常」を提供しているし、それを大いに肯定してもいる。

一方で、私たち自身は、この空間を、ここからみる窓の外の景色を「非日常」であるとは考えていない。私たちがその大きな価値を信じ、コメ書房がレプリゼントしているものがあるとすれば、それは農村の「日常」そのものだからだ。

窓から見える田園風景

これは二者択一的でも、二律背反的でもない。からまりながらも両立するものだと思う。三十五度を超えるような真夏の日、空調の効いたお店のなかから、緑色の稲が輝きながら風に揺れる様を見て「こんなに美しい光景はほかにない」と感じることに嘘はない。それと同時に、その景色のなかにいる自分を想像することは可能だ。茹だるような暑さを、服にまとわりつく汗の不快さを、飛びまわる虫の鬱陶しさを。あるいは、稲を揺らす風や田んぼにあてる水の音を、そこに棲む生き物たちの躍動感を、刈りたての草の爽やかな香りを、想像することは可能だ。そして実際にそこに立ってみることも。

だから私たちにとって、積極的に窓の外に身を置くことは、どうしたって必要な営為だった(もちろんお客さんにそういうことを求めているわけではない)。いち住民として当然ながら、地域の各種出役にはなるたけ前向きな気持ちで参加した。畦の草刈りの話が出たとき、手を上げたのもそういう思いからだった。きれいごとだろうか。きれいごとなのだと思う。実際のところ、こういう潔癖性のようなものが、お店の寿命を縮めてしまったという面はあるかもしれない。しかしそういう選択をとったことを、私たちは後悔はしていない。

変化する風景

どちらだけがどうとか、何かだけがいいとか悪いとかというような、シンプルな話ではない。ものごとはグラデーションで、個別であり、なおかつ変化する。日常と、非日常。環境と、消費と、労働と、感情、美しさ。そのほかのいろいろが、複雑に交差しからまっている。そのような複雑さを複雑なまま抱えた上で、店の中と外のあわいにある大きな窓が、そこから見える絶え間なく変化する風景が、私たちは本当に大好きだった。

なんだか長くなってしまったが、まとめるならば、私たちが伝えたいことは簡潔かつ明瞭だ。

ここは、本当にきれいなところです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?