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🇨🇦心の扉を開けてくれた国🚪vol.1〜留学に行くまでの話〜


vol.1:留学を決めたワケ

「私って何もできない」

大学3年の夏にさしかかった頃、周りは就活モード一色になった。
自己PR を必死に考える友人たちに囲まれながら、ただ真似っこのように机に向かって座る。
鉛筆を走らせ、強みを一つ一つ、淡々と書き込んでいく友人たち。
その中でいつまで経っても何も書けない自分がいた。
それなりに勉強も、習い事も、部活動も頑張ってきたつもりだった。
何にどうしてだろう。自分の強みが何一つ浮かばなかった。

考えてみれば、母が引いてくれたレールをまっすぐ、間違うことなく、ただ歩いてきた日々だった。
15年間頑張ってきたピアノも、自分のためではなく、母が喜ぶから続けてきたのかもしれない。
高校3年間、全国大会に出場し続け、仲間と踊りに明け暮れたバトントワリングも、母の期待に応えるためだったかもしれない。
もしかしたら、姉より秀でたものを何か一つでも成し遂げたいと言う、劣等感の塊だったのかもしれない。
何もかも自分の意思で選んだ道ではなかったのだろう。全てが情けなく、中途半端に感じて、、鉛筆が全く動かなかった。

あぁ。私って結局、何も頑張ってないんだ。
ただ母が導いてくれた道を間違えないように、歩いてきただけだったんだ。」


「このままでいいの?」

漠然とそんな疑問が自分の中で浮かんだ。
本当にやりたいこと、やりたかったことってなんだったんだろう。

ふと、『プラダを着た悪魔』と『ゴシップガール』の世界観が頭の中によぎった。

「そうだ。私はここ(日本)から飛び出して、海外に行きたかったんだ。」

一度は諦めた海外留学の道。
それからずっと言葉にできなかった。
母の理想や想い、お金のこと、自分の身体のこと、色々な不安要素が巡って、いつしか言葉にすることから逃げていたのかもしれない。

きっと不安要素と向き合うのが怖かったんだと思う。


「TOEIC280点しかないんですが、留学できますか?」

留学エージェントに相談に行って、最初に放った言葉だった。
留学の準備なんて何もしてきていなかったし、英語も得意ではなかった。
本当に留学にそもそも行って大丈夫なレベルなのかすら、分からなかった。

「生活する上で困る可能性もあるかとは思いますが、留学にはいろいろなかたちがあるので大丈夫ですよ」とおしゃってくれた。
(いや、今思えば全然大丈夫なレベルじゃないけども、、。)

そこから相談を重ね、語学留学+ファッション編集者のインターンで留学を1年程する方向性で進んだ。
国はニューヨークと言いたいところでしたが、初めての留学という点や、生活のしやすさ、語学学校やインターンなどの状況からカナダのトロントへ留学することにした。


いよいよ母に、相談

留学エージェントの資料を握りしめながら、どうやって切り出そうか何度もタイミングを見計らって、話を切り出した。

「私、今秋からカナダに語学留学とインターンをしに行きたい」
母はポカーンとしながらひたすら頷いて、話を聞いてくれた。

後にこの時の心境を母に聞いたら、驚きすぎて言葉が出てこなかったそうだ。
でも初めて私が、「自分からやりたいと言ったことだったから、絶対に叶えてあげたい」と思ったそうだ。
ここからトントン拍子で話が進み、あっという間にカナダ出発の日を迎えたんだが…。


ワクワクしかない出発の朝

初めて1人で海外に行くのに、なぜだか不安も全くなく、それよりもワクワクしてたまらなかった。

初めて1人で旅にでる。
英会話もできない。
ましてや家族と離れて1人で生活すらできるのかも定かではなかった。

この時の感情は今でも鮮明に覚えていて、ただただ一思いに、
今からが、私の人生のスタートだ」と。

続く…




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