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支援制度の改革を目指す方へ〜感情は「抑え」て、2つのポイントを「押さえ」よう!

かがやきクリニックはもうすぐ開業から10年が経ちます。
この間に、小児在宅医療の関連で様々な支援制度の変遷を目の当たりにしてきました。
また、自分自身も過去に、ある支援制度改革のために署名を集めたり、議会へ請願をしたこともあります。

そういう経験から言えるのは、善し悪しは別にして、
「支援制度改革は感情論では難しく、理論的な作戦を練る方が実現しやすい」
ということです。
そして、作戦を練る際に絶対押さえておいた方が良いと言えるくらい大切なのは、以下の2つの視点のどちらかがプレゼンに含まれていることだと思います。

1つ目は「不公平さの改善」という視点。
2つ目は「今の支援制度では絶対的に足らない」という視点。

どちらも感情ではなく、理論で説明するプレゼンの方がベターです。

「そんなことはいつも言ってるよ! 制度は不公平だし、今のままだと絶対的に足らないのは分かってるのに、今さら何のことだ!?」
と思われる方も多いと思います。

実は、この2つのポイントとも、支援を受けようとする側・および我々のような支援者側の人間が持つ視点と、行政側が持つ視点が微妙に違っているのです。
レベルが違いすぎる例え話を不愉快に感じる方もいるかも知れませんが、敢えて2つを日常生活に例えると、以下のような感じなんです・・。

【「不公平さの改善」という視点】

1つ目の「不公平さの改善」という視点は、子どもとの小遣い値上げ交渉が分かりやすい例ではないかと思います。
ちょっと想像してみてください。

月の小遣いを1000円渡している我が子が
「1000円は少なすぎるから2000円にしてくれ!」
と言ってきたら、親であるあなたはまず理由を聞きますよね。

もし我が子が
「○○ちゃんちが2000円なのに、うちは1000円で少な過ぎる!」
と言ってきたら、親のあなたはどう応えますか?

・・そう、多くの家庭では、
「余所は余所、うちはうち! ○○ちゃんちは関係ないでしょ!」
という返答で、議論に発展することはないのではないでしょうか。

でも、仮に我が子が、
「お兄ちゃんが中2の時に2000円だったのに、僕が中2で1000円は不公平だ!」
という事実を突きつけてきたならばどうでしょうか。

・・これだと、多くの家庭で、
「同じ家のルールだから、同じ額でないのは確かに不公平かも・・」
という考えに向かうのではないかと思います。

実は、ここがミソなんです。

「他の自治体にある支援制度だから、うちの自治体でも制度化せよ!」
という論調で、支援制度の改革を求めることって結構ありますよね。
でも、これは
「その制度があった方が良いのは分かるけど、余所の話だからねえ」
となりがちで、まさに他の家の子どもの小遣いと同じく、議論に発展しにくいんですよね。

ですが、同一自治体内での不公平であれば、それは同じ家の小遣いと同様、「同じ自治体に住んでるのに、確かに今のままだと不公平だよねえ」
と分かってもらいやすく、改善に向かう議論に発展しやすいのです。

・・このように、目指す支援制度の改革が実現しない状態のままだと存在している、同一自治体内での不公平さを見つけて、それを切り口に願い出る、これが1つ目の「不公平さの改善」という視点のプレゼンです。
支援を受けようとする側や、我々のような支援者側の人間が持つ視点と、行政側が持つ視点が微妙に違っていると書いた理由が、何となくお分かりいただけるでしょうか?

【「今の支援制度のままだと絶対的に足らない」という視点】

次に、2つ目の「今のままでは絶対的に足らない」という視点は、子どもの弁当を例に説明してみます。

毎日学校へ行くのに弁当を持たせている我が子に、
「コンビニ弁当買うからお金が欲しい!」
と言われたとします。

普通だったら、親のあなたは、
「自分の弁当があるから買う必要はないでしょ!」
と答えるでしょう。

このように、すでにあるものの代わりや、すでにあるものでは足らなくて必要と感じる新しいものの要求には、現在のままでは絶対的にダメな理由のプレゼンが必要不可欠です。

ただ、理由のレベルも色々で・・。

例えば、
「教室が暑くて昼までに弁当が痛んでしまう!」
は、子どもからすると確かに理由ではあるかもしれません。
しかし、クラスで弁当が痛むのが我が子1人だけであれば、
「うちの子の保管の工夫が足りないだけなのでは?」
と考えませんか?

こう考える親に対して、子どもがとるべき作戦は、以下の2つのどちらかです。

作戦1) 「自分の席だけ直射日光がエグい」など、他の子が痛まないのに自分だけ痛む必然性を、客観的に説明する。
作戦2)「他のクラスでも窓際の子はみんな痛んで困ってるから、窓際の子はみんな買わないと無理」など、複数の共通項を調査して説明する。

「家から持って行く弁当では無理なんだ!」
と主張する子どもは、親にとってその理由が客観的に分かりやすく説明しないと、理解してもらいにくいですよね。

この例から言いたいのは、「今のままでは絶対的に足らない」との視点でのプレゼンは、相手に「個人の主観で足らないと思ってるだけではない」と理解してもらえるかが大きなポイントだということです。

制度を作ったり運用したりする側からすると、
「今の制度のままで何とかなっている家庭が大多数なのに、なぜこの家庭だけ無理だと言うのだろう?」
という疑問が氷解するようなプレゼンがないと、
「それは個人的な主観じゃない?」
と思うのも仕方がないわけなんですよね・・。

このように、「今の支援制度のままだと絶対的に足らない」の捉え方も、視点に微妙なズレがありますよね。
視点のズレによる疑問を氷解させるためには、
今のままでは絶対的に足らない特殊性があると客観的に示す作戦1)か、
広範囲に調査して自分だけでなく共通の困りごとと示す作戦2)か、
どちらかが理解のきっかけになる可能性を秘めると考えています。

【「この程度の例外くらい認めてよ!」と思うけど・・】

ここまで読んでくださった方、長文にお付き合いありがとうございます。

中には、
「そんな面倒なことを言わずに、この程度の小さな例外を何で認めてくれないの!?」
と憤る方もおられるのではないかと思います。

そのお気持ちは、私も様々な方の支援をする仕事をやっているので、本当にひしひしと伝わってきます。

しかし残念ながら、「例外を認めてほしい」と詰め寄っても、普段からものすごく小回りのきく小規模自治体以外ではハードルはそうとう高いのが現実です。
それは、支援制度にないことを「個別に特例で認める」ことが、1つ目の視点として挙げた「不公平さの改善」に逆行する「小さな不公平」に見えてしまうと、行政側には非常に受け入れられにくいからです。

ですから、制度の改革までは求めずとも、現行制度の中での例外を認めてほしいと願い出る場合にも、なぜ例外的な個別対応が必要なのかを、すでに述べた「不公平さの改善」もしくは「今の支援制度のままだと絶対的に足らない」のどちらかの視点に立って説明して、理解してもらうようにすることが、最低限必要だと感じています。

【まとめ・・にはなりませんが・・】

以上、この仕事をしてきた約10年間を振り返り、経験をまとめて述べさせていただきました。
繰り返しになりますが、支援制度改革の実現へは、作戦立案を含めて本当に時間がかかることを知りました。
場合によっては、マスコミやインフルエンサーの力を借りたり、政治的な場での議論をしてもらう努力をしたり、という経験も・・。

とはいえ、これはあくまで私個人の経験に基づくお話で、もっと違う形でいろんな制度改革を進めてきた方もおられるかもしれません。
善し悪しは別の経験談として、支援制度を改革したいと考える方の参考になれば・・と考えての記事ということでご理解ください。

もう一つ、最後に言っておきたいのは、支援制度を作り、運用している行政の方も大変で、ルール内で公平性を担保しつつ、いかにニーズに対応するか神経をすり減らしている、ということです。

約10年の間に、多くの行政関係の方とお話をする機会がありました。
中にはもともと友人だった人もいますし、仕事をする中で仲良くなった人もいます。
特に小児在宅医療の分野については、医療的ケア児支援法の成立など政治的な動きも大きく、この10年で取り巻く環境が劇的に変化し、支援制度とリソースも比べものにならないくらい改善してきました。

地道な活動の積み重ねをしてきてくれた多くのパイオニアの方々と、一緒に改革に取り組んできてくれた行政の方がいて、小児在宅医療は開業後の10年だけでも劇的に変化しました。
まだ制度的に不十分なことがいっぱいあるのも目の当たりにしますので、さらに時代に即した改革が進めばいいな・・と願っています。

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