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濃密な10月

10月が、もうすぐ終わる。

2023年の中でも1番濃かった月、
と言っても過言ではないかもしれない。

長くなりそうだけど、整理のために書く。

祖父の死

濃密な10月に起こった出来事の1つに、
祖父が亡くなったということがあった。

それに伴う家族構造の変化もあり、

血縁とは?男女とは?
死ぬとは?生きるとは?

いろんなことを考えた10月だった。


そして祖父の死を間近に見て、
現在11歳年上のパートナーと2人暮らす私は、

「そうか、孤独死のパターンってあるんだな、私には」

とも思った。

何故かそれがとても怖くなった。

祖父の死という一連の流れの中で1番怖かった気づきだった。

誰にも気づかれずに、
なんなら、自分で「もうこれで最期だな」とも気づかぬうちに、この世からいなくなることはとても怖いことのように感じた。

自分が生きた何十年は一体どのようにして、現世に残っていくんだろうと思った。

自分が成り立つのは他者がいるからだ、
とはよく言ったもので、

(少し哲学的なことも混じるが、)

普段「自分」と思っている者は、
「他者」に照らされることで存在しているのだから、

自分「の」死も、実は、

他者に「この人は死んだんだ」「もうすぐ死ぬんだ」と照明してもらわないと、

案外わからないものなのかもな、と思った。

そう思うと、子どももおらず、歳上のパートナーと暮らす私は、

死ぬ時に誰にも照らされずに悟られずに、
死んでいく可能性があることを実感して、

自分が本当にこの世に存在していたのかどうか、分からなくなるかもしれないことが、
本当にとても怖くなった。

推しグループの崩壊

そんなことを考えて、足場が揺らいでいた矢先、
私が7年間推していた、「東海オンエア」というYouTubeグループが危機に陥った。

詳細は省くが、
夜中まで、メンバーや妻への罵詈雑言に埋め尽くされたTwitterには戦慄した。
もう終わりだと思った。

ああ、7年間応援してきたものは、
このタイミングで崩れ落ちてしまったのだと思った。

聖地巡礼までして、動画のセリフも覚えるくらい繰り返しみていて、そのグループの絆?的なものも感じていたのに、
崩れるのは一瞬なんだなと思った。

もともとそんなものは嘘だったのかもしれないとまで思った。
私が7年見ていたものは、ただの幻想だったかもしれないことに気づいて、
これまでかけたきた時間に対する絶望もした。

そこからエンタメへの欲が失せ、
現在、あまりYouTubeも見なくなった。

元から作り物だとわかっているドラマや映画しか見れなくなった。

私の大きな娯楽の1つがなくなって、
かなりの喪失感に毎日苛まれている。

YouTubeに、あるいは彼らに、実はどれだけ助けられていたかということを思い知った。

私はこれから何を癒しに、何を笑いとして、
生きていくんだろうか、と思った。

縁の結び直し

ここまで、自分の10月の危機について書いたが、良かったこともある。

まず一つは、この10月に入って、研究の新規性を先生に認めてもらい褒めてもらった。
(今日のゼミでは調子に乗るな(意訳)と釘を刺されたが笑)

今すごく研究が楽しい。
大学院生活も折り返しを過ぎたところで、ようやく飛び交う哲学の言葉に、少しついていけるようになった。

自分の意見も言えるようになってきた。

仕事をしていた時の苦し過ぎた3年と
同じ3年という年月の在籍予定なのに、
全くすぎる時間が違うことに、とてもありがたく感じている。

楽しいと言える環境に出会えることは、
そう当たり前なことじゃない、と何度も強く思って過ごしている。

そして、10月は図らずも、大事な人と会う約束の多い月になった。

この人といると、
「自分の好きな自分でいられるな」と思う人たちとの縁を感じる月にもなった。

お葬式等でキャンセルしてしまった予定もあるけど、31日までにも、まだあと2人ほどと会う予定がある。

普段、あんまり立て続けに人と会う予定が入ることはないけど、
足場の崩れているこういう時に、

自分の人生にとって大事な人と会える、
という巡り合わせで日々が動いているのは、本当にありがたいと思う。

過去に自分が生きてきたことや、

どういう人間関係を築いてきて、
どういう態度や立場をとってきて、
何を大事にして生きていたのか、

を思い出させてくれる大事な人の存在は、
いろんな悩みや傷が入った今の私の心に染み渡る。


まだ全て整理できたわけでもなく、
現在進行形のことも沢山あるけれど、

いろんなことの転機となるような、

これからの歩み方、生き方、人との繋がり方、
いろんなことに気づきをくれた10月だった。

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