誰が米坂線を殺したのか

羽越線坂町駅と奥羽線米沢駅とを結ぶ米坂線は、もともと新潟と山形・仙台とを結ぶ都市間連絡路線として建設され、かつては新潟仙台間に準急あさひ、後の急行べにばなが走っていた。それでも陸路では不便だったので、新潟仙台間は飛行機も飛んでいた。最近になってトキエアが新潟仙台間の航路を復活させたところである。並行する国道113号は今でも新潟と山形とを結ぶメインルートで、沿線人口の少ないエリアを通ることもあり、通行する自動車の大半は通過交通である。そのため、盛岡宮古間の国道106号と同様に五月雨式に地域高規格道路が建設されているところである。

そんな米坂線であったが、早々に新潟仙台間のメインルートとしての地位を失い、急行べにばなの運転区間が新潟仙台間から新潟山形間に短縮された。さらに、山形新幹線建設のため福島山形間の奥羽本線が標準軌に改軌されることになり、米坂線の列車が米沢から先に行けなくなった。その後磐越道が全通し、新潟仙台間の輸送は高速道路経由にシフトした。

その後米坂線の減便が進み、並行する国道113号では車が行き交っているのに米坂線は秘境路線になってしまった。もともと都市間連絡鉄道として建設されたため、荒川沿いの人家の希薄な所を通っており、地域交通の需要はほとんどない。並行する国道113号ですら地域交通の需要はほとんどない。
さらに荒川沿いに新潟県と山形県との県境があり、地域交通の需要は県境で分断されている。米坂線がそこそこ利用されているのは分水嶺の東側、最上川水系の飯豊町から米沢市にかけてのエリアである。都市間連絡鉄道から都市間連絡を無くしたらほとんど何も残らない。

そもそもローカル線に関して誤解があるようだが、鉄道建設の目的は広域の貨物輸送であり、その次が広域の旅客輸送である。普通列車が走っているのは単線区間で列車交換が必要だったり、かつて小荷物輸送のために駅で荷扱があったためであり、国鉄が荷物列車をやめるまでは全国各地で荷物車を連結した長距離普通列車が走っていた。東北本線ですら東北新幹線開業直前まで上野発の客車普通列車がはるか一関まで走っていた。昭和30年代くらいまでは普通列車で長距離を移動するのが当たり前だった。途中停留所で客扱いをする高速バスのようなものである。各駅に停車する普通列車なら区間利用もできるが、もともとそのような目的のために建設された路線ではないし、ましてや高校生の通学輸送のために建設されたわけではない。都市間輸送の需要を失った高速バスが廃止されれば、途中停留所相互間の区間利用もできなくなるが、区間利用だけで高速バスの採算が取れるわけではない。

米坂線は2022年8月の豪雨で被災し、東北本部管内の米沢今泉間は復旧したが、今でも新潟支社管内の今泉坂町間が不通で、未だ復旧の目処が立っていない。もともとこの区間は人口希薄な荒川沿いの渓谷なので、輸送需要が極めて少ない。しかも山形県と新潟県とにまたがっているので、山形県と新潟県の双方が費用負担に合意しないと復旧の目処が立たない。しかし新潟県にとって関川村は末端区間に過ぎず、フィーダー輸送の路線バスで足りてしまう。そのため米坂線復旧のための調整がつかず、復旧を求める山形県にとって都合の悪いことになっている。

しかし元はといえば米坂線が最低限山形までの都市間連絡鉄道としての機能を失ったのは、山形県が山形新幹線による東京直通を求めた結果である。対新潟よりも対東京の方が輸送需要が圧倒的に多いので、それ自体は合理的な判断だが、荒川流域の米坂線が秘境路線化したのは山形県が対東京の需要を優先させた結果である。秘境路線化してしまった荒川流域の米坂線に復旧に消極的な新潟県のせいにしてはならない。

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