日本ではもう政党政治は無理なのではないか

政党とは、共通の政治目的を持つ者によって組織される政治団体とのこと。複数の政党が議会に代表者を送って議会での議論や議決で法律を決めるのが政党政治である。一党独裁の場合は通常は政党政治とは言わない。

政党政治は二項対立のような単純な社会では二大政党に収斂して政権交代が容易になることから競争が起きやすいという利点がある一方で、民意が多様になってくるともはや政党としてのまとまりを持てなくなる。日本では野党が弱すぎると言われているが、そもそも強い野党が形成されるほど単純な社会ではないのだから、そのような社会で政党政治を行おうとすること自体に無理があるのではないだろうか。

例えば仮に鉄ヲタに共通の利害があるとする。しかし鉄ヲタが社会の過半を占めることはないので、小選挙区から代表者を送り込むことができない。仮に政党を作ったとしても参議院の比例代表で1人送り込むので精一杯だろう。議会は主要党派に有利に運営されるものなので、代表者を1人議会に送り込んだとしても議会での影響力は無いに等しい。鉄ヲタをジャニオタに置き換えても同様だろう。しかも、そもそもそれらの集団に共通の利害があるかすらも怪しい。

民意が多様になればなるほど政党政治のもとでは民意が反映されにくくなり、既存与党が強大な影響力を持つに至る。まるで政党や議会といった一見すると民主的な仕組みそのものが多様な民意の反映を阻止するために機能しているかのようである。むしろ、「民主的なプロセスに基づいて決定したことには、国民は全面的に従わなければならない」というアリバイ作りのようにすら見える。それならばいっそのこと情報技術を活用して直接民主政に移行してしまえばよいのではないかとも思ったが、そうなると直接民主政による議決を管理する事務局が議題を操作することによって強大な権力を得ることになる。では誰が事務局をやるかといえば、おそらく霞が関だろう。

実質的に法律を作っているのは霞が関なので議員がいようがいまいが実はそんなに違わないのではないかという気もしてくるものの、霞が関にとっては強大な与党が1つだけあってそこに属する議員にのみ説明する方がコントロールしやすいだろう。それに対して直接民主政で国民全員に説明するというのは顔に見えない相手に説明するということなので、とても大変なのではないか。それでいて直接民主政はパブリックコメントに法案を承認するレベルの強制力を持たせるものであり、いくら議題を操作できるといっても、顔の見えない相手が強制力を持つというのは霞が関にとっては最悪なのではないだろうか。実質的な権力を有するものが自ら権力を手放すことなどありえない。だとすると一体誰のための民主主義なのだろうか。

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