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エッセイ的なもの:AIの食卓

近頃、絵を描くAIが話題だ。Twitter上ではやれ人間の仕事が奪われるだとか、やれ人間が好きそうなことをやるなだとか、そんな投稿がひっきりなしに流れてくる。わたしもシステムとしてのクオリティには感心できるものの、技術の進歩に自分の仕事の不安が無いとは言い切れない複雑な心境だ。

今世間の注目を集めているAIというのは、膨大な量のデータを取り込んでパターンを学習、それを基礎にオーダーに応じて出力するという流れが主流らしく、例のmidjorneyという絵を描くAIもワードをオーダーとして入力するとネット上に無数にある画像データを学習し、語句に関連したものを組み合わせて出力するらしい。
そのため、ワードによっては元になった画像のノイズをパターンとして取り込んでしまうものがあり、上手く望み通りの絵を出力させるには難儀するようだ。いかに瞬時に上手い絵を描く凄腕のAIと言えども、結局はたくさんの人間が描いた絵を参考にしているということの顕れでもあり、可愛げがある。

ところで、人間の生命維持には多くの栄養素が必要だが、その必要な栄養素の一つであるアミノ酸のうち、体内で殆ど生成出来ないものを必須アミノ酸と言う。リシンやロイシンなどがそれに当たるものだが、これらを体内に取り込み生命活動を維持するために人間は肉を食べなければならない。その肉・必須アミノ酸を効率的に摂取するために人間は家畜を育てるようになったわけだ。今日においてもわたし達が槍や弓矢を担いで野山に分け入らずとも気軽に肉が食べられるのは、農業や畜産業に関わってきた人たちの努力があったからこそだ。

さて、話を戻すと、機械やAIの絵には感情が無いだとか人間らしさや人間のぬくもりを感じないだとか言う人がいる。確かに、例の絵が上手いAIの絵を見ると細部は不気味なほどに不規則的で、無機質的に合成されたものだと言うことが感じ取れる。AIには無機質的だとか不気味だといった機微が理解出来ないからこのように出力してしまうのだろう。
しかし気の遠くなるような遠い未来、或いは巷でシンギュラリティが起こると言われている2045年、仮にAIが人間を超えて自立的に行動し独自の文化を築いているとしたら、「人間の作ったもの」を学習することで成り立っているAIはどうなっているのだろう。そう思考に耽っていると、「人が豚を育てて食べているように、AIも人間を育ててわたし達が"人間らしさ"と呼んでいるものを摂取しているのかもしれない」という考えに辿り着いてしまった。
人間はAIによってQOLを向上させ、より"人間らしい"生活を獲得したつもりでも、AIはより効率的に"人間らしさ"を摂取することを目的として人間を育てているだけかもしれない。という妄想をした。そんな恐ろしくも胸が高鳴る世界を是非この目で見たいし、そういう筋書きの映画や小説は探したらいくらでもありそうだ。

無かったらAIに書いてもらおうか。



(実際のところ、感性とは脳みその電気信号なので、多くの人にとって子どもの絵とハイレベルな現代アートの見分けが付かないようにAIの絵と人間の絵は見分けは付けられず、そもそも重要なことは電気信号が出るかどうかなので見分ける必要すらなさそうだ。故に脳みその理解が進めばAIだって"食事"を取らなくても人間らしさを獲得できるだろうな、という妄想。SFはいつだって考えてるだけで楽しい。)

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