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【ワタクシゴト】美味しくないフルコース

1ヶ月に何度も「特別でいたい」と「普通になりたい」をループする

アミューズとして、 「エピローグ」

小さいときから「みんなと同じ」を避けてきました。

幼稚園生の頃、「好きな色はなに?」と聞かれて周りの女の子が「ピンク」「水色」と答える中、本当はピンクが好きだったけど「黄色」と答えていました。

小学校に上がる前、みんなと同じ色・同じ形のランドセルを買うのは嫌でした。だから私は「錠前が底面でなく側面についてる形で、茶色のランドセル」を選びました。

学校の中では、何か役割があることが私にとっての「みんなと違う」でした。学級委員や行事の実行委員になりたがりました。委員の中でも委員長という存在が「特別」な感じで、魅力的に感じていました。

当時は「成績優秀であること」「課外活動を頑張っていること」「習い事をしていること」なんかも私にとって「みんなと違う」ことでした。

持ってるもの、着ている服、好きなもの、好きな人、誰かと一緒は嫌でした。誰かと被りそうだったら、敢えて避けてきました。

「私はみんなと違う」が嬉しかった。
「役割」が欲しかった。
「私は特別」が楽しかった。

「みんなと違う」を集めて、私は・・・

私は、何になろうとしているのだろう。

オードブルとして、 「夢中になっていること」

どうしてやっているのか、忘れかけていました。

「大学生活で夢中になったことはなんですか」という質問に対して、エントリーシート200文字の項目に書くには優先順位の低いソレは「もしかしたら語られる機会なんてないのかもしれない」と、ふと思いました。

自分をアマチュアと名乗って良いのかもわからない、本当にちょっとした趣味のソレは、それでも確かに私の感性を研ぎ澄ませ、日常を造って、彩ってくれているものなのです。

私は写真を撮るのが好きなんです。

スープとして、 「私の親友は演劇部」

私の高校には演劇部がありました。私の高校はいわゆる進学校で、学業最優先が大前提。部活動は盛んとは言えませんでした。演劇部も、当時部員は少なめで、大会にも出ることがなく、文化祭などの学内の発表を目指して、教室で練習していました。

高校1年生の頃、私は演劇に対しては多少の興味がありましたが、放課後の1時間を割いて、小さな演劇部の学内公演なんて見に行こうとは思いませんでした。

高校2年生になって、私のクラスには随分演劇部の生徒がいることに気がつきました。彼女たちと仲良くなって、世間話の中で「演劇を作る過程」を聞くことになりました。そのうちの一人とは、心を許せる親友になりました。そして、多少の興味が充分な興味になって、私は初めて彼女たちの演技を観に行ったのです。

あのときの衝撃を、今でも覚えています。

ステージは教室で、スポットライトなんてありません。ステージ袖なんてないから、気持ち程度に板が立っているだけ。

だけど、黒板の前のステージは彼女たちの演技の中で部屋に変わり、帰り道に変わり、校舎へと変わっていくのです。

いつも話している友人としての彼女たちの姿はどこにもなく、全くの別人が存在していているのです。

小道具も、音響も手作りで、監督なんていませんから全て自分たちで演出を手がけていました。そして何より驚かされたのは、脚本までもが部員のオリジナルだったことです。

創造者で、表現者でした。

同級生が何もかもオリジナルで「ゼロからイチ」を生み出しているサマに、素直にカッコいいと思いました。

ポワソンとして、 「謙遜な彼女」

彼女たちの演技を初めて観てからというもの、私は彼女たちのファンになりました。サッカー部だった私は、雨の日の部活が早く終わる日には演劇部の練習を観に行き、劇が創られる様子を見るのが楽しみでした。

学内公演は全て観に行きました。

只々、表現を惜しまない姿をカッコイイと思いました。

特に中学から演劇部だった親友は、素人目にも分かるほど、演技が上手でした。

でも、演技だけでなく、私にとって彼女は丸ごと憧れで、尊敬の対象でした。だから私は、心素直に、まるで意中の人を口説くように「綺麗だね」「笑顔が素敵だね」「可愛いね」と事あるごとに彼女に言っていました。

だけど謙遜な彼女は「そんなことないよ」「君くらいだよ、そう言ってくれるのは」と言うのでした。

謙遜な彼女だから、当たり前の答えなのかもしれません。だけど、あの時の私は、私が言ってる言葉を信じて貰えていないように感じたりもしました。

信じて貰うためには、どうしたらいいかと考えていました。

ソルベとして、 「口直しにならない重たい近況」

誰にも会いたくなかった。

特に新しい出会いには飽き飽きしていた。

誘われて行くイベントで、ネットワーキングしたい気持ちなんて起きなかった。

自分がどんどん排他的な人間になっていく気がした。

どうしてそうなってしまったのか、わからなかった。

関わる人間関係が多くなってしまったからなのかと思った。

だから、必要最低限しか関わらないようにした。

やらなきゃいけないことをかろうじて、ギリギリに済ませるようになった。

約束が守れなくなった。約束が億劫になり、約束しなくなった。

こんな気持ち初めてだった。

しかも、自分で人と関わらないようにしているのに、それなのに…

部屋に籠っているときは、とてつもなく寂しくなった。

寂しくて、悲しくて、叫び出したかった。

部屋で一人で泣いていた。

私は知っていた。

昔から、自分の心にある怠惰を、醜さ、脆さを一番よく知っているのは、私だ。

キラキラした天使は私の中には居なくって。

私の心の王座に座っているのは、醜くくて、汚い、欲の塊だった。

アントレとして、 「人生で一番高価な買い物」

経済的に自立していないものの、親元から離れる体験を通して、少しずつ少しずつ、大人になっていく感覚を持ちました。

お金を貯めて、自由に、自分の意思で遠出をすることが多くなりました。

そこで私は初めて、日本という国の美しさを知りました。

「ビルと住宅街と電車と、少し車で行けば山と海がある」

日本という国はそういう場所だと思っていました。

だけど、自らの足で赴いた場所では、先々で私を優しく向かい入れてくれる誰かがいて、その誰かと一緒に食べるご飯は美味しくて、過ごした時間の短さなんて気にならなず、他人の笑顔は心を温めて、彼らが教えてくれる地元の自然は美しかったのです。

不思議だった。両親は幼い頃から私をいろんな場所へ連れて行ってくれたけど、この感覚を私は知りませんでした。

手元のiPhoneでご飯を、笑顔を、時間を、自然を写真に撮って残そうとしました。

だけど、なんだか感覚的に「美しい写真」とは思えなくて。

そこにある気持ちは本物だけど、その写真を残したい気持ちにならなかったのです。

その時の私は単純に「良いカメラがあればいい」と思いました。

「もっと良いカメラを手に入れて、素敵な写真を残そう。それを一緒に過ごした人、過ごせなかった人に見せたい」と思いました。

齢21の人生で、自分で買った一番高価な買い物は「一眼レフカメラ」になりました。それは高価なだけでなく、一番価値のある買い物になりました。

私のカメラのボディは白色。

一目惚れして、買いました。

「普通は黒い」と違う、「白さ」が特別に見えたから。

サラダとして、 「カメラに映る世界」

カメラを持ったらどこにでも行ける気がした。

帰りの夜道を歩くのは怖い。人混みを歩くのは怠い。雨の日に外に出るのは億劫。

だけどカメラを持っていたら、喧騒な歌舞伎町も、人間と同じくらいカラスがいる原宿も、酔った若者が湧いてる馬場も、誰もいない霊園も、足早に過ぎ去ろうとは思わなかった。

立ち止まって、注意深く見て、獲物はないかと、カメラを構えるようになった。

そうそう、一眼レフを手に入れてから、すぐに気がついたことがあった。

それは一眼レフで撮れる写真は「見たままの現実ではない」ということだ。

少なくとも私の目には、背景がボケて人物が強調されるように見えることはほとんどないし、夕陽の赤はこんなにも彩度高く見えないし、水溜りの反射に見える青空はこんなに青くはなかった。

でも、それで良いんだと思った。

美しかったから。

私の目には見えないけれど、カメラは現実をもっと美しいものだと教えてくれた。

うるさいと思った酔っ払いさえ、写真に切り取られたら、よほど愉快なんだろうなと思わせてくれた。

月に2、3度はカメラを持って東京の街を練り歩くようになった。

今は白黒で写真を撮ることにハマっている。

アントルメとして、 「君は君が思うより」

カメラを手に入れたばかりのとき、私は高校時代の、あの時の「親友の写真を撮りたい」と思いました。

会って、彼女の写真を撮りました。

撮って伝えたかったんです。

謙遜な彼女に「君は君が思うより、ずっと綺麗」だということを。

食後の紅茶として、 「特別と普通」

この世に「普通」なんてないことは、もうとっくに気がついている。

一生懸命「特別」をかき集めなくたって、この世の一人一人、全員唯一で「特別」だ。

それなのに今週も私は「特別でいたい」と「普通になりたい」を交互に願っている。



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