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【くまぶ〜プロジェクト①】食べられるために生まれてきた家畜に、なぜ愛を注ぐのか

"生きていた"食べ物との出会いが「スーパーに売られる商品」だけになってしまった今だから考える、食事の在り方について。「感謝」の反対とは何か?

2019年2月某日、早稲田大学の授業「たくましい知性を鍛える(通称:大隈塾)」のプロジェクトの一つ「くまぶ〜プロジェクト」の宮城合宿に参加しました。参加者は全部で12名。学年も学部もバラバラな大学生が、くまぶ〜プロジェクトを通して「家畜と人間の関係」や「生きるということ」などについて深く考え、互いに意見を交換し、目の前の課題に向き合う2日間を過ごしました。
お時間のない方は以下のモーメントを見ていただければと思います。1分で読み終わることができます。

皆さんはアニマルウェルフェアという考え方をご存知でしょうか?アニマルウェルフェアとは、簡単に言うと「豚を豚らしく育てる」「牛を牛らしく育てる」つまり「家畜を家畜らしく育てる」ことです。

アニマルウェルフェア(Animal Welfare)とは、感受性を持つ生き物としての家畜に心を寄り添わせ、誕生から死を迎えるまでの間、ストレスをできる限り少なく、行動要求が満たされた、健康的な生活ができる飼育方法をめざす畜産のあり方です。欧州発の考え方で、日本では「動物福祉」や「家畜福祉」と訳されてきました。1960年代のイギリスでは、工業的な畜産のあり方を批判した、ルース・ハリソン氏の『アニマル・マシーン』が出版され、大きな関心を呼びました。イギリス政府が立ち上げた委員会は、「すべての家畜に、立つ、寝る、向きを変える、身繕いする、手足を伸ばす自由を」という基準を提唱します。こうした動きを受け、家畜の劣悪な飼育環境を改善させ、ウェルフェア(満たされて生きる状態)を確立するために、次の「5つの自由」が定められました。
(引用元:一般社団法人アニマルウェルフェア畜産協会HP http://animalwelfare.jp/)

今では家畜のみならず、人間の飼育下にある動物であるペットや実験動物についても同様に、ウェルフェアの基本的な考えとして世界中で認められているそうです。

今回私たちはアニマルウェルフェアを実践されており、授業「たくましい知性を鍛える」のゲスト講師としても登壇された養豚家の高橋希さんの話を聞くために、そして現場を自分の目で見て確かめるために、宮城県にある養豚場をお訪ねしました。


Day1:希望さんの豚に出会う前に

合宿は2日間構成でした。豚に会う前に、10名の大学生が仙台で集合し、ゲストハウスに泊まりました。みんなでスーパーに行き、みんなで鍋を作り、ワイワイ楽しく食事を楽しむ。ここまでは普通の大学生の旅行らしい風景。

時は夜の12時をまわった頃。(笑)

「みんなにとっての美味しい食事って何?」という言葉をきっかけに、各々が思う「美味しい食事について」の語らいが始まりました。

私にとっての「美味しい食事」のイメージは、やっぱり母の料理でした。ちょうど、今は実家が宮城にあるということもあり、この合宿に参加する前日に実家に帰っていました。帰ってきたその日から、食卓に並んだのは、ビーフシチュー、マグロの刺身、鳥の唐揚げ、ミートスパゲッティと私の大好物ばかり。「ナノが帰ってくるから、準備しといたのよ〜」と嬉しそうに話す母を見て、お腹も気持ちもいっぱいになりました。それが私にとっての「美味しい食事であり、幸せな食事」でした。

世のお母さんの「子供も夫もいないとき、自分のためだけに作る食事は手抜き料理だ」というのを聞いたことがあります。

確かに普段は職業柄(私の母は寮母さん)、手の込んだ料理を作る私の母も、私も父もいない日の食事は冷凍ご飯をチンして納豆と卵をかけるだけだとか

私も寮生活をしていて、自分のために作る食事を毎日頑張ることは難しい。それこそ朝は食パンだけ、夜は即席お味噌汁とちょっとした野菜炒めだけ。それならまだ全然良い方。「誰かのために食事が作られること」や「誰かと一緒に食べること」など、食事の中に誰かとの関係性があることが、私にとっての「美味しい食事」のキーワードでした。

宿泊した10名の意見は多種多様。私と同じように「誰か」がいることが「美味しい食事」に繋がると考える人もいれば、「一人でも美味しい食事は存在する」と言う人もいました。「食事や食材そのものに、料理人や生産者のこだわりを知ると美味しく感じる」と言う人もいました。

思いはそれぞれ違えど、それら全ての意見が等身大で、素晴らしいと素直に思いました。

「美味しい食事」の他に、「明日豚に会ったとき、何に注目して豚と触れ合うか」についても共有し合いました。その結果、語らいは2時間近くにおよび、就寝時間は3時近くに。みんなは次の日に備えて速やかに床についていた・・・はず!(笑)

Day2:希望さんの豚に会う

宿泊していたゲストハウスを後にして、私たちは希望さんの養豚場へ向かいました。私を含めて、今日が豚と初対面の人もいました。

私の家畜としての豚への漠然としたイメージは、なんとなく汚くて臭い動物。動物園にいても、さほど注目することなく、通り過ぎているような存在でした。

しかし、養豚場に踏み入れた瞬間から、動物園や牧場独特の強い動物臭さはほとんど感じられることはありませんでした。豚も設備も清潔でした。きっと、これは養豚場で働く人々にとっても良い環境なんだろうなと思いました。

豚たちは大学生集団に囲まれても怯えることなく、堂々としていました。好奇心旺盛で、タンバリンやマラカスの音に寄ってきたり、人がいる方に走ってきたりと元気いっぱい!雑食なのでなんでも食べることができるのが豚ですが、私たちが用意してきた恵方巻き、ハッピーターン、プロテインバーなども勢いよくパクパク食べていました。

そこにいたのは「生かされている動物」ではなく、家畜としての人生を全うする「生きている動物」だと私は感じました。

私は普段、動物の屠殺に関わらず、ドラマの人間の手術シーン、殴り合いのシーンも見られないタイプです。(ちなみに注射が大嫌いです)
だから、豚に会う前は、元気に動き回る豚の姿を見て、これから殺されて食肉とされることに対して「可哀想」「怖い」と思うのではないかと思っていました。しかし、思ったよりその気持ちは薄く、むしろ「美味しそう」「(食べ物として)いい匂い」と思ったことが自分の中でも意外でした。

くまぶ〜プロジェクトが今回養豚場に来た目的の一つに、「1匹のくまぶ〜を選ぶ」ということがありました。この選んだくまぶ〜は出荷された後、くまぶ〜プロジェクトのメンバーで企画された食事会で振舞われる予定です。私たちは授業名「たくましい知性」にちなんで、もっともたくましそうな豚を選ぶことにしました。

メンバーの一人が「くまぶ〜」にあげるために作って来た手作りクッキーをロープに吊るし、このクッキーを食べた豚を選ぶことにしました。この写真はその選ばれたくまぶ〜(多分)

希望さんに言われた言葉で印象に残っていることがあります。

「豚には三回の人生があります。1度目は豚としての人生。2度目は豚肉としての人生。3度目は人間の身体の中での人生。私たちは選ばれたくまぶ〜の1度目の人生で、大切に、愛情を持って育てます。でもそれから先、2度目、3度目の人生は、みんなにかかっています。大切な人と、どんな風にくまぶ〜を食べるのか、そしてそれを食べたみんながどう生きるのか、はみんな次第だよ。」

「人間が食べるために殺される生き物に、愛情を持って育てる意味があるのか?」

「アニマルウェルフェアなんて、所詮人間のエゴではないか?」

この声は消えて無くなることはないのでしょう。

だけど、希望さんの話を聞いて。「命を戴くこの有難さ」を実感して。
少なくとも私は、希望さんが愛情いっぱいに育ててくださった豚さんを、私が愛する人と美味しく食べたいと思いました。アニマルウェルフェアの在り方が良いと思いました。

大切な人と、大切に育てられた豚を食べること。そしてその豚を食べた自分自身も大切な存在であること。

食事を十分に食べることができる当たり前がある日本で、今、目の前の食事に毎日感謝し続けるのは難しいことかもしれません。

だけど、どの食事の中にも、大小様々な愛が存在していることを、忘れないでいたいと思います。

To be continued…
「くまぶ〜プロジェクト」のイベントに参加したら、また投稿します。

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