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人生とは連綿と続く時間

生まれた時から死ぬまでの時間は、宇宙の別の惑星と惑星を行き来できるくらいの時間がある。

私も随分と遠くへ来たものだ。

この季節柄も相まって胸の痛みは消えそうにもないな。
家のドアをあけて一歩外に出れば、街中は金木犀の甘い香りがする。

人生は立ち止まることはできても、引き返すことはできないんだ。
だから、私は自分の人生一度も後悔してないといったら嘘にはなるけれど、
未来でちゃんと帳尻があっていることは知っているから、
結果として今までの人生に不満はないよ。

たくさんの「はじめまして」と「さようなら」を繰り返して時は進んでいく。
ずっと隣にいてくれる人もいれば、その場限りの人もいる。
でも、どんな人であっても私の人生においては、なにかしらの意味があって存在している。

アリストテレスの星の友人、だったっけな。
あの話はまさに本当にその通りだなと思う。

人生を直線で表した時に、ずっと並行して隣で続く線もあれば、一瞬だけ交わってまた遠くに離れていく線だってある。
あるいは、一度交わってまた離れてそのあと何度でも交わったり、平行になっていく線もある。

これが人と人とのご縁というものなんだろうなとは思うけれど、
人生は思った通りに進まないからこそ面白い。
もう二度と会わないと思ってた人とまた出会ったり、
ずっと一緒にいるだろうなって人とさようならをしたり。
あるいは、自分自身と決別することだってある。

私はずいぶんとタフな精神に育ったと思うけれど、それは「傷つかない」のではなく、忍耐力とか回復力が上がっただけであって、どうしたって無敵にはなれない。
まあ、無敵な人間なんてそんなの人間じゃあないから、そんなのにならなくたっていいんだけどさ。
でも一つだけ言えるのはたくさんたくさん傷ついただけ、人にやさしくなれるし、人生に深みが出るということ。
そういう意味でわたしは自分の人生に感謝をしている。
でもまあ極論言ったら傷つきたくなんてないけどね。

傷つくたびに、その場で胸が張り裂けそうなくらい苦しくなって、その場に存在していることも嫌になって。
その空間の重圧に耐えられなくなって、そのまま宇宙の塵芥になってしまえばいいと思う。
息をするのも苦しい。心臓を動かすのも苦しい。毎回この瞬間は嫌いだ。
何回経験したって慣れるものではない。

でも、そのままの状態でいることはありえないから。それだけはわかっているから。
それが絶望の中の希望というのでしょうけど。
それで何度でも起き上がって、立ち上がってきた。

その度にわたしは、あ、また違う景色が見えた。そう思うんだ。
そうやってずっとずっとここまで歩いてきたんだ。

今回も胸はまだ痛むけどさ、「半分、青い。」みたいに人生何が起こるかわかんないしさ。
今はその時じゃなかったのかもしれない。君がその人じゃなかったのかもしれない。
この先にもしかしたら想像もつかなかった未来がくるかもしれない。
あ、いや、未来は基本想像通りには来てないんだけどね(笑)
想像通りにきてもある意味面白くはないし。

だから、とりあえず立ち止まりたいときは止まって。
基本的には前を向いて歩いていきたいよ。ずっと止まってるなんてことはできないんだからさ。
もっと私を高めて、また見たこともない景色みにいこうよ。
そのころにはきっとなにか答えが見つかっているのかもしれないね。


4年前に自分の日記として書いてたエッセイみたいなやつです。
ちょうどこの時期だったなあと思いだし、引っ張り出してきました。



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