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一生平社員でいる人の話

僕のことである。

もしかしたら、定年退職する間際には1つくらい昇進しているかもしれないが、まあ、その程度の出世欲で生きている。

別に、これは悪いことではないと思っている。

もし、僕が管理職並みの給料をもらっておきながら、頑なに平社員の座に留まっているならば、批判されても仕方がないのかもしれない。

でも僕は、平社員の給料をもらって、平社員の仕事をしているのである。

高級料理の料金で牛丼を提供しているのではなく、牛丼の料金で牛丼を提供しているだけだ。

おかしなところは何もない。

でも、日本では、「正社員にならない」とか「正社員になっても出世しない」というような生き方は、まだまだ認められにくい空気があるみたいだ。

僕が平社員のまま過ごすということに対して、たまに内外から苦言を呈されることがある。


○「出世しないやつはお荷物だ」

「会社としては、将来的に社員が管理職になることを念頭に置いて採用しているわけなので、昇進すべき。ずっと出世しないやつはお荷物だ」

このように言われることがあるのだが、僕は「昇進すべき」でもないし、「お荷物」でもないと思っている。

少なくとも、僕の会社には「勤続○年で昇進しなければならない」というような決まりはない。
「希望者が試験を受けて、それに合格すれば昇進できる」という仕組みだ。

希望しない人は別にそのままでもいいし、仮に希望したところで、試験に合格できなければ昇進はできない。

「希望を募って」「選別」している時点で、昇進「すべき」という論法は完成しないのだ。 

希望制にしておきながら、

「希望しないやつはお荷物だ」

と圧力がかかるのだとしたら、それはもう太平洋戦争時の特攻隊の選出と同じやり口なので、80年前から進歩していないことを強く恥じた方がいい。

それに、僕はサボっているわけじゃなく、平社員としての仕事を全うしているのだ。
末端の仕事かもしれないが、会社を支えていることには変わりない。

これをお荷物だと言うのならば、会社の運営体制そのものに不備があるわけなので、それこそ昇進した上層部の人たちが対策を考えなくてはならないだろう。


○「そんな社員の代わりはいくらでもいる」


いや、そりゃいるに決まっているだろう。

そもそも、
一般的なサラリーマンは、「代わりが効かない存在」になることを求められていない
のである。

人事異動だってあるし、産休や育休や病休に入るかもしれない。
ましてや、コロナ禍を経験した今、
組織は「人が欠ける前提」で体制を組む必要がある。

すなわち、意図的に「誰かが抜けても代わりはいる」という状況を作らなければならないわけなので、もはや「お前の代わりはいくらでもいる」は、悪口でもイヤミでも何でもないのだ。


○「後輩に抜かれて恥ずかしくないの?」


いやいや、もう全く恥ずかしくない。何がどう恥ずかしいのか。

「ずっと平社員だと世間体が…」

と言う人もいるが、その「世間」って誰のことなのか。せいぜい、身近にいる数十人のことだろう。

地球にいる残りの数十億人は何とも思っていない。
というか、僕やあなたの存在自体を知らない。

身近にいる数十人にしたって、四六時中僕やあなたのことを考えているわけではない。
自意識過剰もいいとこだ。


だいたい、「追い抜かれる」って、何に関しての話なのだろうか。
思い浮かぶものをいくつか挙げてみる。


・給料

収入で一喜一憂するのだったら、そもそもこんな安月給の会社に入っていない。

毎日顔を合わせるということで、どうしても比較対象になりがちなのかもしれないけれど、
同僚や後輩なんて、「単に同じ建物にお金を取りに来ている他人」であるだけだ。

同じ会社の人も、街ですれ違う人も、あまり大差はない。

街には、自分と同年代や年下で、お金をたくさん稼いでいる人が、それはもう数え切れないくらいいる。
いちいち他人と比べていたら、キリがないのだ。

そんなに比べたいのなら、年下のプロ野球選手あたりと比較してみるといい。
ほとんどの人間が、大差でコールド負けである。

「プロ野球選手は話が飛躍しすぎでしょ」

と思うかもしれないが、僕は同じだと考えている。
同じ会社の人だろうが、プロ野球選手だろうが、ユーチューバーだろうが、他人は他人なのだ。

他人がいくら稼いでいようが、僕の稼ぎは変わらないので、どうでもいい。


・職位

たしかに、平社員はピラミッドで表すとほぼ底辺だ。
でも、これは会社を円滑に運営するための役割分担みたいなものであって、上に行くほど人間として価値があるとか、幸せになるとかいうわけでもない。

職位なんてただの役割分担だって話はこちら↓


逆に問いたいのだが、年収や職位で抜いた、抜かれたと騒いでいる人たちは、社内にいる同い年や年上の派遣社員やパート社員のことをどう思っているのだろうか。

彼らの年収は正社員よりも低いし、ピラミッドで表した場合は正社員の更に下に位置する。

いちいち、

「同い年だけど、自分の方が上だわぁ」

などと思いながら働いているのだろうか。
だとしたら、随分と気持ちが悪い。

そういう人は、精神的な成熟度において、かなり年下の人にも追い抜かされているということを自覚した方がよい。

・能力

能力といっても、それが指すものは多岐にわたるので、「仕事を遂行する力」というような大雑把な考え方としておこう。

我が社の社員の場合、この会社にいる時点で、総じてそんなに能力は高くないと思われる。

だって、「この会社じゃないとできないこと」なんて、何一つないのだ。
少なくとも、第一志望にするような会社ではない。

これは別に、自社を貶しているわけではない(褒めているわけでもないが)。
全国各地に存在する、そういう平々凡々な会社である、というだけである。

ありもしない志望動機を何とか絞り出して面接を乗り越え、「ここに受かったから」という理由だけで来ている人の集まりなのだ。

そんな組織の中で、やれ

「同期の中で1番能力がある」

だの、やれ

「後輩の方が仕事ができる」

だの、何を比較して争っているんだという話である。

89歳の爺さんと87歳の爺さん、どっちが若いか?
で争っているようなもんだ。

そりゃ年齢的には87歳の方が若いのだけれど、外野から見たら両方老人であり、下手したら見分けがつかない。
もう、同一人物といってもいい。


○「仕事ができないから、昇進したくてもできないんだろう」


「仕事ができない」という点についてはそうなのかもしれないが、あまりそこは重要ではないのだ。

知らないおばさんのサイン色紙を10万円で売ってやると言われても、お断りするだろう。

「お前、貧乏だから金が払えないんだろう」

と煽られても、「いやいや、そういうんじゃなくてシンプルにいらないんです」と答えるだろう。

それと同じようなもので、できるとかできないとかではなく、どっちみちお断りなのだ。


○自分の道を行くだけ。他人の道はどうでもいい


つらつらと述べているが、結局は自分の私生活と、給料と、仕事の量と、背負う責任のバランスを鑑みて、「自分は平社員がいいな」と判断したというだけなのだ。

人生において何を重視するかは、人によって違う。

収入を重視してたくさん働く人がいれば、最低限の収入を得るためのバイトしかしない人もいる。

他人からの評価を原動力に働いている人がいれば、自分のために働いている人もいる。

家族のために私生活を削って働いている人がいれば、家族と過ごすために毎日定時で帰る人もいる。

仕事に生きる意味を見出している人がいれば、生活のために割り切って働いている人もいる。

全部正解なのだ。

唯一の不正解は、他人が進む道にケチをつけることだ。

それぞれが、妥協したり挫折したりしながら、自分の道を進んでいけばいい。

他人の道を尊重しつつ、自分の思う道を進む。
それしかないのだ。

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