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職場の飲み会が滅びてほしい話

新型コロナが一段落し、歓送迎会などの大規模な飲み会が復活の兆しを見せている。

記事タイトルのとおり、これから職場の飲み会に対する文句をたくさん述べていくのだが、みんなで集まって親睦を深めること自体を否定するつもりはない。

飲食を共にし、語り合い、親しくなる。
大いに結構じゃないか。

ただ、今の世間で常識とされている、

「社会人の飲み会マナー」

のようなものは、頭からお尻まで全部丸ごとちゃんちゃらおかしいと思っている。

社会人一年目の頃からおじさんになった今まで、ストレス以外を感じたことがない。

  • 戦争

  • 病気

  • 犯罪

これらの次くらいに、「職場の飲み会」が嫌いだ。

特に、歓送迎会や忘年会などの大規模な飲み会について、明らかに是正すべきことがたくさんあると思うので、以下に記していく。


1.無給なのに全員強制参加

「飲み会は仕事のうちなのか、そうではないのか」という議論がされることも多いが、就業時間外に無給で行っているのであれば、本来は仕事として扱うことはできないはずだ。

会社側や飲み会推進派の社員たちもそれをわかっているから、表向きには「自由参加」としているのだろう。

しかし、お得意の「同調圧力」によって、さも仕事の一環という空気を醸し出し、

「(半)強制的に全員参加」

という形を取っている職場が多いのではないだろうか。 

ちょっと待ってほしい。

社員は(少なくとも僕は)賃金が発生するから、会社の命令に従っているのだ。

賃金が発生しない時点で、会社ごときが社員を拘束する権利は一つもないのである。

もはや、当たり前のように受け入れてしまっている人がほとんどであるが、図々しいにも程がある。


2.ぼったくりレベルの出費

つい今しがた「無給」と書いたが、実際それどころじゃない。

「持ち出し」が発生しやがる。

一回参加するだけで数千円、主賓へのプレゼントや二次会への参加なんかが発生した日には、平気で万単位の金が飛んでいく。

別にそんなに美味しくもないものを、仲良くもない人達と飲食するだけで万単位。

しかも、給料が少ない若手ほど気を使わなくてはいけない。

安月給から自腹を切って、自分より高給取りの酔っ払い上司の世話をさせられる。

こんな不条理があるかって話だ。


3.なぜ「酒ありき」なのか

親睦を深めるのが目的ならば、飲み物が酒である必要がない。

酒というのは、非常にクセが強い飲み物だ。脱法ドラッグと言っても過言ではないだろう。

酒を飲むことで、全員が明るく朗らかになるならばよい。

ところが実際には、

  • 怒りっぽくなる人

  • 泣く人

  • 気分が悪くなる人

  • 寝てしまう人

  • 次の日に何も覚えていない人

など、人によって摂取したときの反応が全く違うのである。

こんなに得意・不得意が分かれてしまう飲み物、大人数が参加する会にはそぐわないのだ。

最近は無理やり飲ませられるような職場は少なくなっているようだが、

「飲まなくてもいいから参加だけはしろ」

というスタンスのところはまだまだ多いだろう。

それがもうおかしいのだ。

「猫カフェで歓送迎会やるぞ。アレルギー?猫に触らなくてもいいから参加だけはしろ」
「喫煙所で忘年会やるぞ。においが苦手?タバコ吸わなくてもいいから参加だけはしろ」

こう言ったらどうだろうか。
完全無欠のハラスメントで一発アウトだろう。

酒だって同じだ。アレルギーの人も、においだけで体調が悪くなる人もいる。

ところが、酒だけは

「飲めなくても来い。それが社会人としてのマナーだろ」

が通用してしまう。
何とも気持ちの悪いマナーである。


4.若手に幹事を押し付ける

  • スケジュール調整

  • 店の確保

  • 当日の席決め

  • 司会進行

  • 会計

などなど、面倒な作業を無給でやらなくてはならない「幹事」という奴隷的ポスト。

それを、

「経験になるから」
「若手がやることになっているから」

というような「理由にならない理由」で、中高年が若手に押し付けている。

「自分も若い頃にやった」
「昔はもっと大変だった」

と言いだす老害がいるが、立ちションやポイ捨てが当たり前で、病院でタバコが吸えていたような時代の話を令和に語られても困るのである。

また、

「飲み会の幹事すらできないやつに、いい仕事ができるはずがない」

などとのたまう悪党もいる。

繰り返しになるが、仕事と結びつけるなら賃金を払わなくてはいけないのだ。

タダ働きを前提としておきながら、「幹事ができないやつにいい仕事が〜〜」は通用しない。

僕から言わせりゃ、「できない」と「やらない」の区別すらできないやつこそ、いい仕事ができるはずがない。


5.自分が飲み食いする分くらい自分で取れ

とにかく、若手は気が休まらない。

そりゃそうだ。

  • 上司のグラスが空いていないか

  • 食べ物がなくなっていないか

  • 空調の風が当たっていないか

などなど、気にすることが多すぎる。もはや介護をしているようなもんだからである。

介護中に、本来の目的であるはずの「親睦」なんか到底深まるはずがないのだ。

深まるのは、ヤングケアラーと化した若手と横柄なベテランの間に生じる溝だけだろう。

上司側もまともな感覚を持っていたら、この状況に居心地の悪さを感じるはずなのだが、改善に取り組んでいる人を、僕は今のところ見たことがない。



本当に仕事を円滑に進めたいのだったら、最も大切なのは「就業時間中のコミュニケーション」である。

そして、それを主導するのは、他でもない管理職だ。

普段の

「何でもかんでも質問するな」
「察しろ」

というスタンスを見直すことが、飲み会なんかよりもはるかに優先順位が高いのではないだろうか。

もし、どうしても仕事を成功させる上で飲み会が必要なのであれば、それはもう「必要業務」なのだから、
「就業時間中に」「管理職が幹事になって」行えばいい。


個人的には、新型コロナの影響で飲み会が消えたこの数年間は本当に快適だった。

年末年始や春の飲み会ラッシュがないだけで、この世界はこんなに過ごしやすいのかと驚いた。

一方で、大好きな飲み会ができないことで、精神的に追い詰められてしまった人もいるだろう。


そう、つまりは人それぞれなのだ。

好みも、嗜好も、何に対してどれくらいストレスを感じるかも。

いい加減、

「社会人として〜〜」
「協調性が〜〜」

のように、余計なトッピングを付けて生きづらい環境を作る文化は、平成に向かって投げ捨ててこよう。

飲みに行きたい人は自分たちで計画を立てて、行きたい人を募って行けばいい。
行きたくない人は行かなければいい。

「多様性」を謳っているんだから、それくらい認めなさいよ。

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