見出し画像

上下関係が赤の他人の心を壊す話

これから、

「それは違うだろ」
「話が飛躍しすぎでは?」

と思われるようなことを言う。

でも、僕は本気でそのように思っているのだ。どうか馬鹿にしないで読んでほしい。

最近は、とにかく悲しい出来事を目にすることが多い。

何か特定の出来事を指しているわけではない。
テレビやネットだけでなく、身近で目にする出来事に至るまで、目にする情報のほとんどが、
「誰かしらが傷ついた出来事」
なのである。

たとえ自分がつらい目に遭っていなくとも、
“他人がつらい思いをした、という情報の蓄積”
によって、自分自身も落ち込んでしまうことが多くなってしまった。

僕は、世の中の悲しい出来事をできるだけ減らしていくために、

先輩・後輩の上下関係を壊す必要がある


と思っている。

早速、

「随分と話が飛躍したなぁ」

と感じただろうが、ちゃんと説明させてほしい。


だって、この国で起こるつらい出来事の多くは、先輩・後輩の上下関係を起因、遠因
としているのだ。

直接的な原因とは言わない。でも間違いなく、“遠因”ではあると断言できる。

さすがに自然災害や病気などをなくすことはできないが、それ以外のつらい出来事については、
「この国で常識とされている上下関係」を見直すことによって、半分くらいは減らすことができる
と、本当に思っている。

「お前の思うつらいことって、『先輩から意地悪された』とかそんなもんか」
「視野が狭いなぁ」

などと思った人もいるかもしれないが、まあちょっとお待ちいただきたい。

この国では、学生時代から 「先輩」という存在が、常に強いパワーを握る仕組みになっている。

「先輩」というだけで、基本的に上から目線でいられるし、自分の意見は通るし、多少無茶振りをしても許されてしまうような傾向がある。

たった数年、下手したら生まれたのが数か月違うというだけで、「先輩・後輩」という上下関係で隔てられてしまう。

3月生まれと、翌月の4月生まれなんて、1か月の差でこんなに立場が変わるの?というくらい、学年で線引きをされてしまうのだ。

特に、体育会系の部活は、上下関係が顕著だ。
今はかなり減ったかもしれないが、寮暮らしの強豪校なんかは、下級生が上級生の世話役になって、洗濯など身の回りの世話なんかもやらなくてはいけないという。

そしてこの国に生きている限り、「先輩・後輩システム」は、学校を卒業してからも続いていく。
年齢ではなく「入社した順」となって、下手したら息を引き取るその時まで、ずっとずっと続いていくのである。

これ、

「ちょっと後に生まれただけで、敬語を使うのとかマジだるい」

みたいな、中二病を拗らせた話ではない。

「そもそもこの『先輩・後輩システム』って、もう維持するメリットが全くない、むしろ社会にと ってデメリットの方が多いんじゃないか?」

という、1つの提言なのだ。

よく、芸人さん同士のやり取りで

後輩芸人が先輩芸人に対して、友達みたいな距離感で話したり、先輩芸人の意図を汲まない言動をしたりする
→先輩芸人が「おい!俺は先輩だぞ!」とツッコミを入れる
→笑いが起きる

というくだりをよく見ることがある。

これで笑いが起きるということは、
「後輩は、先輩に対して下手に出なくてはならない」
「後輩は、先輩が望んでいるであろうことを、先回りしてやらなくてはいけない」

ということが、国民の認識として定着している証拠なのだ。

そして、その認識とは違う言動をすることで、笑いが起きたのである。

このような「先輩・後輩システム」を刷り込まれ、上下関係を当たり前のものだと思って成長してきた社会人たちにとっては、もう「会社の上司」なんて、さらに絶対的な存在になってしまうのである。
※年下の上司もいる、みたいなことはまた別の話なのでここでは触れない。

つまり、

「学生時代から刷り込まれた上下関係の認識」+「日本人特有の仕事に対する勤勉さ」

これが、諸悪の根源なのである。

「先輩や上司の命ずることは、最優先で必ず遂行しなければならない」
という、歪んだ勤勉さが常識となってしまっているのだ。

もちろん、無理なことを無理と言えるような健全な環境もあるかもしれないが、中には手段を選ばず、とにかく目的を達成しなくてはならないような環境も多い。

これがどう作用するのか。

巡り巡って、開係のない第三者が傷つけられるのである。

先輩から無茶な要求をされて、傷つくのが後輩だけならまだマシだ。
実際はそれだけでは済まず、

上司や先輩が指示することは絶対に達成しなければならない
→他の誰かが傷つくかどうかなんか二の次。ズルをしたり、他の誰かにしわ寄せが行ったりしたとしても、目的を果たさなくてはならない

という思考になってしまうのである。


例えば、子供が生まれたばかりの男性に、職場の先輩や上司が無理難題を投げつけたとする。
そうすると、

「先輩に呼ばれたから行かなくちゃいけない」
「上司から無理難題を振られたけど、どうしても達成しなくてはならない」

と、家庭を顧みずに仕事ばかりすることになる。
これで、子育ては全部母親のワンオペになってしまうだろう。
逆らえない上下関係が、直接関係ないはずの家族にまで負担を掛けてしまっているのである。

また、どうしても商品が売れないセールスマンが、上司や先輩に

「あと○万円売るまで帰ってくるな」

と圧力をかけられたとする。

おそらく、セールスマンは客に嘘をついてでも、商品を売ろうとするだろう。

他にも、

「この作品を絶対にドラマ化する。必ず原作者の許可を取ってこい」

と上司から圧力をかけられたテレビマンは、各関係者たちに調子の良いことを言ったり、その場しのぎで守ることができない約束を交わしたりしてでも、とりあえず契約を取り付けてくるだろう。

また、ガチガチの体育会系の組織で、

「絶対に気分を損ねてはならない上司が、合コンをしたいと言っている。満足してもらえるレベルの女性を○人集めろ」

と命令されたら、末端の社員は人数を確保するために、騙してでも女性を集めるだろう。 


もう、この社会は上下関係に毒されているのだ。

そして、歳を重ねるごとに上の立場になるもんだから居心地が良くなってしまい、その毒が自分自身にも回ってきていることにも気付かない。

端的に言うなら、以下のような状況がこの国全体で起きているのだ。

人身事故で電車がストップ

→電車に乗っている中年男性、「死ぬなら1人で死にやがれ」とイライラ

→この電車に飛び込んだ人は、数日前にあるセールスマンに高額の商品を売りつけられていた

→セールスマンは上司から圧力をかけられており、ほぼ詐欺に近い形で商品を売っていた

→このセールスマンに圧力をかけた上司こそ、ストップした電車でイライラしている中年男性である

こんなことが、恒常的に多発している状態なのだと思う。

文字通り、イライラを作り出しているのは、自分自身なのである。 


冒頭で

「上下関係なんか壊せばいい」

と大きく打ち出したが、なくすのは無理であることはわかっているし、組織を維持していく上である程度は必要であることも理解している。

ただ、大きく見直す必要があるのは事実だ。

少なくとも、学生時代からの「先輩・後輩システム」が、悪い意味での“下地”を作っているのは明白なのだ。

このガチガチの上下関係に寄りかかって社会を維持するのは、もう恐らく限界なのだと思う。

今、この瞬間も、上下関係の圧力で倫理観を壊された人が、別の人の心を壊しながら何とか生きている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?