あの頃、私の好きなものを「オタク」と括って「好き」を制限した人へ

鬼滅の刃、呪術廻戦、東京リベンジャーズ。

ラブライブ、ウマ娘。

現代で、「好き」と言っても皆がへえ。としか思わないアニメコンテンツは死ぬほどある。

というか、今では「オタク」が一種のステータスになっているように感じる。
鬼滅の刃を漫画全巻揃えて、アニメも全話みて劇場版を観ることでオタクになったと声高に言う人がいる。
Instagramのストーリーなんて自分の観ているアニメ発表会、好きな俳優発表会みたいになっている時がある。
そのように、何かに熱中している状態を一般では「オタク」というようになったようだ。


私が中学生の頃。
あの頃は、けいおん!やボカロが主に流行っていた時期だと思う。
私は中学校の所謂「カースト上位部活」に所属していた。
そんな中で私は「カースト上位部活」の「端の方にいる女子」だった。
当時の私は、けいおん!やボカロは好きだったし、フィギュア集めてるくらいだった。そして誰にも言えなかったけど、ノイタミナ系のアニメが特に好きだしラノベも好きだったのでひっそりと楽しんでいた。そして、エヴァのアニメを自分の部屋で一気見したのもあの頃だったと思う。

しかし、けいおん!やボカロを好きでいることは当時市民権を得ていなかった。
あの頃は、嵐やHey!Say!JUMPやAKB48を好きでいることが一般とされる雰囲気だったのだ。

給食の時間になると、生徒のリクエストに応じた曲がかかる仕組みなのだが、ジャニーズやAKBの曲がかかることが普通だった。しかし時々、けいおん!やボカロ曲が流れることがあった。そういった曲が流れると、それを好きな文化系と括られる子達がスピーカーのそばに集まって盛り上がる。
しかし、その瞬間、「カースト上位部活」達がスピーカーに近づいていき、音量を一気にゼロに下げるのだ。文化系の子達は「カースト上位部活」には何も言えない。私も「好きな曲なのに、、、」とか思いながらも「カースト上位部活」の「端の方にいる女子」なので何も言えないでいた。

ある時。
たしかあの時は「ふわふわ時間」だった気がする。が、流れた。
いつものごとく、「カースト上位部活」が音量をゼロにした。私は何故だかその時「私それ聞きたかったのにな」と言ってしまった。

その瞬間、
「そう言うの好きとかオタクみたいなこと辞めてくれない?」とピシャリと言われ、私の「何かを好きでいる気持ち」と「それを人に伝えたいと言う気持ち」は一気に萎んでいった。

あの瞬間からしばらく、私は人に好きなものを伝えるのが怖くなった。

私はあれから他にも色々なものを好きになった。ハマると深掘りしてしまう性格なので、俳優やアイドルを好きになると全国飛び回ってしまうし、ランダムのグッズと言われれば上限いっぱい買ってしまうこともあった。(これはオタクと表現できるレベルかもしれない。)
だが、友人に気軽に言うのは怖いので、ある程度どういう趣味嗜好で、どういう偏見を持っている人なのか判断してからじゃないと言えない。


最近ふとした時に、中学生の頃の私を「オタク」と括って好きでいることを制限しようとした人たちのことを思い出す。
今までアニメやアイドルに偏見を持っていた人たちが、嘘のようにハマっている様子をみかけるからだ。
鬼滅の刃や呪術廻戦を観ている程度の人をオタクというかはさておき、その程度の人が自分を「オタク」と自称している様をよく見かける。
あの頃私や、スピーカーに集まっていた子達が好きだったボカロやけいおん!は、私にとってあの頃の流行ど真ん中だった。正直アニメが好きなだけで、「オタク」と括られるほどの子はほとんどいなかったと思う。
しかしそのコンテンツ自体を観たこともない人が偏見で、「それは一般的に受け入れられているものではない」=「オタク」と決めつけていただけなのだ。

この前、あの頃の「カースト上位部活」が、インスタストーリーに、鬼滅の刃のグッズを載せていた。
もしも私があの頃同じことをしていたら、ハブられてたのかな、と思ったところで頭の中で必死にそれを打ち消す。

アニメが流行ど真ん中のコンテンツになった。
それだけでいいと思える広い心を持とうじゃないか。

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