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北風が死んで

北風が死んで、十年が経った。
三ヶ月前に薫ったような気がするのに、実際はもう随分と会っていないことを思い出して、太陽は泣いた。
然して伝う肌もなく蒸発した涙は香ることも無く消えていった。
油っぽい淀んだ空気に道行く人は辟易として空を見上げる。
葬儀の時、随分と久しぶりに顔を見せた雪は寂しそうな、でも少し恥ずかしそうな顔で嫌な再会になっちまったなぁ、と言った。
びしょ濡れの煙草を咥えて、あいつが生きていればあっという間に乾いたんだろうな、なんて差し向けて来た吸口から厭味ったらしいフィルターの蒸発する音が聞こえていた。
しばらく煙草の葉が燃えて、ほんの僅かくゆる煙の香りが消えるのを眺めていた。
北風の入った棺桶は太陽が焼いた。
綺麗に磨かれた表面に反射した自分の顔を遠くから見つめて、何とも言えない申し訳無さで身が冷えていったのを覚えている。
雪はそっと体を冷やしてくれたけど、全然というほど足りなかった。
北風が最後に吹いた十年と少し前、北風はもうすぐ死ぬことを知っていたように思う。
随分と昔、二人でやった勝負をもう一度やろうとまた言い出して、また、負けていた。
旅人(もうかなり見かけなくなったけれど)を海から谷、谷から野原、野原から山まで探して、ようやく天辺近くで見つけて、北風が外套を飛ばそうとした。
北風は何故か枯れていた喉を目一杯使って旅人の外套を吹き飛ばそうとしていたけれど、随分と成長したのか、旅人はものともせず突き進んでいった。自分の番が来て、太陽が気合いを入れて体を尖らせようとしたとき、足を踏み外したのか、旅人は遥か下、虹色をした人々の群れへ木の葉のように落ちていった。
氷に頭を打って二度と起き上がることのない旅人は頭から鉄の香りを広げて、どうやら初めて私の顔を正面から見つめていたようだった。
昔のように、銀杏の花びらでも賭けていれば良かったと思う。
あの後北風と氷は少し喧嘩したようだけど、一ヶ月もすると潮騒のところで二人で飲んでいるのを見かけた。
鉛色のカウンターの前で、北風からソルティードッグを注文されたと後で潮騒から聞いた。
今日も二つに誘われて。
北風の命日、膨らんだ指先、黒縁の額に入った銀杏と紫苑の花びらの前、塩っぽい煙草が煙も上げずに燦燦と燃えていた。

なんななど

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