「ルート×整動鍼 対談」を見た鍼灸学生が抱いた素直な意見
※鍼灸とは無縁の方にとっては凄く??な内容になりますのでそこはご了承ください。🙇
こんにちは。都内の鍼灸専門学校に通っています。
飯島です。
今回、Twitter上の鍼灸業界でかなり話題になった「ルート鍼」についての話題についての記事となります。
この動画でお二人のお話を聞いて素直に感じたことについて、加えて考えていきたいことについて、1人の鍼灸学生の意見として書いていきたいと思います。
※ただのポンコツ学生の意見です という保険を貼っておきますね。
※2 今回記事を制作するにあたり、参考にした情報のソース
・https://seidonet.or.jp/?fbclid=IwAR0lscZWJZw-zch5c3ZNsL-HRwckKjvLefrXzyAZqcoemrFxVg-7Wp74DvA
・https://www.proathlete.info/post/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E6%B2%BB%E7%99%82%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6 (ルート鍼創案の白川先生のソースが見当たらなかったため、今回はこのサイトを参考にさせて頂きました。)
鍼灸の臨床における「効果」とは
まず大前提、圧倒的にお二方の方が臨床に出ていて、実績があります。僕は学生で、介入をしたことがありません。臨床も数か月見学させて頂いていたレベルです。
そのため、臨床における「効果」という概念を捉えれていません。
この対談では、「効果」というのが1つキーワードでお話されていたので、僕はこの対談上でのお二方の真意を理解しきれていないということは最初に申し上げておきます。
そのうえでの問題提起です。「効果」とはなんでしょう。
ぜひこの記事を読んでくださっている鍼灸師の先生方、学生の方々も考えてみましょう。
どういう現象を「効果」とよぶのでしょう。
ルート鍼は、
”少し太めの鍼を40〜100本使用し、凝りや痛みのある筋肉に傷をつけて行きます。その傷を治そうとする力で血行を促進させ、治癒力を高まることで症状の緩和スピードが高まります” (参考記事から抜粋)
整動鍼は、
”1回の施術で多くて7本の鍼を使います。1本の鍼で終わることもあります。一つ一つのツボで確かな効果を実感できるため、少ないツボでも十分な効果を期待できます。むしろ、少ないからこそ、効果が集中し大きな効果になります。”(参考記事から抜粋)
2つの治療法は”本数”という視点で違いがあります。
鍼灸の臨床における「効果」に本数は関連しているのでしょうか。
ルート鍼は、
”あらゆる痛みや痺れ、冷えなどの疾患のほとんどは筋肉の「コリ」が原因と考えています。その「コリ」が症状により独特な形状となって体に現れ、その「コリ」を「ルート」と呼んでいます。”(参考記事から抜粋)
整動鍼は、
”整動鍼の特徴は、文字通り「整動」です。ツボで動きを整えることができます。
整動鍼は人間の生命活動を「動き」で捉えています。何らかの症状がある時、背景には「動き」の問題が潜んでいます。その問題が明らかになると理論的に最適なツボが導き出されます。”(参考記事から抜粋)
2つの治療法では、症状の捉え方に違いがあります。
鍼灸の臨床における「効果」に、症状の捉え方は関連しているのでしょうか。
お二方が示す治療法の違いについて、例として上記2つを挙げさせて頂きました。
捉え方がかなり違うお2人が、対談の中で使われていた「効果」の定義というのは共有されていたのか。そこがすごく気になりました。
共有されていないで話を進めると、お互いのマウント合戦のような印象を与えかねないからです。加えて建設的な議論として成り立たないからです。
「効果」という言葉の解像度をもっと高くしてほしいなと素直に聞きながら考えていました。
「効果」の本質の部分がかなりあいまいだなと感じたのと同時に、
これはとても難しい問題でもあるなと感じました。
なぜなら、鍼の先が見えないからです。
人体(組織)に刺すまでは私たちはコントロールできますが、その後の世界は実際に感じることが難しいです。
そのため、僕らはあらゆる理論や知を元に推論します。そして見える範囲の中で帰結しようとします。
これは悪いことではなくて、しょうがないことだと思います。
なので、ヒトそれぞれ「効果」の定義が違ってくるのは至極当然なのかなと。
だからこそ、もっとオープンに議論できる場というのが必要なのです。
そういう意味で言うと、この対談は場の作成としては凄く価値のあるものだと思います。
こういう機会を鍼灸はとっていきたいですね。
エビデンス
対談の中で、「エビデンスについて」のお二方のお話がありました。
動画で言うと52分あたりです。白川さんが「整動鍼、ルート鍼、効果は出ている。一旦それでよくないですか。」という発言をされていました。
おそらく文脈としては、「科学的な証明がされてから治療法を確立するより、効果のある治療法を作ってから、科学的な証明のプロセスに入ればよいのでは。なぜなら、患者さんを救いたいというゴールは変わらないのだから」というような感じでしょう。(僕が動画を見た解釈なので、ご自身でもチェックしていただくと幸いです。)
この発言を聞いて、素直に「医療としての鍼灸とは、」と思いました。
「効果のある治療法」っていうのを証明する基準は何でしょうかという疑問がわきました。
当然ながら、外野の私には白川先生のお考えを100%理解することはできません。なので、この発言を聞いて、アウトカムが患者さんではないのかなと思いました。
ここでそもそも論に立ち返ってみたいと思います。
自分の求める解が得れれば、プロセスである公式はなんだっていいのでしょうか。
ここで、プロセスにあたる「理論」について少し考えてみたいと思います。
まず理論の「定義」について、
「個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系」(Wikipedia参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E8%AB%96)
理論というのは”ある一つの現象に対しての切り口”であり、理論の存在権は不可侵なのかなと。
しかし、世の中には「トンデモ科学」などのように、間違っているという風に捉えられる理論がたくさんあります。
では、違いは何なのか。
それはかなり要素があると思いますが、僕が思うにまず1つは再現性。
ロジックがありそれ通りに手順を踏めば、一定の現象をうみだすことが出来るか否かがポイントであると思います。
次に、ロジックの筋道の妥当性。
妥当性とは
「概念、結論、または測定が十分に根拠があり、現実の世界に正確に対応している可能性が高い主な範囲」(Wikipedia参照 https://en.wikipedia.org/wiki/Validity_(statistics))
筋道の途中で、妥当性のない前提知識があればそれは理論として成立しても、正しさという視点からみたら、クエスチョンが浮かびます。
この、再現性と妥当性をかなりの時間をかけて追い求めているのが、科学であると僕は認識しています。
ただ、論理をきれいに美しく並べるのが科学ではなくて、その論理の妥当性や再現性を求めて理論を組み立てていく、それが科学であるので時間がかかるのは仕方ありません。
もちろん、科学が世界のすべてを可視化してくれるというわけではないと思いますが、少なくても信用する価値はかなり大きいです。
医学というのは科学です。医療というのは医学に基づいて行うことで一般的にフラットなものとなり、人々に価値を与えることが出来ます。
もちろん、科学的に証明されていないから駄目だというような意見を持っているわけではありません。
しかし全体的な視点でみるのであれば、エビデンスというのをある程度知っておくことは重要なのかなと思います。
(理想論ですかね。)
「臨床と研究」というニュアンス
臨床と研究
この問題については、学生の僕より、実際に臨床家の人や研究の方たちの方が建設的な意見をもっているでしょう。
実際に対談の中でも、栗原さんが、「臨床家と研究の方たちのコミュニケーションができる空間があれば」というような発言をされていました。
ここで告知と言ったらなんですが、実は金子先生主催の「鍼灸論文抄読会」という場がありますのでご興味ある方はぜひチェックしてみてください。(実は大変恐縮ながら僕も関わらせて頂いており、11月に僕の発表があります。3か月前から震えが止まりません。)
なので、ポンコツ学生の意見というのを前提に読んでいただけると幸いです。
まず、「出さなきゃいけない結果」の違いがあると思います。
臨床であれば目の前の患者さんにとっての利益。
研究であれば、ある種真理の探究。
ただ、医療においては向かう方向性は一緒です。
苦しむ人の救済です。
きっと、大変だと思います。お忙しい中で論文を読んでそれを、自分の臨床に応用できるかクリティカルに吟味して。。などの行為は。
ですが、1つの情報源として医学の進みというのはチェックしていきたいなと個人的には思います。
経絡治療だろうが、現代鍼灸にもとづいて、、だろうが、臨床における1つの情報源として医学の動向は重要だと思います。
研究は難しいというイメージの外へ頑張って一歩踏み出して、学んでいけるようになれば。もっと鍼灸の業界としての発展があるのではと個人的に思います。
(理想論ですかね。)
現時点の僕が思うこと。
最後になります。ここまで読んでくださった方ありがとうございました。
最後に僕が思うことをボソッと置いて終わりたいなと思います。
目指すべきところは決まっています。「患者さん」です。
患者さんが主体であり、そのためのツールとしての鍼という認識です。
鍼は主体ではありません。僕が主体ではありません。
患者さんの状態を把握するために、医学を学びます。
ツールとしての鍼の中での、ツールに、様々な理論があります。
もし、僕が鍼灸師になれたら。これをベースにしていきたいな。
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