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コピペですみません。

「君からは知性を感じない」
「君が話すことはChatGPTみたいだ」

こんなことを言われたあの日、
正直その人が僕に対して何を言いたいのかよくわからなかった。
なぜ僕に対してそのような印象を持ったのかも。
もっと寄り添ってみると、僕のどのあたりがChatGPT味を醸し出していたのかも。
よくわからなかった。

反省点を挙げてみろと言われたら、挙げれないこともないっちゃない。
まぁ相手の質問に対して、相手の意図を考慮しつつ今まである程度考えてきていた思考パターンに沿って言葉にしてみる。
入力されたプロンプトをトークンの単位に変換し、重み付けされたそれっぽいパターンをはじき出し、入力されたプロンプトの言語でパッケージして返す。
まぁ確かにChatGPTだな。

じゃあそう指摘したあなたはどうなんだ。ChatGPTみたいではないのか。
っていう風に持っていきたくはない。あまり意味がないからだ。
その人が僕と1時間強会話して抱いた印象を冒頭のようなメッセージで伝えてきたということだけにフォーカスして、そのメッセージの真意を考察しようじゃない。
その先に自分の取り組むべき課題があるんじゃないか。
そう思うようにしてみた。
冒頭のメッセージを言われたその瞬間にそう思うようにした僕は少し成長したのではないだろうか。

その人は優しい方で、
「君はもっと文学や哲学、芸術や詩に触れた方がいいよ」という助言をしてくれたのに加え、本を数冊貸してくれた。(今読み終わったので返す用事を作らねば)
冒頭のメッセージだけを捨て台詞に僕の前からいなくなったのなら、そりゃ僕だって寂しい気持ちになるが、
ここまでしてくれたらとても感謝しかない。

確かに僕は今まで文学や哲学、芸術や詩に囲まれて育ってきていない。
コンクリートとサッカーボールと土と共に育ってきた時間の方が人生の半分を占めている。
そのため、その人が指摘してくれたことはとても的を得ている可能性が高い。なんせ自分自身がそれらの重要性を認識できるほどの物差しを持ち合わせていないのだから。
「そんなことない!そんなお前はサッカーによる恩恵を知らぬだろう!僕はサッカーを通して大人になり紳士になっていくのだ!」
なんて事を言っても意味がないことくらいはこれを読んでいるあなただってわかる話であろう。

僕が知的な人になりたいのか、ChatGPTにはなりたくないのか、とかは関係なく、
単純に自分が触れてきてない世界がこの世の中にはあり、自分が今後目指していきたい道に必要そうであればそれは取り入れるべきである。
僕はそういう直感がしたので、その人のメッセージの真意を考察したかったのだ。
と、事後的にはこう記述できる。
がしかし僕は獣である。相手の言葉に対し感情的になり、自分の中で整合性が取れない時というのもある事は承知しているので、あくまで事後的に解釈したに過ぎない。

あれから1か月が経ち、彼が貸してくれた本を読み終えて彼のメッセージはなんだったのかという考察のオチだが、
彼は自分の内面を言語化することの重要性を伝えたかったのではないかと感じた。
哲学というのは世の理を緻密に考えていくことではあるが、それを私的言語で展開されちゃ後続が困るわけだ。
だから言語化をしていかなきゃいけないわけだが、どう考えたって自身が感じているクオリアのニュアンスを伝えるのには言語は有限すぎる。そのため造語を用いたり、時には”詩的”と評されたりする表現を用いたりしているのだろう。
芸術活動も自己の内面をどういう形で表現するのかというのが根本にあるように思われる。

彼は、どんな質問をしてもすでに反芻されつくした議論や表現でしか返答しない奴と言う風に僕を捉えたうえで、
そうでないもっと深遠なボキャブラリーを蓄えてね。っていう意を込めて僕に冒頭のメッセージを伝えてくれたのではないだろうか。

ありがとうございます案件ではある。
とても感謝だ。
しかし、僕はどれだけ文学や哲学、芸術や詩に触れ続けても、これからもChatGPTであり続ける自信しかない。
その理由は特に大それたものではなく、そう直感しているからだ。
どこまで行っても僕は人類のミームの中心や切れ端のコピペをしていくだろうし、それをぶち破るような迫力を持ち合わせていない。
もしそれを持ち合わせていたら、こんなnoteなど書かずにせっせと原稿用紙を汚しているだろうから。

だがそんなコピペ野郎の僕にだって楽しいと思える瞬間や事象がある。
それらを味わい尽くせるようにこれからも生きていくつもりだ。たとえ人類のフロンティアの開拓に寄与できなくても。

自身では気づかない自分の側面を、他者の言動や行動から知るということはとても重要だ。
皮肉にも自分自身があまり居心地よくないなと思う場所、時間、人であればあるほど気づきの純度は高い。

僕はこれからもコピペ野郎であり続けるが、
自分自身にとって重要な気づきを与えてくれる機会にはこれからも前向きに向き合っていきたい所存である。
頑張ろう。




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