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ただただ、漕ぐのだ。

3/12~17、「チャリ旅2024~茨城県の全44市町村制覇の旅~」。
無事完走したことを機にnoteを書こうと思う。
まだ記憶がほやほやのうちに書いていこうと思ったが、せっかくの機会だ、
最初に過去の3回分をざっくり振り返った後に今回のチャリ旅について書こう。
ということでかなり長丁場となることがここで確定した。
時間のある方、ものすごく物好きな方、いいじまの隠れファンの方以外は今すぐこの記事から離れることをおすすめする。

それではただのいいじまの備忘録を垂れ流していこうと思う。


第1回 「山手線一周」

中学三年生の卒業旅行という程からスタートした、「チャリ旅」。
1回目は地元から東京に行き、山手線を一周するという旅だった。
15歳の僕らは不十分な知識と有り余る体力を持ってチャリ旅を敢行した。
小学~中学の幼馴染6人+僕という構成。
叔父から中学生の頃自転車で富士山まで友人と行ったという武勇伝を耳が取れるほど聞かされて育ったため、「いつかチャリで遠くにいきたいな」という漠然としたアイデアが幼い時からあった。
そんな僕のアイデアに乗っかってくれる友人に恵まれ、無事第1回を迎えることが出来たのだ。
ある友人がホテルとルートを全て段取りしてくれたので僕らはただ無我夢中でママチャリを漕ぎ続けることが出来た。
旅にトラブルは付き物。メンバーの1人が集合時間を2時間近くすっぽかすという事件から始まった。結局その子は一人で僕らが待つ上野まで来た。
合流した後山手線一周の旅がスタートしたのだが、これがまた大変。
僕らはグーグルマップを駆使していたものの地元から上野まではほぼほぼ真っすぐで来れた。
しかしここは大都会東京。山手線ほど真っ直ぐと程遠い路線はない。
僕らはグーグルマップに頼りすぎたせいで、
よくわからない住宅街の階段をチャリを持ち上げて降りたり、
大きな道路をそのまま進めばいいのになぜか横道に入りさっきまで通っていた道路に出る、などなどの右往左往な状況にさらされた。
そのおかげで宿泊先に着くころにはクタクタだったしお腹も減ってるしで、僕はホテルで風邪をひいてしまった。メンバーの1人も寝込んでしまっていた。
そんな体調の変化がありながら、なんとか山手線を制覇した僕たちは地元の帰り道でまたしてもトラブルに見舞われた。
あるメンバーのチャリのチェーンが外れたのだ。東京を脱出したものの、まだ地元からは距離がある。
加えて僕らははやく帰りた過ぎてうずうずしている。
しかしこのまま脱落させるのは仲間として許し難い。
そこで僕らは1人ずつ代わり替わりでその自転車を押していくことにした。サドルに寄りかかり地面をキックして進んでいくという作業だ。
これにより大幅に到着時刻は遅れたが、真っ暗闇の中無事にスタート地点に帰ってくることが出来た。
あの友情リレーは今でも思い出す。最高の場面だ。
正直、このチャリ旅を終えて僕は言葉にできない達成感を感じたのと同時に、まだまだチャリで行ける範囲を伸ばせるんじゃないかとも思った。
そのような思い出をぶら下げて僕は山奥の高校の寮生活に向かっていった。

第2回 「鎌倉」

1回目のチャリ旅を終えてから、3年後の2020年3月。
高校の卒業式にコロナパンデミックが起こりほぼ学年集会の卒業式を終えて地元に帰ってきた僕は、2回目のチャリ旅のためチャリに跨った。
高校3年生の秋ごろから2回目のチャリ旅についての段取りを進めていたのだ。
2回目のチャリ旅は、「鎌倉」。
我々チャリ旅メンバーが小学校の頃に修学旅行に行ったのが鎌倉。その時は土砂降りという最悪の環境だったこともあり我々にとって魅力的かつ挑戦的な土地だったのだ。
しかし、社会はコロナパンデミックの対応に困惑している時期。
チャリ旅第1回のbrainだったメンバーが辞退するというかなり大きい痛手を負ったのに加えて、前回のメンバーの2人が不参加ということになった。
しかし新たに2人、小学~中学の幼馴染が加わり6人で2回目のチャリ旅を敢行した。
今回も前回同様、地元から出発し東京に向かう。そこから一気に戸塚駅まで向かうというのが1日目のミッションだった。
3年ぶりのチャリ旅というのと、高校生ということも相まって、ホテルの段取りやルートチェック、グーグルマップとの付き合い方が修練されていた。
そのため、第1回のチャリ旅では東京まで3時間半ほどかかっていた道のりが2時間強で通過するという成功をおさめた。
しかしこれが我々を苦しめた要因でもあったのだ。
東京を軽々通過し、成長感を握りしめた我々はこう思った。
「このペースで休憩も1,2回くらいで行けば余裕でしょ。」
高校生といえどまだまだ未熟者。身体はオトナでも思慮深いとは言えない。
あたりまえではあるが、”道”というのは土地ありきのものだ。
土地が変われば道の性質も変わる。
そんな当たり前なことをスルーするほど、我々が握っていた成長感が我々を高揚させた。
”high”になった我々は戸塚駅に向かって漕ぎ続けた。
東京にいるうちはまだ進みが良かった。銀座通りの規則正しい信号機に苦戦を強いられたのを除いて。
東京を抜け神奈川県に入った途端だ。それまでは大きい道路を提示していたグーグルマップが示した道の先には数えられないほど建物が並んでいる住宅街。
前回のチャリ旅メンバーの頭にはあることがよぎった。
「これは、また変な階段を降りたりくねくねしながら進んでいき、変に体力を消耗するパターンでは。。。」
面白いくらいにその通りに事は進んだ。
東京に入りペースと距離を確認した我々は戸塚駅に夕方ごろに到着するだろうと予測していた。
迷路のように入り組んだ住宅街を抜けた我々が戸塚駅に到着したのは夜。
駅前のホテルに滞在する予定だったのだが、到着しご飯を食べようと思っても閉店時間が近いお店ばかりだったのを覚えている。
そんな1日目を過ごした我々は2日目に電車に乗って「鎌倉」へ向かった。
元々戸塚駅に泊まって電車で鎌倉に行く予定だったのだ。
今回「鎌倉」を選んだ理由の1つに我々の小学生の頃の修学旅行の借りを返すというのがあった。土砂降りに終わったあの「鎌倉」の記憶を塗り替えようじゃないかという気合だったのだ。
しかし、疲れ果てた我々がホテルの窓から見た景色は最悪だった。
雨だ。
土砂降りではないが、パラパラが降りやまないという地味に嫌なタイプの雨だった。
しかしここまできた以上、このまま帰るわけにはいかない。
我々は電車に乗り込んだ。
長谷寺や銭洗弁財天、江ノ電など当時の記憶を辿りながら6人で歩いたあの鎌倉は今ではとても忘れられない思い出となっている。
夜には江の島の海鮮丼屋さんに行き、みんなで値段を気にせず海鮮丼をほおばった。海鮮丼屋さんから出るころには辺りは暗くなっていて、雨でコーティングされたアスファルトが黄色い街灯の光を反射していて、それはそれは綺麗だった。
その後戸塚駅に戻り夜を明かした。
次の日は東京の墨田区のゲストハウスに泊まる予定だった。そのゲストハウスはスイッチやカードゲームで遊べたり映画などもみれたり出来る施設となっていて、地元に戻る前の宿泊先としては持って来いの場所だった。
少しゆっくりの時間に戸塚駅を出発した我々は、迷路のような住宅街を横目に大通りを東京に向かって走った。
1日目の教訓を意識しすぎてか、休憩を取り過ぎた分チェックイン時間に間に合わない可能性が出てきた。
そこで少し急ぐという意味合いでチャリを漕ぐのがはやいメンバーを先頭にしてみた。すると作戦が見事にハマりかなり良いペースで進むことが出来た。
到着まであと40分ほど、というところでトラブルだ。
僕は後ろから2番目のポジションでチャリを漕いでいた。
僕の前のメンバーが歩道から車道に出ようとしたのか、後ろをちょこっと確認した。その後彼が前を向いた瞬間。
歩道の終点付近にあるポールにぶつかり、彼は宙を舞った。
あの瞬間僕はスローモーションに見えた。彼がキレイに空中で前回りしているのだ。
彼の大きめのリュックサックのおかげか頭を打ったものの衝撃は軽かった。しかし目の上あたりを切っているため血を流していた。
僕は急いで前にいるメンバーを呼び止めた。そして頭を打っている瞬間をみているので大事を取って救急車を呼んだ。
そこに救急車がやってきて、野次馬が勢力を拡大してきた。
彼を乗せた救急車内では、病院が決まるまでの間彼の保護者が手配出来ないか否かの話をしていた。彼は少し戸惑いながらも東京の地に親を召喚した。
幸い現場から近くの病院に搬送されるとのことだったので、救急車と野次馬が去ってから彼の荷物や自転車を届けに行った。
この事故の影響で僕らは2時間弱足止めせざるを得なかった。
そしてゲストハウスに到着したのが夜9時頃。
流石にお腹が減ったのでみんなで近くのラーメン屋へ。
ラーメンを食べているときに病院に搬送された彼から連絡がきた。
「MRIとかいろいろ検査した結果、擦り傷のみだったので今から合流します。」
彼は親の車に自転車をのせ、ゲストハウスにやってきた。
左こめかみあたりにガーゼを貼っているだけで、事故る前のまんまな状態に安心したのと同時にどうしようもなく笑けてきた。
もう夜が遅かったのでその日はゲームなどをすることなく寝てしまった。
早起きの僕は事故を起こした彼の様態が気になった。検査したとはいえ、1日経って体調に変化が起こるのはよくある話だったからだ。
彼の寝ているベッドに近づくと、不謹慎だが笑ってしまった。
KO負けしたボクサーのように顔の左側がパンパンに腫れていたのだ。
僕の笑い声で他のメンバーも起きてきた。僕らのざわざわに彼は不安になって鏡を確認しに行った。
夜が遅かったのとトラブルによる疲労の蓄積があったものの、良い朝を迎えて我々は墨田区から地元へとチャリを漕いだ。

第3回 「河口湖」

コロナパンデミック直前の第2回を終えた2年後、2022年3月。
第3回のチャリ旅を敢行した。
今回は「河口湖」。
正直ミスった。鎌倉の次に設定するようなところではない。
しかし、鎌倉を完走した我々のハードルはかなり上がっていたのだ。
チャリ旅メンバー内のミーティングでも、
「次は富士山とかでしょ」というような意見に賛同する人が多かった。
過去2回は卒業のタイミングだったが、第3回は謎のタイミングで決行する運びとなった。
実はこのチャリ旅の一部始終は過去にnoteで書いている。

過去回とは圧倒的に距離の暴力が桁違いであったものの、だからこその達成感を得ることが出来たのは間違いない。
実際メンバーの1人は就活の面接の際に、「今まで一番取り組んできたことはなんですか」という質問に対して、この河口湖へのチャリ旅の話をしたという。
すると面接官の食いつきが強くかなり盛り上がったそう。
確かに、上司に滅茶苦茶詰められた際に
「ぐだぐだ言ってるけど、お前はチャリで河口湖行ったことないよな?」という謎の自己肯定力を発揮することができるのは間違いない。
(あ、仕事の話とチャリ旅の功績はまっったくもって関係ないから、絶対やめようね!)
気になった方はぜひ過去記事の河口湖のあたりを覗いてみてほしい。

第4回 「茨城県全44市町村制覇の旅」

大変お待たせした。
やっとここから出来立てほやほやの記憶を基に今回のチャリ旅について書いていこうと思う。
構成として、最初に今回の旅の中で起こった出来事を書き始める。
その後になぜ「茨城県全44市町村制覇の旅」という設定をしたのかということを構想者兼ディレクター兼カメラマン兼編集者である僕が書いていく。
最後に、今まで全4回のチャリ旅に参加してくれたメンバーに対しての思いを書いていく。

今回のチャリ旅のプログラム

過去3回は写真や動画等を撮っていたものの、各々のインスタで投稿するなどの範囲にとどまっていた。
しかしせっかくなら1つ動画としてまとめたいなと個人的に思ったため、メンバーのiPhoneやアクションカメラを使ってガンガン素材を撮りまくったり、ロケなどの日程を組んでYouTuberごっこをしようと考えた。
チャリの走行シーンやロケでのやり取りなどのデータがたくさんたまったので、これから動画作成に取り掛かる。完成は来年3月を目途にしている。
完成した際はこそっとこの記事にリンクを貼ろうと思っている。物好きな方はひそひそと待っていてくれればと思う。


また今回は茨城県のすべての市町村を回るという程であるが、さすがに1つ1つの市町村の魅力を深ぼることはスケジュール的に難しかったため、
市町村の境目にある看板をバックに写真を撮り、それを44枚集めること」を制覇の条件とした。

今回のチャリ旅メンバーは新メンバーを含めた8人。
8人で全てを回るのは難しいので、ある地点からは2手に分かれることにした。
ロケやチャリの走行シーンなどの素材は各斑の裁量。
常に同じチームではなく、毎朝クジ引きでチーム分けを行った。
例外的に2日目と3日目は同じチームメンバーに固定した。3日目のルートの問題で2日目の宿泊地はバラバラになってしまったからだ。

基本的には1日1地方。茨城県は5地方あるので、5日かかる計算。
加えてさすがにずっと走り続けるのはきついので、リフレッシュもかねて4日目は大洗で早めにチェックインして自由時間を設けた。
そのため全体のスケジュールは5泊6日となった。

ルートは事前にロケハンをしていたものの詳しくは回れなかったため、各斑に回ってほしい市町村をあらかじめ指定しておき、最終地点である宿泊先を考慮したルートを各斑毎に相談して調べてもらった。

以上が今回のチャリ旅の大まかなプログラムであった。

1日目(県南4つと県西) 「大雨&強風の冷たさと人の温かさ」

この日はいつものチャリ旅スタートの集合場所に朝7時に集合した。
1日目のざっくりとしたルートは、まず県南地域の4つの市町村をクリアした後に県西地域を攻めるというものだった。
しかしこの日の天気予報は雨。午後から強い風と共に激しくなるとの予報だった。
だがチャリ旅において天候による中止などはなく、各自カッパや袋などの準備をしてきていた。
この日はメンバーの1人が就職先の研修のため1日目の宿泊先にて合流することとなっていたが、お見送りのため朝早く駆けつけてくれていた。
OPを取っていざ出発。
スタートはいつもみんな元気なのでかなり和気あいあいとした雰囲気でチャリを漕ぎ始めた。
しかし早速トラブル。距離でいうと5kmも走ってない段階でメンバーの1人の荷ヒモがちぎれた。そのため少し止まりはしたが序盤ということもありみんなこのトラブルを楽しんでいた。
そして県南4つをクリアし、各グループ分かれて行動を開始する地点である守谷市までたどり着いた。
この時雨がパラついたり止んだりしていたのであまり雨による影響は感じなかった。メンバーも疲れは見えたものの、守谷市のイオンにて昼食と休憩を挟んだら元気を取り戻していた。
休憩を終え駐輪場にて運命のクジ引き。
この日の宿泊先は桜川市の真壁にある旅館であった。
守谷市から坂東市→境町→五霞町→古河→結城をクリアして桜川市に向かう斑と、
守谷市からつくばみらい市(県南だがクリアする予定であった)→常総市→筑西をクリアして桜川市に向かう斑に分かれることとなった。
スタート地点から守谷市までを合わせると、前者のルートが約130km・後者のルートが約105kmとなる。
明らかに後者がラクな設定となってしまったが、茨城県の地形と翌日のルート的にしょうがなかった。
もちろんみんなは後者を引きたがっていた。
しかしクジ引きとは残酷である。強く望んでいたとしても引けなかったら落胆せざるを得ない。
ということでクジ引きが終わりそれぞれの班に分かれてチャリを漕ぎ始めた。
ちなみに僕は後者のルート。ラッキー。
チャリを漕ぎ始めて1時間後、危惧していた大雨&強風が我々を襲い始めた。
今回のチャリ旅の条件である各市町村の看板をバックに写真を撮るというのと、動画づくりの素材集めというのがあったが、あまりにも雨がすごいためiPhone等電子機器の扱いが慣れなかった。
そのため結果的に条件である看板をバックに写真を撮ることはできても、各斑の模様をおさめる素材等があまり集まらなかった。
加えて、身体的なダメージが我々を襲う。
大雨によりカッパは機能不全を起こし、各々のリュックサックや荷物もびしょ濡れ。靴も濡れているため足先が冷たい。体温が徐々に冷えていく感覚を覚えている。
加えて強風のため自転車も思うように進まない。
こんな条件の下我々は全員が100kmを超える走行を終えた。
もちろん後者のルートの班が一番早く旅館に着いた。
この旅館がとてもおもてなししてくれた。チェックインの時間が読めないのでちょいちょい連絡を入れていたものの、大幅に時間を遅れて到着したのにも関わらずお風呂を焚いておいてくれたり、びしょ濡れになった衣類を洗濯してくれたり、有料であるコーヒーを人数分提供してくださったり。
加えて遅れてやってくる斑のメンバーが帰ってくるまでの間、買い出しの車を出してくれたり。
まさに至れり尽くせりなおもてなしを受けた。
それに旅館の部屋はとても素敵で、暖房をつけて温めてくれていた。
明治中期に創業された旅館みたいで、とても歴史を感じる場所だった。
買い出しから帰ってきたタイミングで遅れてやってくるメンバーと合流し、早く着いていたメンバーで彼らの着替えやらお風呂やらを率先して手伝い、22時頃にはみんなで温かいご飯を食べることが出来た。
女将さんがとても親切かつフレンドリーで、最近テレビ番組のロケが行われた話や女将さんの娘さんが僕たちと年齢が近いというような話などたくさんお話をした。
女将さんの親切心はとてもすごくて、チェックアウトの時間を聞きにいった際には、
「何時でもいいですよ!たくさん寝て、夕方くらいに起きて出発でも大丈夫ですよ!」と言ってくださった。
お客さんの予約状況等もあるのだろうが、その時の僕たちにとってその言葉はとても嬉しかった。とてもホスピタリティのよい旅館だった。とても感謝している。
(なんと翌日は人数分の焼きおにぎりやコーヒーなども用意してくれた。)

温かいご飯を食べながらそれぞれの道のりで起こった話や他愛のない話で盛り上がった我々は無事に1日目を終えることが出来た。

2日目(県央(東海村・大洗以外)) 「轆轤とバギー」

最高のホスピタリティを受けて僕たちはとても良い朝を迎えた。
嵐の後の天気というのは清々しい。しかしチャリ旅中の僕たちにとってはその清々しさが少し憎たらしかったのは否めないが。
朝9時くらいに斑分けのクジ引きを行った。このクジ引きにより2日目・3日目のメンバーが振り分けられる。
2日目笠間で轆轤体験&3日目袋田の滝→竜神大橋バンジー組、
2日目水戸でバギー&3日目北茨城まで行って日立まで南下組。
もちろんこの道中で回る市町村は指定済みである。
轆轤体験とバンジーを志願したメンバーがいたのと(第2回で事故った彼)、前者の斑のロケが今回の旅のメイン処となりそうだったのでそれらの素材をちゃんとディレクションしたいというので、僕は前者の班に確定していた。
白熱したクジ引きが終わり、水戸バギー組が先に旅館を出ていった。
その30分後に僕の班が出発した。

笠間市は”笠間焼き”が有名で、個人的に今年の1月2日には焼物のイベントに祖母と一緒に行っていた。そのようなイベントに遠方の人たちがくるほどかなり有名だ。
焼物に興味があるため、轆轤体験はとても魅力的だった。
桜川市から笠間の道中、山を登ったり、田んぼのあぜ道を通ったり、1日目とは違う風景の中でチャリを漕いでいた。
笠間芸術の森公園に体験時間ギリギリに到着し、陶芸体験がスタートした。
簡単なレクチャーを受けて、先生が僕ら4人を一気に見ながら指導するというような体制だった。
各々作りたいカタチを設定し轆轤をまわすのだが、これがなかなか難しい。
だがとても楽しかった。
粘土なんて10年ぶりくらいに触った。
この陶芸体験で作成したものは2,3か月後に届くとのこと。完成品がとても楽しみだ。
陶芸体験を終えてチャリに跨った僕たちは、笠間稲荷神社の前の商店街に向かった。お昼を食べていないというのもありお腹が空いていた。
するとメンバーの1人が(第2回で顔パンパンだった彼)、「笠間はモンブランが有名だからモンブランを食べたい」ということで、とても雰囲気の良いお菓子屋さんに入っていった。
これは個人的にとても後悔しているのだが、僕はめちゃくちゃお腹が空いていた。モンブランはとても好きなのでいいのだが、モンブランの前にがっつりご飯を食べたかった。その後だったら最高なのだが、彼はもうお店に入ってしまった。そのため露骨に嫌な態度を出してしまったのだ(本当にごめん笑)。それを彼は悟って会話の随所に申し訳なさそうな雰囲気を醸し出していた。ほんとごめん笑
おしゃれなお店で、彼はモンブランを食べ、僕も含めた他のメンバーはシュークリームをペコペコのお腹に入れ込んだ。
宿泊先のチェックインの時間もあったので、その後何かを食べることもなく、城里町にある宿泊先に向かってチャリを漕ぎ始めた。
宿泊先の近くにスーパーとホットモットがあったので、そこでご飯を買って部屋で食べた。前日は8人みんなでご飯を食べていたのでワイワイ感が減った感は否めないがとても楽しく食事を終えた。
その後僕と同部屋の子とお風呂に入った際のおもしろエピソードはここでは詳細に記さないが、かなりおもしろかった笑。
僕らの班は翌日に大子町に行って竜神大橋バンジーを撮影し、宿泊先である日立駅前のホテルに向かうというハードな道のりだったので、翌朝5時に出発することを相談して決めた。

水戸のバギー組の詳細はわからないが、彼らがあとに教えてくれたのが、
バギーの受付がわからず開始時刻が20分ほど遅れたそう。それ以外のトラブル等はなく無事に2日目を終えたそうだ。
彼らはビジネスホテルに宿泊して翌日に臨んだそう。

3日目(県北) 「滝とバンジーと坂」

大子組は早朝5時に宿泊先を出発した。
これから山を登り、袋田の滝をロケした後竜神大橋にてバンジーのロケ、そして下山。
誰から見てもハードな日程だ。
ロケハンしていて、大子組が一番ハードであることを確信した。山を登って下るというのだけでも大変なうえ、各ロケを遂行しなくてはいけないからだ。
しかし蓋をあけてみるととても充実した日となった。
まず僕たちがロケハンで想定していた道のりではなく、大きな道路を避けて集落や住宅地、駅の沿線を中心とした道のりだったためチャリの進みが早かったのだ。
加えてチャリの走行シーンも取りやすく道中の素材も集めることが出来た。
そのおかげで袋田の滝に着いたのが、前日の予想到着時間よりも2時間も早かった。
そして一番驚いたのが、朝9時までに入場したら入場料がかからないのだ。
僕たちが付いたのが8時55分くらい。とてもラッキーだった。
観光客がいない中で袋田の滝を眺めた僕たちは圧巻の景色に心を奪われた。
(この映像は動画に必ず登場すると思うのでぜひ期待していただきたい。)
袋田の滝を見終えた僕たちは朝ごはん兼昼ごはんを近くのご飯屋さんで済ました。そこで食べた軍鶏丼は格別においしかった。他のメンバーは鮎の塩焼きを食べていてとても美味しそうだった。
その後僕らは竜神大橋に向かって漕ぎ始めた。
竜神大橋の道のりで驚いたことが2つ。
1つはしれーっと心霊スポットであるトンネルを通っていたこと。そこが心霊スポットだというのは後々知った笑。
もう1つは竜神大橋までの坂道がとんでもなくきつかったこと。ただでさえ、チャリで疲弊してるのに加え、竜神大橋の入り口を間違えて入り直したというのもあり、体力に自信のあった僕でも下半身が攣りかけた。
竜神大橋バンジーの受付有余時間ギリギリで受付を終え、バンジージャンプを志願した彼(第2回で事故った後かすり傷のみで復帰してきた彼)の顔は緊張によりとんでもなく碧白かった。前日までの彼は、
「もちろん緊張するだろうけど、一生に一度の経験だから楽しむよ!」と爽やかに言っていたのだが。。。
しかしそうなるのは当たり前だ。日本一高いバンジージャンプと言われているのだから。
僕は同伴ということで彼に密着という形でジャンプの瞬間やその後をカメラで収めることができた。この映像もぜひ完成した動画を楽しみにしていてほしい。
バンジージャンプを終えた彼はイキイキとしていて、同じグループでバンジーをした大学生2人とインスタを交換するくらいだった。(すごい高揚感だな笑)
少し時間をおいて、ロケを遂行した僕たちは日立に下山するためチャリに跨った。
帰りは下ったり登ったりの繰り返し。途中休憩を挟みながら無事日立駅近くの宿泊先に到着することが出来た。
日立駅に近づくにつれて家系ラーメンを食べたい気持ちが芽生えたのだが、ホテルに着き2日ぶりに8人全員集合してご飯を食べに行った際、ことごとく近くのラーメン屋さんが休業していたのをみて絶望したのを覚えている。
結局近くのショッピングモールのフードコートに行き、それぞれ食べたいご飯を一緒のテーブルで食べた。
メガ盛りメニューのあるお店があって、メンバーの1人が(過去brainとして参加していた奴)、メガ盛りかつ丼の後にメガ盛りクレープを食べ始めた。
周りのメンバーは「絶対食べれないだろ笑」と茶化していたが本人は、
「いや、絶対食べれる!」と豪語していた。
しかし彼は大量の生クリームを摂取することとなり、結局飽きがきて食べきれず、お店の人にパックをもらってホテルに持ち帰った。

水戸バギー組の人たちは、北茨城まで北上した後日立に南下するというルートだった。
彼らに聞いたところ、微妙な傾斜の上り坂と下り坂が頻繁に現れて、それが一番辛かったとのこと。
彼らの方が早くホテルに到着して、お腹が減っていたのにも関わらず僕らの帰りまでご飯を待っててくれていた。
とてもありがたい。

4日目(那珂湊と大洗) 「リフレッシュと心霊スポット」

3日目の疲労を考慮して、4日目はリフレッシュの日として設定していた。
日立駅から大洗の宿泊先まで約40km。
チャリ旅あるあるなのだが、1日100km程度チャリを漕ぎ続けていると感覚がバグる。
この時の僕たちにとって40kmというのはリフレッシュなのだ笑。
日立駅から見る朝陽がとても有名で、それを拝みに朝5時半に起きて有志のメンバーと見に行った。
僕たちはチェックアウトギリギリまでホテルに滞在する予定だったため、朝陽を見に行ったメンバーはホテルに戻った後数時間寝ていた。
しかし二度寝が出来ない僕は昨日までの疲労を隠すかのようにコーヒーを飲み読書をして時間まで過ごしていた。

この日は斑分けをせず8人で動く流れだった。
初日の宿泊先で合流したメンバーにとってはこの日が初めての全員でのチャリ旅だった。
1日目ぶりの全員での走行はとても楽しかったのを覚えている。
リフレッシュということで、昼飯はひたちなか市の那珂湊の市場で食べることにした。
40kmということでメンバーがかなりイキイキしていた。
那珂湊の市場に着くとわかりやすくテンションが上がった。色々回ってそれぞれ気になったご飯屋さんでお昼ご飯を食べた。
その際話したのだが、社会人になってまたチャリ旅メンバーで集まってお金を気にせず那珂湊でご飯食べたいなと思った。
そのくらい那珂湊での時間はとてもリフレッシュできた。

那珂湊から宿泊先までは近く、当時の僕たちからしたらあっという間だった笑。
15時半にチェックインをして、そこからフリータイムということでみんなでパーティーカードゲームや人狼などして楽しんだ。
カメラをまわさずに楽しんだが、チャリ旅中は恒例の遊びなのでとても盛り上がった。
事前にコンビニで買っておいたご飯を食べ、お風呂に入る組と別組に分かれた。

リフレッシュとして設定していた大洗。
流石に何もしないというのも気掛かりであるのと、動画のテイスト的に1つ変わり種が欲しいなと思っていた。
その中で僕らの宿泊先の近くに「大洗トンネル」と言われている心霊スポットがあることを知った。
ということで、あるメンバーを演者として、僕と他2人の4人でそこで心霊ロケをしに行った。
夜20時に向かったということもありかなり暗く、怖い雰囲気があったのだが、肝心の取れ高はというと、、、
これはぜひ完成した動画を見ていただけるといいかもしれない。(カットの恐れあり)

ということで、リフレッシュとして設定した大洗は結果的にとてもよかった。
個人的には日立の朝陽からの寝不足&ハウスダストアレルギーを発症した影響でかなり体調が不安定ではあったが、寝て翌日起きたら悪化していなかったので安心した。

5日目(鹿行) 「恐怖と取れ高」

リフレッシュの大洗を終えて、チェックアウトした僕たちは宿泊先の前で斑分けのクジ引きを開催した。
今回の班は、
鉾田市の廃墟”竜宮城”をロケして行方市に入り宿泊先である潮来に向かう組、
鹿島スタジアム&鹿島神宮をロケして神栖をクリアして潮来に向かう組。
僕は”竜宮城”のロケの素材を集めたいため前者の組に確定していた。
クジ引きを終えて、大洗からそれぞれのルートに向かってチャリに跨った。

結論から言うと、”竜宮城”の素材はかなり取れ高があった。
確実に動画に組み込むつもりなので完成した動画を楽しみにしてほしいため詳細なことは言えないが、かなり緊張感のある映像を撮れた。
ぜひ期待していてほしい。
”竜宮城”のある地域は廃屋がとても多く、今まで通ってきた街とは全く違う雰囲気を醸し出していた。加えて11時半になる鉾田市のメロディが不気味さを連想させた。正直前日の大洗トンネルよりも怖かった。

”竜宮城”でのロケを終えて、北浦を渡り行方市に入り潮来を目指した。
県北を終えた時点で山を越えたという認識でいたのだが潮来を目指す途中にたくさんの坂道を登ったり下ったりした。
メンタル的にも身体的にもかなりキツかった。
無事潮来の宿泊先にチェックイン時間の前に到着した。鹿島神宮組よりも早く到着したので先に受付を済ませ部屋に入った。その1時間後くらいに鹿島神宮組が到着し全員無事に合流した。
鹿島神宮&鹿島スタジアム組は、鹿島スタジアムの中に入ったり、鹿島神宮でシカに餌を上げたりなどかなりほんわかなロケをしていたと聞いた。
到着も早かったのもあり、各々フリーの時間を過ごした。
この日一番の発見は、潮来駅前のとんかつ定食屋さん「とん平」さんだ。
ここはとんでもなく美味しかった。
茨城県でおすすめのお店を聞かれたら「とん平」さんをおすすめするだろう。それくらいの衝撃だった。
時間差はあったが全員「とん平」さんで夕飯を食べたが、全員衝撃を受けていた。
こういう地元に根差した美味しいお店に出会える喜びというのはとても感動的なものだ。

この日が今回のチャリ旅最後の宿泊ということで、いつも通りパーティーカードゲームをやっていたがさすがに疲れていたのか、1時間ほどやった後それぞれの部屋に戻った。

最終日直前にして、メンバーの1人が膝を痛めてしまった。
僕は一応鍼灸師ではあるが、他のメンバーに今年の理学療法士の国家試験を受験した人(かつてbrainだった奴)もいたので、簡単な整形外科検査とケアを行った。
しかし、痛めた膝の靭帯の損傷の恐れと痛みも相まって翌日の参加が怪しくなった。
実際彼は翌日離脱する旨を僕に伝えてくれた。

最終日(県南) 「疲労と地元と仲間」

宿泊先のホテルがコーヒーメーカーを無料で使えるということで、早起きの僕はロビーに降りて一人コーヒーを飲みながらボーっとする時間をとっていた。
朝起きてコーヒーを飲みながらボーっとする時間がとても好きでそれを出来ると不思議と1日が締まる気がするのだ。
ボーっとし終えて部屋に戻ると、膝を痛めた彼が起きていた。
体調を聞いて、一応膝の可動域や圧痛点等を再度確認してみた。
色々確認してみると、単純な筋疲労による影響が多いのではないかと考えた。もちろん検査はするべきなのだが、彼が「もし筋肉系のトラブルだったら、やりきりたいかも」と言っていた。
一応大きな靭帯の整形外科テストをやってみた際、靭帯よりも筋肉系のトラブルっぽいことが考えられたため、「もしチャリ旅を終えて時間を置いて、痛みが残るようだったら病院行って」と伝え、最終日も参加することになった。

チェックアウトを済ませ、最後のクジ引き。
今回はかすみがうら市に入る橋までみんなでチャリを漕ぎ、その後霞ヶ浦を北上してスタート地点である僕らの地元に向かう組と、
橋を渡ってかすみがうら市に入り、残りの県南地域の市町村をクリアする組に分かれた。
僕は後者の班だった。
みんなでチャリを漕いでいるときは最終日ということもあり、かなり和気あいあいとした雰囲気だった。
実際橋の近くにあった道の駅で食事をしているときは楽しくワイワイしていた。
ここまで来てもワイワイできる友人に恵まれて本当に良かったと心の底から思えた。

ただ不思議なもので、自分たちの知っている道や街に入ると一気に疲れがやってくる。
「ここまできたなら早くゴールしたい!」という焦りや「帰ってきた!」という安心感もあるのだろうか。
実際僕と別の班のメンバーの1人がゴールする直前から体調を崩したそう。

最終日はロケはせず、ひたすらチャリを漕いで各市町村の看板を撮って帰ってくるというルートだった。
僕の班もかなり順調に進んでいたのだが、美浦村にはいった途端ペースが一気に乱れた。
なぜか美浦村の看板が市町村の境目にないのだ。
隣の町の看板はあるのに。
本来ならその逆側にあるはずなのに。
見当たらないのだ。
ただでさえ、疲れがどっと押し寄せているのにも関わらずだ。
立ち止まってどうしようか話し合って、「村役場まで行くしかない!役場の写真を証拠としよう!」と決めた。そして疲れ果てた足をペダルに置き漕ぎ始めて数分後、ある電柱を見つけた。ある音楽教室の広告の下に美浦村の記載が。
「。。。よし、これで良しとしよう!!!」
その電柱を撮影し、サッとゴール地点のある地元へ向かってチャリを漕ぎ始めた。

僕らの班がゴールする30分前くらいに別の班がゴールしていた。
そして無事にスタート地点に辿り着くことが出来た。
みんなかなり疲れ果てていて、これ以上グダグダはできないと判断して早急にEDを撮影して、部活終わりのようにそれぞれ解散した。

なぜ「茨城県全44市町村制覇の旅」?

今回のチャリ旅は大学卒業のタイミングということで、2023年の4月くらいから構想を始めていた。
チャリ旅メンバーでのミーティングで四国に行ってそこからチャリ旅をするというアイデアや大阪までいくというアイデアも出た。
しかし我々は2024年の4月から社会人や新たな進路に進む。
そうなるとこのチャリ旅みたいな長いスケジュールを要する企画がやりづらくなる。
実際今回がラストになる可能性が高いだろうと考えた。
それなら単純な距離を伸ばすのではなく、我々の地元である茨城県の魅力を身体を通して堪能しようという風に決めた。
意外と自分の地元の風土について知らないこともあるため刺激的ではある。
加えて今回のチャリ旅の中で感じた茨城県の魅力を他県出身の人に語れるネタにもなりうる。
という点で今回茨城県の全市町村を回るというチャリ旅をしようと決めた。

チャリ旅メンバーへ。

まずは「チャリ旅2024~茨城県全44市町村制覇の旅~」に参加してくれて本当に感謝している。
今回構想等の枠組みは全て僕が設計したが、その後の肉付け等はみんなの助けのおかげである。本当にありがとう。
3月のこの時期は、卒業式や入社式、研修、大学の同期やバイト先の打ち上げ等のイベントが混在するのにも関わらず1週間のスケジュールをチャリ旅のために作ってくれたことに感謝している。
今回は動画制作をするということで、動画の素材集めが重要だったがみんなのおかげでとても良い素材が集まったと思っている。
ぜひ完成まで楽しみにしていてくれると幸いだ。
僕は社会人ではなく、2024年も大学生兼アルバイターとして生きていくので社会人のみんなよりも時間を工面しやすいため編集等も1年かけて行っていく。
その際また協力をお願いすることもあると思うがその時はぜひよろしくお願いしたい。🙇

今回のチャリ旅の動画が完成したら、みんなでスケジュール合わせて集まって試写会をやろうと構想している。
その時に今回のチャリ旅の打ち上げでもしよう。
ということで本当に参加してくれてありがとう。

そして過去にチャリ旅に参加してくれたみんなも本当にありがとう。


”チャリ旅”を通して感じたこと。

かなり長い記事になってしまって気持ち悪いが、最後に”チャリ旅”という企画を通して僕が感じたことを気持ち悪く語って終わりにしようと思う。
この話は今回のチャリ旅中でメンバーとも話した内容なのだが、自分でも整理したいなと思って書く。

”チャリ旅”は自分たちで計画して自らチャリを漕いで移動する。
自分たちがどういうところに行きたいのか。その目的に対してどのようなアプローチをするのか。最短距離を行くのか、遠回りしても寄りたいところがあるのか。
計画を立てるという行為をした後、実際に自分の身体をそこにもっていかなければいけない。
もし身体が疲れて重かったら予想していた時間に到着しないかもしれない。
もし雨が降っていたら。もし地面がぬかるんでいたら。もし道中事故にあったら。
取得しうる情報の論理を組み立てて計画したプランが、実際に動いてみるといかに不十分だったか、痛いほどわかる。
この経験がとても豊かなものだと僕は確信している。
自分が存在している環境というのがいかにカオスに共存しているのか、いかに自分が考慮できる情報数が自然に対して不足しているか。
”タイパ・コスパ”みたいな概念が適用できる範囲がいかに限定的か。それを身体を通して知ることができたのが”チャリ旅”の良さだなと改めて感じた。

加えてチャリを漕いでいると自分の周りの環境の変化に簡単に気づくことができる。
10分前とは違った風景を感じることがしばしば。
風向きも違うし、自分の疲労度や空腹度も変わる。
左手に山があったと思ったらいつのまにか田んぼを走行していたり。
決まった時間に決まった空間に行き、明るく光るディスプレイを見続けて1日が終える。
”チャリ旅”中はそんな1日と比べて圧倒的に濃い時間を知覚することが出来た。
1日のうちに一体どれほど自分の周りの環境が変わったのだろうか。挙げるのが困難なほどに変化していく。
常に忙しなく変化しているはずなのに不思議と癒される感覚がある。
それはある種自然の複雑性に対して選択と集中が出来ている表れかもしれないし、身体運動を伴っているせいで身体全体の反応に目が行きやすくなっているのかもしれない。
具体的にどうなっているのかは説明できないが、常に勝手気ままに移り行く自然の一員になれたような感覚が僕を癒してくれているのかもしれない。

はたから見たら「車の方が便利じゃん」「わざわざ自転車で移動することにどんな意味があるの?」と思われるかもしれない。
そんな方に1つ提示したいことがある。
人間1人1人、”その人における最適解”というのは違うという当たり前な事を忘れないでほしい。
そしてその”最適解”というのは”タイパ・コスパ”・”ゴウリテキ”みたいなものとは次元が違う究極的に質的な言葉にし難い感覚である。
大抵自分自身の”最適解”を理解することなどできない。それは自分自身を含めた環境が変わっていくから。(昔コーヒー飲めなかったけど、今は必須アイテムだし)
だからこそ、「やってみる」ことが重要なんだと思う。
これは何も”チャリ旅”に限った話じゃない。
あなたがこれから出会う好奇心をそそられることに向き合うことが大事なんだと思う。
だから、自分がやってみたいと思ったことはやってみること。
行ってみたいと思ったら行ってみること。
話してみたいと思ったら話してみること。
すごい葛藤を間に置いてしまうこともあると思うけど、なるべく素直に向き合ってみる。
そういう大事なことを僕は今までの”チャリ旅”で感じたと整理した。

滅茶苦茶難しいと思う。自分自身と向き合い続けるのは。だって変化するし、”社会”っていう存在を否定することは出来ないから(仕事とお金)。
だから全部が全部っていうわけじゃなく、出来る範囲で。
自分が納得できる範囲で。
自分自身ばっかりだと気疲れするから、たまに周りの友人も巻き込んで笑。

そういう風なことを忘れかけた時に、また僕はチャリをただただ漕いでいるんだろうな。



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