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呪いの音楽



「呪いの音楽」というものがあるとしたら、エルガーのチェロ協奏曲のことを真っ先に思い浮かべてしまう。
初めて聴いた時、あまりにも悲しいメロディに慄然とした。
こんな悲しげなメロディがこの世にあるのか?とさえ思った。
この時は作曲当時のエルガーの周辺事情や後のジャクリーヌ・デュ・プレのことなども何も知らなかった。
それでもこの音楽に込められた悲しいオーラが十分に伝わってきた。
1919年の夏、ウェストサセックスにある山荘でエルガーはこの作品の完成を急いでいた。
何としても間に合わせなければならない。
エルガー彼自身も扁桃腺の除去手術などのためすぐれない体調にムチ打って作業に没頭した。
集中するにはこの人里離れた山荘はベストな環境だった。
彼以上に深刻な容態だったのは妻アリスだった。
死期が近いことはわかっていた。
妻にこの曲を聴かせたい。
エルガー渾身の作だった。
曲は完成した。
これがアリスが聴いたエルガー最後の新作となった。
妻の死を予感したかのようなあまりにも悲しいメロディ。

それから約40年後の1962年。
EMIは指揮者ジョン・バルビローリとチェロ奏者のジャクリーヌ・デュ・プレによるエルガーのチェロ協奏曲の録音を行った。
このレコードは20世紀最大の名演奏の一つとして高い評価を獲得し、現在においてもこれを凌ぐ演奏は現れていない。
デュプレの奏でるチェロ(ダヴィドフ)の音色は曲の旋律美をさらに強調していた。
デュ・プレの音色は独特の倍音に彩られ音色はより温かみを帯び色彩豊かに響く。
それでいて力強く、ズービン・メータに「オーケストラのどんな音量をしてもの彼女弾くチェロの音を1小節たりとも消すことができなかった」と言わしめた。
彼女は当時まだ16歳だった。
夭折の天才チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレの演奏家としての生命は短かった。
あまりにも短かった。
多発性硬化症という難病が容赦なく彼女の演奏家生命を奪った。
エルガーのチェロ協奏曲には、アリスとデュ・プレというこの2人の女性の命が込められているような気がして仕方がない。
この曲が耳に入るとこれらのことを思い出さずにはいられない。
また、例えばコンサートのプログラムやCDのライナーノートに解説を書くにもこのことを触れないわけにはいかないのだ。

「エルガーのチェロ協奏曲の名演は女流チェリストでないと難しい」
いつしかそう言われるようになった。
実際、カザルスやロストロポーヴィッチ、トゥルトゥリエ、マなどありとあらゆる一流チェリストたちは例外なくこの曲を演奏してきたが一つとしてデュ・プレを超えるには至っていない。
言い換えるなら、この曲を演奏する者は、好むと好まざるにかかわらず彼女の亡霊と戦うことを運命づけられている。
いわば呪いのようなものだ。
演奏する側だけではない。
聴く側にもこの呪いは容赦なく襲い掛かる。
エルガーのチェロコン=ジャクリーヌ・デュ・プレというイメージはあまりにも強大すぎるが故に、絶対に比較の対象となってしまう。
「私はデュ・プレなんか知らないし聴いたことないから関係ない」という演奏者がいたとしても、聴く側には必ずデュ・プレの演奏を知っている人間がいる。
世界中のどこであろうと、一旦エルガーのチェロ協奏曲が鳴り響くと、この巨大なサガが動き出す。
それは呪いのテープが回りだすと、貞子の呪いが活動し始めるのに似ているかもしれない。
きっとこの曲が演奏されると会場のどこかの隅に長いブロンドの髪を垂らした彼女がヒッソリと佇んでいるのではないか?


今やポピュラーな名曲ゆえ、世界中のチェリストがほぼ例外なくこの曲をレパートリーにしている。
中には特にそういったエピソードに心を砕くことなく単にレパートリーとして演奏するチェリストもいる。
演奏というものはそういった内面的なものまでも音として現れてしまう。
気のない演奏をすれば、たちまちデュ・プレの演奏が刷り込まれたリスナーや評論家にボロカスに言われてしまう。
レパートリーにしているからというだけで演奏するにはあまりにも高いハードルが存在しているのがこの曲なのだ。

今、この呪いに最も苦しめられているのは指揮者ダニエル・バレンボイムではないだろうか?
彼はデュ・プレと結婚し彼の指揮でエルガーのチェロ協奏曲を別のレコード会社で録音もしている。
そちらも大変素晴らしい演奏だ。
しかし、彼女が病に倒れるとすぐに離婚してしまった。
彼女が42歳の若さで亡くなると、彼はこう宣言した。
「もう二度と女性チェリストとエルガーの協奏曲を演奏しない」
以降バレンボイムのレパートリーからエルガーの作品は消えた・・・・・・・。
しかし、突如、バレンボイムは2010年アッサリこの禁を破った。
アリサ・ワイラースタインをソロに向かえドレスデンとベルリンでこの曲を演奏した。
彼にどういう心境の変化があったのかはわからない。
彼なりにいい加減ケジメをつけたかったのかもしれない。
しかし、演奏自体はごく平凡な出来といえるだろう。
彼もまたデュ・プレの呪いに屈したのである。
(私たちエルガリアンがなぜバレンボイムのことをあまり快く思っていないかの理由がわかってもらえたかと思う)

デュ・プレの演奏から50年以上経過した現在、ようやく彼女の亡霊に打ち勝てそうなチェリストが何人か現れた。
それがナタリー・クラインやソル・ガベッタらだ。
皮肉にも女性演奏家であるが、彼女たちの表現力なら、デュ・プレとは違ったアプローチでより素晴らしい演奏が期待できる。
そろそろこの呪いを終わらせる時が来たのかもしれない。



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