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笑ってる顔

ご縁あって、地元出雲の醤油屋さんの東京出店のお手伝いをしている。形態的には、短期のアルバイトである。

が、この短期のアルバイトには、『短期のアルバイト』以上の価値があることを、私は確信している。


今日は、朝からなんだかシャンとしなかった。たぶん、曇りだったからだと思う。天候に気分が左右されやすい性分なのである。実に扱いにくい。

朝イチに用事を済ませて、いつもより早めに出勤する。なんだかシャンとせんかった。アニメの最新話を見ても、Q&Pゴールドを飲んでも、なんだがずっとゆるんでいた。なぜかはわからない。

たぶん、曇りだったからだと思う。
スパイファミリーの5話めっちゃおもしろかった。


が、しかしあるタイミングで急にスイッチが入った。いつかは覚えていない。

もしかしたら、ポップを描き始めたタイミングだったかもしれない。絵と文字を描くのが好きなので、急に表現ゾーンに入ったと思う、たぶん。

最近は、『いらっしゃいませ』よりか、『こんにちは』の声かけの方が好きだ。距離感がするするっと縮まる感じがするし、お客さんも『こんにちはー』って返してくれる人が多くて、コミュニケーションがひとつ多く取れる。そのあとの会話も、買ってくださいってプレッシャーを与えず、同じ目線で話をすることができる気がする。異論は認めます。

無言な感じで店内を見ているひとにも、とりあえずひと声はかけてみる。
これ3つで500円なのでよかったらぜひ〜。
そのラーメンこないだ夜中にたべたら最高でしたよ。
これ私の生まれたところでとれた海苔なんですよー!
とか。ふーん、へー。でおわるひとももちろんおるけど、そういうときはまたポップ描きに戻る。私は言いたいだけなので、言って伝えたら満足。

その中で、えっ!そうなんですか。って食いついて来てくれるひとももちろんたくさん居て、そうなると私のフィールドに連れ込んだことになる。
ので、私のいらん話を延々としはじめる。その話の中で購買意欲のあがったリアクションが出てくると、ニヤッとする。(のは内緒)おもしろくてしょうがない。

初対面の人と話すことに対して、以前は苦手意識があったけれど、今ではむしろ、初対面の会話がいちばんおもしろいとも思う。
自分のフィールドに連れ込めるか、逃げられるか、逃すか。めっちゃおもしろいゲームだ。

そこで会話が盛り上がって、また来てくれたひとも多数いる。(←これめっちゃ嬉しい)

今日のこと

あるおじいさんが私の方を見てずっと止まっていた。
えっなにって思ったけど、何か笑ってる感じがしてよくよく顔を見てみたら、1ヶ月くらい前に来てくれた『お茶っぱのおじいちゃん』だった。
お茶っぱのおじいさんじゃないですかー!待ってましたよー!と、テンションあがって延々話す。めっちゃおもしろい。
大変陽気なおじいちゃんで、それに乗せられて、まるで何年も前から知っとる近所の子かのように話す私。また会えて嬉しかったし、話をしとってすごく楽しかった。何を話したかはあんま覚えていないけど。
ガハハー言って笑った。また来てくれるのが楽しみすぎる。


物静かそうなおばさんがご来店。ある程度距離感を保ってたら、向こうから話しかけられた。聴くと、長年各県物産館の売り場レイアウトのお仕事をしていたそう。
ツタヤ時代、レンタル売り場作りに燃えて以来、今回の店舗も私なりにこだわって、勝手に売り場をいじっていた(勝手にやっていいと了承は得ている)
ここのポスターちょっとだけ下げると見やすいねとか、ショウウィンドゥはあとすこし高さ上げるともっと目につくねとか。
お客さんなのに、一緒に売り場をつくってくれた。調子に乗って、困っていたことを質問したりもした。すると、長年の知恵と経験からの素晴らしい回答が返ってくる。正直滾った。
お帰りになるころには、素晴らしくアイキャッチの効くレイアウトになっていた。師匠と呼ばせていただきます。

冷静に考えるとどういうこと。笑

なんか、でも、ほんとにすごく楽しい。
そんなときよく『ショウマンシップに溢れた自分』であるなあ、と思う。

ショウマンシップに溢れた自分


『ショウマンシップに溢れた自分』というのは、お世話になっている演出家の先生に教えてもらったワードである。
このワードを知って一年、自分なりに解釈したの下記である。

普段の生活、主にひとりでいるときの自分を、エンジンのかかっていない車だとすると

人前でなにかするときには、車のギアのN(ニュートラル)に入れること。
(MTで免許取ってないとわからんかも)

Nに入れると、そこからギアを1にも3にもあげることができる。自由に即座に、動かせる位置に置いておくこと。

芝居のなかで、喜怒哀楽が激しいシーンなどは、ギアをさらにさらに上げて、テンションをあげていくことができるのだが、

そもそも人前で何か表現する、という場にたつ時点で

N(ニュートラル)の自分

を確実に持っておかないと、見ている人はおもしろくない。

ひとは、会話のキャッチボールをたのしむ。
すると、そのキャッチボールを見ている人もきっとたのしい。

喜怒哀楽がいつでも、自由に出し抜きできることこそショウマンシップに溢れた自分であり、ひとを楽しませることのできる人である。


の、ようなこと。
私が一年かけて解釈したらこうなった。
ちがったら申し訳ありません。

なによりこの考え方が私は大好きであり、私にはすごく合っている。(免許もMTで持ってるし)
とてもお気に入りだ。

そして、このN(ニュートラル)の自分を使って、芝居以外の場面でも活かされてている、ということがすごく嬉しい。
経験してきたこと、学んできたことが体に染み込んでて、自ずと発揮されてきている感じが、気持ち良い。

*注釈*
私の普段のオーバーなリアクションは、やろうと思ってやっているわけではありません。そうなってしまうだけです。ゆるしてください。うるさいの把握はしていますが、わざとじゃないです。すいません。

お客さんと会話をしなきゃ
じゃなくて
お客さんと会話するのが楽しい
に自然となっている。
私はめっちゃ笑うけど、お客さんが笑ってくれた瞬間がとても嬉しい。

ショウマンシップに溢れた自分だわーと思うことが楽しい。
そして、今はこの私好き。

わるくないだろう

例によってまとまりのない文章でした。

2022/05/09 夜

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