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サメを見に行く/荒悠平と大石真央「400才」

ずっと好きな作品が今度横浜で上演されるらしい、のでいろいろと思い返してみました。

初演のときのツイート。偶然にも4年前の今日ですね。
「眼科の地下」は新宿眼科画廊の地下スペースのこと。
それで、サメっていうのは、こちらです。

遠い北の海には、400才のサメが居るらしい。
そんな話を聞いた。
なんだか、心がざわついた。400年。どんな感じなのだろう。
友達と久しぶりに会って、200年くらい前のこととか、話すんだろうか。100年ぶりに好きな小説を読み返したり、するんだろうか。
想像するだけじゃ物足りなくて、サメになったつもりで考えてみる。サメの偽物になって、生活をしてみる。
1年は長く、10年は短い。飽きる。
泳ぐことにも、歩くことにも。毎日は静かにすぎる。
毎日を静かに過ごす。笑ったり、泣いたりは、続けている。
いつのまにか、400年が経っている。
2019年に新宿眼科画廊で上演し、好評を博した公演の再演。彫刻とダンスの公演です。

荒悠平と大石麻央  「400才」あらすじより引用

荒悠平(ダンス)と大石麻央(彫刻)による、サメの着ぐるみを着たダンス作品。着ぐるみ、ってつい言ってしまうけどオフィシャルには「彫刻」という言い方をしていますね。素材は羊毛で、中身は人間です。

舞台上では、400才生きているとされる「ニシオンデンザメ」の暮らしが描かれます。サメの動きも、時間の流れ方も、基本的にはとても静かでゆっくりとした作品です。

一時間くらいサメの暮らしを眺めて浮かんだのは、【詩を通じて生活を感じることと、サメの目線になって生活を演じることは、とても近しいのではないか】という予感でした。私たち人間はサメではないし、400才も生きられない。けれど、400才生きるサメの生活に思いを馳せるとき、その想像上の生活には何かしら人間に共有できるものがある。

洗濯機に絡まっているこれはシャツこれはふられた夏に着ていた

山階基『風にあたる』

ベランダに夜を見にいく飲みものを誰かが買っていく音の夜

岡野大嗣『音楽』

詩もサメも、ベクトルは違いますが、日々の生活の拡張された一面であるといえます。なので、それぞれ作品として成立していながら、根本的なところで読者/観客側の生活にフィードバックされるものが少しだけある。わたしにとってそれは若干の寂しさで、心地よいものでした。

客席でぼんやりできる人には非常にお勧めの上演です。

〇〇〇

映像作品「サメ日和」。二分くらいのショートがいっぱい上がっています。

舞台作品『400才』はこちら。
2月7日(火)~12日(日)、横浜STスポットにて。

劇場までの道案内もサメがやってくれてる。。。


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