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「六月が七月を迎えて、あらゆる朝に」

文學界9月号の巻頭表現として連作「六月が七月を迎えて、あらゆる朝に」を寄稿しました。作品について少し言葉を残しておこうと思います。

「巻頭表現」は毎回詩歌と写真やイラストのコラボレーションで作られています。今回、短歌の制作と並行して、編集の長谷川さんに私の作品のイメージから写真家の方を何名かご検討いただき、そのうえで篠田優さんとご一緒することになりました。
掲載する連作と写真が固まった段階で、丁度篠田さんが高田馬場のAlt_Mediumで個展を開催中だったこともあり、会場にお伺いしました。

篠田優個展「on the record|建築とその周囲」.
丁度紙面にご提供いただいた作品も展示されていました。

 本展覧会を構成する写真は、2017年に閉館し、その後に取り壊された長野県信濃美術館の旧本館内部とその外周部で撮影したものです。
 美術館としての役目を終えた建築は、それまで張り巡らされていた規律が解かれたような、奇妙に弛緩した空気に包まれていました。その静けさは、やがて始まるはずの解体を前にして、束の間に生じた凪の時だったのかもしれません。
 美術館と瓦礫の汽水域にあらわれたものたち。公的な記録の眼差しにとっては圏外に位置するようなそれらに、私は偶々、立ち会ったのです。
―篠田 優

かつて美術館であった場所、の白くて明るい写真たちを眺めながら、とてもしっくりきたのを覚えています。
私自身、劇場としての目的を(一時的に)失ってしまった場所で働いていて、別に毎日死ぬほど仕事はあるんだけれども、ずっとどこか所在無い感じ、がこの春から続いています。

連作も、そんな感覚の中で作りました。わたしは所在無いのが得意ですね。『閑散として、きょうの街はひときわあかるい』に参加したときに、記録と並行して語彙をストックしていて、そのあたりから使った素材が多いです。ので、ある意味コロナについての連作だとも言えるし、新聞の取材にはそう答えてます。わたしのなかでは通常運航ですが。

とまれでは止まる静かな三叉路に鳩が地面を啄んでいた/吉田恭大



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