自分史

幼い頃からずっと緊張しながら生きてきた。

家での場合、両親は体罰は当たり前にするタイプだった。幼少期はご飯を残して暗い部屋に閉じ込められたり、小学生のときは宿題をストライキしたら腹パンされたりした。父は何なら目が合っただけで「俺のことを睨んできた。馬鹿にしてる。」と言いがかりをつけて蹴飛ばしてくる人だった。父方の祖母はいつも父や叔母、近所の子と比較して私を貶してきた。「〜ちゃんは字が綺麗なのに、あんたは字が運動会してるみたいに汚い。」「〜(叔母)は小学生のとき明るい選挙コンクールで受賞した。」といつも言ってきた。

では家の外ではどうなのかというと、保育園から高校の間は「厄介な子」だった。自分が「正しい」と思ったことしかしたくなかった。

保育園児から小学生の頃は大人が正しいと思っていたから大人の言うことを聞いてたし、何なら大人同士の会話を盗み聞きしていつも可愛がられるような振る舞いをしていた。しかし保育園や小学校の先生にとっては「自分が手をかけてあげないといけない子」「ちょっとバカな子」を求めていたらしく、結局可愛がられることはなかった。

中学生になったら今度は理にかなっている(と自分が思い込んでいる)ことが正しいと考えるようになった。具体的にはクラスで強制的に代表として弁論大会に出ないといけなくなったら教師を叩く文章を書くなど、主に教師に対して楯突く態度をとっていた。私の年代は教師が手をあげる暴力的な体罰は法律で規制しようとする世情があったことから「絶対自分を身体的に傷つけることはない」と分かってやっていた。意外とそういう態度をとっているといじめには遭いにくくなるらしく、隠キャではあったもののクラスの中で孤立するということはなかった。多分陰では「わざわざいらないことしてる」と嘲笑されてただろうが。

高校にあっても正しさの指標は変わらなかった。相変わらず教師には歯向かっていた。変わったのはクラスメイトにも歯向かうようになったぐらいだった。専門的な学科に進学したので3年間同じクラス、部活もほぼクラスそのままという長い時間同じ面子で過ごす学生生活だった。しかし幸運なことに、いつも誰かは味方になる(というより一定数いた批判をしない事なかれ主義の子)ので中学生のままでもこれまたクラスで孤立することはなかった。教師からの好感度に関しては小学生〜中学生の頃はいつも元気でちょっとバカな(自分より劣っている部分を見ていないと可愛がられていないという現実に打ちのめされそうだった)愛嬌がある子が可愛がられる傾向にあり、陰気な自分には不利だった。しかし高校は偏差値が低かったのもあるのか、普通科の先生は「毎回授業を真面目そうに受けて、テストで点数をとって、提出物を出す」だけで可愛がられた。これは大変自分にとって都合が良く、家族や周りの大人たちから可愛がられてこなかった心の穴を埋めてくれるような心地になった。ただ自分の学科に関しては陽キャが可愛がられたため、部活動では不満が絶えなかった。

一貫して「誰も心の底から味方してくれない。自分のことは自分が守ってあげないといけない。」という気持ちが強く、悲しさはすべて怒りで表現した。攻撃は最大の防御だからだ。側から見れば「自分の言いたいことを言えている」ように見えるが、結局は自己防衛の手段であるため本当の気持ちを誰かに打ち明けることにならなかった。

そうして成長していくうちに他者評価こそがすべてだと思うようになった。「相手の望む行動」こそがすべてだと。今年24歳になるのだが、腹を割って話せる人が1人もいない。というか誰かに聞いてほしいことを言えなくなってしまった。自傷行為をしていることも主治医に言うのに1年かかったし、就労移行支援でも面談でうつ状態のことは言えない。自分が心から抱えている不安を、自分の弱点を晒すことに潜在的な恐怖心を覚えるようになった。本当に困った。何に困ったのかと言われると本当に何も言えないのだが困った。もう死んじゃおうかな。

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