「恩返し」のなにか

どうも、学生です。
童話をあらすじだけ聞くことが多くてちゃんと読んだことがない学生です。
でも、話は通じるからいいでしょ?
さて、今回は「『恩返し』のなにか」です。

今回の話は酒を入れており、
ただ雑に、想いを垂れ流しながら書いているので、
今までもそうではあるが、
稚拙で雑多で無駄な部分しかない文章になってしまう。
そのことを容赦して読んでほしい。
まぁ、読者は少ないから、別に特別言う必要はないが…。

私の人生には有り余るほど、私は、周りの人に恵まれている。

ここ最近、常々感じることである。
私は、自己評価をとても低く見積もっている。
それは、調子に乗りすぎないためでもあるが、
ある出来事があってから、
自分はこの世の中に必要でないと感じる人生を過ごしているからである。
もちろん、それが薄れる時はあるが。
時々思う。
「私は疫病神であり、いないほうが多くの人は幸せなのではないか。」と。

「自分さえいなければ…」

そう思わない日の方が少ないとまで言えるだろう。
だから、
誰かに褒められても、必要とされたとしても、
基準値よりもプラスに持っていくことは少ない。
常にマイナスへ、マイナスへ。
そんな日々を過ごしている。

ではなぜ、生きているのか。
それが大きくでかでかと表示した文言のとおりである。

「私がいなくなったら寂しがるだろう。」とか、
「泣く人がいるから…」とか、
そんな主人公のようなことはさらさら考えていない。

私は恵まれている。
だからこそ、感じ取った恩を返していかなければ、
私は、私だけ幸福感を感じ取ってしまったままになってしまう。と。

そう。単純に自己満足である。

「自己満足をしたくない」という
自己満足のために、恩返しをしてしまっている。
何と恩知らずなのであろうか。

でも、気が済まない性格なのである。
申し訳ない。

誕生日プレゼントはこれから毎年あげられるのであれば渡すし、
呑みたいときには、できる限り呑みに行くし、
行きたいところがあれば、あまり際限を設けずに行きたいし、
(飛行機使うのは、ちょっと勘弁ではあるが…。)
辛いときには、その時してほしいことをしたい。
それでもいいのであれば、何でもできると思う。

これを読んで、「自己犠牲」と考えるかもしれないが、
私にとっては、
私がしたいことをしているのだから、
自分を犠牲にしているとは微塵も思わない。
単に「恩返し」をしているだけである。

重いだろうか。
まぁ、重いと言われたってかまわない。

私の自己中心的な考えから来る、
あまりにも自己満足しか考えていない「恩返し」ではあるが。

これは、天寿を全うするまでできるかわからないが。
できるだけ、できるだけ最大限の「恩返し」を。

今回はここまで。次回も何卒。


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