見出し画像

『セイタカアワダチソウが枯れるとき』

 一作目です。小説か台本か戯曲かわからないので、全部付けました。暗い話ですが、お暇であればどうぞ。

プロローグ

 や、やー、や。どうもどうも。どーもこんにちは、初めまして、いやぁどうもどうも。ここまで歩んできた長~い人生、とにもかくにもお疲れさんでした。そんな、ご謙遜なさらず。本当に、ほんとぉーに、お疲れさんでございます。
 ……あらら。そちらさん、ご自分の置かれた状況をご存じない。したらば、ご説明いたしましょう! くるっと回れ右、していただければ否が応でも理解するでしょう。ささ、くるりんぱと。
 あーっはっはー! いーいリアクションだ、百点中の百二十点! 満天の星空! 博多大吉大先生! おめでと、おめでとさんでした! ラッパだって鳴らしちゃったりして!
 そう、あなたは人としての旅路を終えたのです! ほら見てください、こんなにも真っ青なお顔! 否、どす黒いお顔といった方が宜しいか。生きている人間じゃあこの色は出ませんよ、出血が酷くならなきゃここまでならない。浴槽一杯の紅い水がそれを示しておりますな。あーらまぁ、こらぁまた派手に首を切っちゃって。頸動脈ですかねぇ、ここを切ればそらもうガブガブと溢れんばかりの血が出て、そこらじゅうにバシャアーッと猛烈な勢いで飛び散り、クリーム色だったタイル達が真っ赤に染まって、鉄臭い香りが充満……。
 あらあ、そんな顔をなさらないで。ご自分でなされたことじゃありませんか。そうですよ、こんなにも恐ろしいことをあなたはやり遂げたのです。いやぁ素晴らしい、喜ばしい。
 ところで、一体誰が掃除すると思っていらっしゃいますか? 普通に考えれば清掃員の方々でしょうけども、大迷惑になるとお考えになられませんで? こんな深夜に死なれたら、腐って異臭騒ぎになるまで置き去りにされるでしょう。今の時期は冬、腐るのにも時間がかかります。数週間ならまだいいが、数ヵ月なんて放って置かれたら……彼らは涙目ですよ、ようやく見つかった遺体の血液やら皮膚やらがこびりついちゃって、汚れが取れないこと取れないこと……。
 リフォームったってあなた、そんなお金がポンポン出てくるはずないでしょう。そんな金持ちならこんなボロアパートの管理なんてしてませんっての。あーあ、可哀想な大家様! せっかく家賃を半年も待っていたというのに、渡されるのは金じゃあなくって着たきり雀の死体が一体。いや、皮膚も脂肪も腐り落ちたずる剥け雀の死体が一匹……と申した方がよろしいか。溜まったもんじゃございませんな、こら。
 はははは、真っ青になりかけてる。死んだあなた様とおんなじですよ。見てごらんなさい、そこの鏡。なんたって風呂場ですからね、丁度胸から上までが映り込むように設計されてますから。首から上はバッチリ見え……あ! 今は人間じゃあないから見れませんね。こりゃ失敬! 今後は気を付けてものを言わなくっちゃあなりませんな。失敬失敬……おやま、どこへお行きになられるんです? ……ははぁ、気分がお悪い。そうでしょうそうでしょうとも、あてくしもですから。
 早く出ちゃいましょ、こんな薄気味悪いとこ。あてくし鉄の臭いは好きませんで、さぁさ、さぁ。

1


 ……あぁあぁ、気持ち悪いものを見た。自分のルックスやらプロポーションやらにまったく自信がなかったのは確かだが、あんなにも汚らしくおぞましい最期だなんて。しかもあんたが事細かに説明するもんだから、自分の犯したことがどれ程のことだか否が応でも思い知らされた。
 が、ここで疑問が浮かぶ……なぜそこまで他人に責め立てられにゃならんのだ! こちとらどれだけ覚悟して……そう、死を決する勢いでナイフを手に持ち、速脈打つ首に刃を突き立てたというものを! 何ゆえ! どうして!! ここまでわぁわぁと捲し立てられにゃならんのか!! そこがどうにも気に入らん!! 教えろ、言え、吐け!! ようやく全てが終わると思い込んだ、虚しくも悲しい負け犬に教え込め!! 襲い来る希死念慮を回避できず、このような無様な形で肉塊から這い出てきた、この負け犬に! 教えてくれ、早くーッ!!
 ……落ち着いて? いられる訳があるまいが!! 覚めることのないはずの目を覚ました時、そこにいたのは事もあろうに他人の自殺行為を観察し、責め立て、嘲笑うような、そぉんな珍妙男がいつの間にか部屋の中に入ってきているんだ、パニックにもなるだろうとも!!
 ……"渡し守"? なんだそりゃ。聞いたことがないぞ。まだ三途の川にも来ちゃあいないってのに、何でもうこんな早くから居るんだよ。一気にうさんくさくなったな、信用できんぜ。まだ悪魔だとか言われた方が、よっぽど良かったな。もう少し、マシな嘘をついてもらいたいもんだ。
 ……う、ぐ。言われてみれば。確かに我々人間が本当にあの世を見ることができるのは、死んだ時だけ。つまり、あの世とこの世の繋がりや存在なんて、空想上のものとしか言えない。ということは、船頭はおろか三途の川だって、何だったら天国やら地獄やら虚無の世界やら、そんなものが実際にあるかどうかなんて一生かかっても、否! 一生を終えなくば、分かりゃせんのだ。
 あぁ、儚げでなんとも無様な人間達の妄想であろうか。今は見えずともいつか見ることになる世界を考えずにはいられんのだ、そりゃあそうさ。何も分からん場所になんて、誰が行きたがるか。せめて嘘でも良いから、自分を納得させてくれるような終点を思い浮かべるとも。
 何、察しがいいだって? ああー、そうかそうかよ。あーあぁあ、興醒めだ。うんざりさせるのにも程がある。こちらをさも尊敬しているがごとく持ち上げ、鼻高々にさせ、自分のペースに飲み込もうとしているのが見え見えだ、浅はかな……えぇいうるさい!! 今私がしゃべってるだろう、黙れ!
いや、黙らんでもいい。帰れ。帰ってくれ。"渡し守"だか"渡り鳥"だか知らないが、死後まで他人の世話になるつもりはない。元々人と話すのも億劫になって、この世とおさらばしたのだ。わざわざまた言葉を紡いだところで……もうそっとしておいてくれないか。ようやく一人になれたんだ。もう私を縛るものなどない。死をもって、あの腐った人間社会から自らを切り離した。耐え難い苦しみを経て、魂を解放した……はずだったんだが。はぁ。今の自分に残っているものは、捨て去りたいと思っていた感情の渦巻きだけか。死ねば全て消えると思っていたのに……やはり妄想は妄想だったらしい。
 しかし、良いのだ。これで良かったのだ。死にたくなくても死ぬ奴がいるならば、生きたくなくても生きる奴らだっている。私は後者で、いつかこうなることを望んでいた。その夢を掴みとり、願いを叶えただけのこと……。
なんだ。何をそんな名前を呼ぶ必要がある。こちらを向いてくれ? はぁ。お前の顔など、何度も見たいもんじゃないんだがな。
 どうもお前の顔は気に入らんのだ、その張り付いたような笑顔が気色悪いったら。そう、何処かの誰かから剥ぎ取ってきたような、いびつなその笑顔だよ。特にえくぼの部分だ。ここんとこの……そこだ。何故か妙に気持ち悪く感じる。無理してるのが見え見えなんだろうな。ふん。いっそのこと、出てこない方が良かったんじゃあるまいか。え?
 ……こんな面と向かってハッキリものを言われてるっていうのに、表情を一切変えないなお前は! 話を聞け! そういうところが気色悪いんだ!! あぁもう、帰れと言ったら帰れ! どこからともなく出てきたということは、どこかに住処があるはずだろうが!
 なんでもいいから早く……なんだって? そりゃ、ホント?

2


 ええ、あてくし嘘は付きません。付いたところで何も意味がございません故、何卒ご理解ご容赦ご勘弁のほどを。
 こらぁね、別に死んだ人が必ず通る道じゃあないんです。自殺ってもんを経験した方にだけ行われる、限定キャンペーンのようなものでありまして。
自殺を経験なさるということはすなわち、人生に絶望していらっしゃった方々な訳でございます。そう、ちょうどあなた様のような。今お話しいただいたように、つらつらと、ベラベラと、ぴーちくぱーちくほほいほいほいと文句を垂れ流し、あの世へおいでになるのでございます。全く、痛々しくて見ておれません。
 そんな悲しみにくれていらっしゃる方々のために、特別措置が生まれることになったわけで。いやぁ素晴らしい、喜ばしい。救いの手は、どこにでも転がっているものなのです。例えそれがあの世でも、人間でなくとも、必要でなくともね。
 しかし一個だけ、条件がございまして。━━━【生き返らせる】ことだけは出来ませんで。
 結構いるもんなんですよ、そういう自分勝手も甚だしい方々が。魂を投げ捨てておきながら、もっと生きたかったと咽び泣く方々が。精神的な苦しみは、生死に関わらず発生するものと気付いてしまったからでしょうねぇ。
 全く、お可哀想な方々でしょう。自分のやりたいようにした結果だと言うのに、それさえも気に入らず、自分のあまりの不憫さにひんひんと喉を鳴らして涙を流し、どこに当てることも出来ない鬱憤を蓄積していくのです。
 酷い方だと、こちらに怒りの矛先を向け、近場に置きっぱなしの凶器や鈍器に手を伸ばし、そのまま……ということもございますのよ。
 しかし悲しいかな、魂となってしまった方々はそれさえも掴むことが出来ませんで。さらに激怒して咆哮を上げながらこちらへ向かってきても、体がすり抜けてしまい、我々に危害を負わせることも出来ずじまい。そしてまた、悲しみに暮れて泣き崩れてしまうのです。その間にも脱け殻は腐敗を始め、澱んだ空気が立ち込める現場は、さらに鬱蒼としていくのであります。おお、なんて惨めだこと。付き合いきれないったらない。
 ですが、そちらさんは結構な人間不信であられたようで。安心致しました、万が一にも生き返るなんてお言いなさらないだろうから。それで良いのです。一度自分で絶った命綱、落ちていく最中に結び直すなんて器用なことが出来るはずもありません。
 それにね、こちらとしても仕事が楽に終わりますから。人間様のお相手はどーも苦手でございましてね、口ばかり動く方が多くてやかましいったら……おや、不満そうに見える。もちろん仕事は仕事、きちんと成し遂げさせていただきますとも。ただね、仕事なんざ楽に終わってくれた方が身も心も軽いでしょう。特にこんな接客業なんてのは、相手様への心遣いやら言葉遣いやら、ついでに声遣いやら……様々なものに気を遣って行かねばなりません。これがなんともむつかしい。仕事がうまく行ったとて、相手様に小遣いを弾んでもらえるわけもなく、次の仕事へ向かうのみ。これがまぁなんとも、侘しいんですよ。
 ……お前の表情からは心がないように見える、と。ははぁ、なるほどなるほど。よっぽどあてくしの顔がお気に召さないようですな。とはいえ、自身はこの身なりを気に入っておりますの。色んな方の良いところを頂きまして……そうそう、特にこの鼻の位置なんかね、こだわりにこだわって張り付けましたのよ。
 はい、この顔の部品はとある方々から拝借しておりまして。何を聞いても皆様一様にだんまりでしたから、ははぁこれは黙認しておられるのだな、ならばそれに甘えてしまおうと思い、取り外させていただきました。ちょいと腐っておりましたが、張り付けやすくて具合が宜しゅうございました。
しかしそのせいで、えくぼが抉れるようになってしまいまして。腐敗があてくしの面にも移ってしまったようなのです。よくみるとえくぼの奥に穴が空いてしまっておりまして、口の中がうっすらと見え、黄色い犬歯がちらりと……やや、どうかなされました? 本当に豆鉄砲を食らっちゃってるようなお顔ですよ。ははははは、表情が豊かな方ですねぇ、見ていて飽きないや。
 嘘ですよ、うそうそ。ちょっとしたホラ話。えへへ。あんまりにも顔つきを非難なされるから、お返しに一発食らわしてやろう、と思った次第でございます。
 あなた様が人間であった時、どれだけの苦しみを受け取ってきたのであろうと、他者へ八つ当たりをする権利はございませんわ。機嫌くらい、自分で取ってみたらどうです? そうやってご自身の魂さえ簡単に取るんですから……おっと失敬。口が軽やかに滑ってしまいました。これだからあてくしはお客様からの評判が悪うございまして……ほほほ。
 ま、この機会を終わらせてしまえば、あてくしとは二度と出遭うことなどございません。ちょっぴりだけで宜しいんで、お付き合いのほどを。
 それで、あなた様の願いというのはいったいどういうものでござんしょうか? ……へぇ? そのようなことで宜しいんで? いやいや、失敬。千載一遇のチャンスが巡ってきたのだから、それ相応の答えを持ってくるはずでございます。宜しいでしょう、あなた様の願いを叶えて差し上げましょう。
そーれ、パパンがパンと。

3

 ……何? 今ので終わりか!? たった三回手拍子しただけで!? おい、そんなの信用できんぞ、人を馬鹿にするのもいい加減にしろ! こんなもんで私の願いが叶えられてたまるか、証拠を提示しろ、今すぐにだ、っと、ああ! 胸ぐらが掴めない! ぐえ!
 くそぉ……床に散らばるゴミが、臭い。掃除してから死ぬんだった……。大丈夫な訳あるか、あぁくそ手も取れない! 分かってるなら差しのべるんじゃない! 本当お前は癪に触るったらないな、早くクビになれ!
 あーあ、馬鹿だった馬鹿だったさ。こんな願い事をした私が馬鹿だった。しかしな、一番気にかかっていたところではあるんだよ。散乱してるゴミよりもだ。片付けるのが苦手なんだよ、見れば分かるだろうに。
 気にかかっていたというのは、その、なんだ。恥ずかしい話になるんだが、私が死ねば、きっと……誰かが悲しむだろう? 
 あー、いや、分かっている。独りよがりの妄想だ、こんなもの。しかしな、人が死ぬというのはかなりの大事だ。特に自殺なんてもんは……耳にはさんだ話によれば、この死に方は世間様に聞こえが良くないから、隠されたりするそうじゃないか。私もそうなるであろう、何せ親とは仲が悪くてね。実家になんて、正月もお盆にも帰ったこたぁない。ばあさんの年忌法要には足を運んだが……それっきりだ。もう何年も帰っとりゃせん。
 だからこそ、仕事をやめたなんて言えなかった。貯金が底をつきそうだなんて言えなかった。家賃が払えず、この前とうとう水道さえ止まったなんて言えるはずもなかった。風呂場に入ってた水は、来るべき停止日のために毎日入れ換えていた命の水さ。こんな鉄臭くなっちまったんじゃあ、もう飲めやしないがね。しかし、用意はいいだろう? ところがどっこい、自分の貯金は全てギャンブルで消えてしまった。自身の葬式代として残しておいたものさえ手を付けてしまった……ここで一発逆転できれば、こんなことをせずにすんだものを。
 ははは、それ褒めてないな。本当にひどい奴だよ、お前は。
 私が心配しているのは血の繋がりじゃなく、心の繋がりを持っていた奴ら……そう、友人さ。否、友というより兄弟みたいな奴らなんだが。自慢じゃないが、私は彼らにとって兄貴みたいな存在でね。何かと頼られがちで、相談にも良く乗ったもんだ。金だって貸したことがあるんだぞ、気前が良いだろう?
 しかし……別れの挨拶なんてできなかった。私の変なプライドのせいだ。とはいえ、彼らが悲しむのはどうも気分が悪いし、申し訳も立たない。だからさっきのような願い事をした訳さ。
 いや、いや。良いのだ。もう私の願いは叶えてしまったんだろう? 伝えることなど……伝えられることなど、何もない。

 何せ、彼らから……私の記憶など失くなってしまったのだから。

 電話やらメールやらSNSで連絡を取ったところで、ブロックやら着信拒否やら、履歴削除やら……無かったものとして扱われて終わり。当たり前だ、私のことなど『知らない』のだからな。
 とはいえ……はぁ。願いはひとつだけなのか? せめてそれを確認するくらいの、アフターケアがあってもいいんじゃないのか。このままじゃ浮かばれんぞ……あ、あ? なんだ? 誰かが扉を叩いたぞ。……待て、ちょっと待て。確認してくる。
 わっ、わ、わっ……まずい、大家だ、大家だ!! 隠れろ! そこのクローゼットだ、早くしろ!
 ……ああいや、死んでるから意味がない。いつも大家が来るたんびに息を殺して居留守を使っていたもんだから、癖になってしまっているらしい。仕事を辞めた半年間、必ず毎日扉を叩かれた毎日だったからな。体が条件反射的に動いても仕方がなかろう。幽体にも効果があるとは……あの女、やるな。
 というか、こんな夜中に何故訪問へ来たのか。いつもなら昼頃にしかやってこないはずなんだが……。
 ……そうか、声だ。首を切るとき、かなりの大声を上げた気がする。風呂場だから響いてしまったんだろうか。そうだ、そうだった。自分でも聞いたことがない雄叫びを上げ、痛覚という痛覚が脳内で派手に暴れ散らし、目の前が真っ赤に染まり、徐々に力が無くなって、暑いのか寒いのかよく分からなく……うう。死の瞬間なぞ、思い出すもんじゃないな。この首をかき切った時の感触が……やめよう、駄目だ。気分が悪くなってきた。もう胃など働いてもいないというに、おえっ。口が酸っぱくなってきた、やめだ、やめだ。
 今見つかれば、私の体を片付ける清掃員も少しは楽になるだろうが……しかし、踏み込まれるのも不味いな。きっと彼女は金切り声をあげるだろうし。貸してもいない部屋の中で、真っ赤な他人が死んでいるわけだからな。そらぁ深夜でも関わらず叫ぶさ。それを聞いたら、さすがの私も参ってしまう。申し訳ないったらない……自分の中で渦を巻いている罪悪感が、確かなものに変わってしまう。
 ……わ。ドアノブがひっきりなしに回り始めた。げ、鍵が差し込まれたぞ、合鍵だな!? ……ああ、鍵を間違えたらしい。が、時間はない。このアパートは部屋が八つだけだ、すぐに鍵を見つけられてしまうだろう。さ、早くしてくれ、急いでくれ。お前は人ならざる者だ、ワープくらい使えるだろう。どこってそりゃあ……天国か地獄か、はたまた我々の想像を遥かに越えた場所だとも。あの世へ私を渡すためにやってきたんじゃなかったか?
 ……そうではない? なん……じゃあお前は一体何のためにと話している余裕などない! いいから行け! 早く行け!! どこかへ飛べーっ!!

 ……は。ど、どこだここは。まだこの世っぽいぞ、家々が見える。住宅街か? 少なくとも、あの世には犬小屋なんてモンはないだろう。ケルベロスがこのサイズなのはかなり……失望する。がっかりだ、こんな飼いやすそうな大きさだったら。この小屋のタイプだと中型犬がいいとこ……ああ、やっぱこれくらいのサイズだな。可愛い普通の犬だ。ぐっすりと寝ている……待てよ。この犬には見覚えがあるぞ。
 そうだ、ここはあいつの……古河の家じゃないか! どうしてこんなところに……。
 こっから先はプライベート、だと? "渡し守"、お前……粋なことしてくれるじゃないか。死後の此岸ツアー開催とはな。そりゃあいい。ありがとう、お前の優しさに甘んじて観光させてもらうよ。
 そうだ、小遣いを欲しがっていたな。口座の金はほぼ残っていないが、一銭も無いよりはマシだろう。今の私にはこれしか用意が出来ないが、それでもいいならやる……他の物でもいいのか。後でじっくり話そう、やれるものなら何でもやりたい気分だからな。
 さ、て。古河は一体何をしてるんだ。ちゃんと家には居るんだろうな。ま、こんな深い夜じゃ寝てるだろう。そうだ、枕元にでも立ってやるか……おっと。明かりがついているじゃないか、夜更かしさんめ。覗いてやろう、一体何をしてるんだ? よっこらせ。と。
 いやぁ、便利な体だ、どこだってすり抜けられ……なんだ? 鉛筆を必死に走らせて……問題を解いているな、数字が並んでいる。う、長く見ていられない。私は数学が一番苦手なんだ。うわ、机には他の問題集も山積み……それに赤本まで。え、赤本!? この歳で大学に入るつもりか!? おぉおぉ、しかも有名大学じゃないか……こいつ、こんなに勤勉だったのか?
 え? ああ、こいつとは高校の時に出会ってな。よく一緒に学校をサボって、遊び回って、バカをやっていたもんだ。おかげで二人とも立派に高卒の身さ。幸い仕事にはありつけたから、がむしゃらに働いていこうと……なんだって。"真面目に戻った"? つまり、こいつは私がいなければ、こういう大学に進学を……この赤本は、昔買っていたものか。ほーう。ほう、ほほう。
 素敵じゃないか、私の記憶がなくなったから、今からでも遅くないと頑張り始めたと言うわけだな? 何だったら、勉強など放り投げるようなことしなければ、もっと上のランクの人間でいられたと……。
はは、はははは。そうか、そうか。私の責任か、そうだったのか。私と言う存在がいなければ、古河は……やはり、記憶を消して正解だったようだな。ははは。

 ……もっと早く死ねば良かった。

 私はな……他人に迷惑しかかけられない、無価値な人間なんだよ。不器用だし、対人スキルも人並み以下。ついでに要領も悪けりゃ、おつむも弱い。ただ……ただ、私の方が彼らより年齢が上だっただけだ。それも、数年程度。そんな奴を指標にしたら、こいつらは一体どうなる?
 古河が一番良い例だ。そうだよ、"渡し守"。私はこの展開を望んでいたんだ。私がいない世界でも、立派にやっていく彼らを見たかったんだよ。
 ……何だその目は……な、あぁ!? とうに知ってる!? はあぁ、恥ずかしい! るんるんで語った自分が恥ずかしい! 知っているのなら先に言え! 語るだけ語らせやがって、うう、気分が悪い。
 そうとも、私は怯えていたのさ。自分自身の存在が、どれだけ他人に悪影響を与えているのか……それがずーっと気になってならなかった。だからこそ、私が死んでしまえば、記憶も消えてしまえば、彼らはもっと違う人生を歩めるんじゃないか……なんて考えながら、毎日を過ごしていたわけだ。
 特に古河は最近、気になっていた奴でな。私のメッセージに、遅く返事をするようになっていったんだ。付けたとしても二か月も後に返事をしたり、さらに間が延びていったり、最終的には一切反応がなかったり……ちょっと、心配してたんだよ。
 いつも相談事を持ち出すのが一番遅かったんだ、古河は。何だったら時が過ぎてから、あんなことやこんなことがあった、と伝えてくるような奴だった。人が手を貸せばすぐに解決するトラブルを、一人で必死に何とかしようとする奴でな。馬鹿だろう? 周りに迷惑かけたくないから、頑張ってしまうと言っていた。そう。古河はな、真面目なんだよ……ああ、お前は元から真面目だったな。ごめんな、引きずり下ろしてしまって。
 もしかして、私と一緒に居ることに、ずっと疑問を感じていたのか? こいつのせいで、俺は……とか思っていたのか? トラブルが済んだ後に報告していたのは、間に入ってほしくなかったからか? メッセージを遅く返すようになったのは、返事さえ億劫になっていったからか? 本心はどう考えていたんだよ。なぁ、古河……。
 ……返事はない、か。そらそうだ、されたらされたで怖い。記憶が消えただけで、こんなにも劇的に変化してしまうんだからな。今のこいつから、私に対しての好意的なコメントが飛び出すはずもない。きっと、罵声を浴びせられて、恨み辛みをぶちまけられる。酷いと、塩でもぶっかけられるかも分からん。
 しかしな……お前がどう考えていたのか分からないけれど、会えてとても幸せだった。今でも大事な友人だ。応援する。あの世から、お前のことを見てるからな。
 さ、て。古河はもういい。次だ。……なんだ、これは毎回やるぞ。恥ずかしいとか言うな! 私が一番恥ずかしいんだ、お前と言う観客がいる限りな! 
 うわ、自分の顔を両手で覆うな!! 可愛いと思ってるのか、その動作! やめとけ、モテないぞ! 私もやっていたから分かる。
 ……うるさいな、もう。早く次に行ってくれ。厚かましくて悪いが。

4

 はいはい。では、お次はどなたにいたしましょうか。ええ、そちらさんがお選びになって頂いて。先程は急を要していた故、この方に飛んだまででございます。ランダムでよろしいのであれば、あてくしがまた勝手に選んでしまいますが……えー、相模様。かしこまりました、それでは参りましょう。
 それ、パッチンと。

 到着いたしました、こちらが現在の相模様でございます。いやぁ、すごいイビキをかいていらっしゃる。幸せそうにお眠りなさっているじゃありませんか。へぇ、早寝の相模とお呼ばれになられてる。名に恥じぬ睡眠っぷりでございますなぁ、見ていて面白いほどに。何と、寝言も面白いと! そりゃあ楽しみだ、ちょっと観察させていただきたく……おや、何だか寂しそうなお顔ですな。仕方がないじゃあありませんか、今何時だと思っていらっしゃるんです。夜も深い三時半ですよ、そら寝てる方が自然ってもんです。起きるまで待つおつもりですか? 寝ていても起きていても、そちらさんのお声は聞こえないのですよ。今のうちに言ってしまいなさいな。さっきのような、いかにも芝居臭い台詞を……失敬。口が滑らかに滑りました。
 あっ、お止めください、殴るのはお止めください。しかもなんで鎖骨……お止めくださいったら。
 何をおっしゃいますか! 貫通するとは言え、殴られれば何らかの感触はあるのでございます。お止めください、お止めください、申し訳ありませんでした、あてくしが悪うございました。
 ……へへ、お気は済みまして?
 あっ、痛い! 肩甲骨は痛い、守りにくい箇所を叩かないでくださいませ! ごめんなさい、笑ってごめんなさい……。ああ怖い、人間はこれだから怖い。
 はいはい、用が済みましたらお呼びくださいまし。外で待っております、ええ。お邪魔でしょうから。さ、ごゆっくりと色々とお伝えくださいまし。ああでも、少しばかりは急いだ方がようございますよ。この後相模様は、三十分後に外出いたしますから。ええ、お仕事でございまして。とは言っても、まだ初日でございますが。新聞配達のバイトを始めるようでございます。
 ふふ、そうでしょうそうでしょう。今までニートだった方が突然働きに走ったのは、何故か。流石に気になるでしょうから、僭越ながらご説明をば。
相模様は新卒で仕事を始めたは良いものの、あまりの社内環境の酷さに心を蝕まれ、退社。長らく廃人になっておられました。
 時に、そちらさん。相模様だけには、伝えておりましたね? 仕事をお辞めになったことを。同じ無職仲間であると、そうやって陽気に自分のことを茶化して報告いたしましたでしょう。そのお陰で、相模様は拍車をかけて無職生活を過ごしていくことに決めました。自分と同じ人間が他にもいる、自分は許されても良いとお考えになっていたのです。そうですとも、これがそちらさんが恐れていた『悪影響』でございます。
 しかし、そちらさんの記憶が全て吹き飛んだ今、相模様は焦燥感に駆られました。訳の分からない感情であったでしょう。今までのうのうと過ごしていた自分の人生に対し、突如として焦りが生まれたのですから。
 だからこそ、まずはバイトを始めることにしたようでございます。
 元々、新聞販売所の店長であるお父上様からは、お誘いを受けていらっしゃったようで。親としても、心配になっていたのでありましょうな。社長には連絡してあるから、いつでも来いと言われたのを思い出して、決心したようでございます。いやぁ、これこそ家族愛でございますな。
 あら、そうこうしているうちに携帯のアラームが鳴り出しました。今起きるつもりなんでしょうか、ああいや、起きましたな。とっても不機嫌そうだ、早寝の相模様は朝が苦手なようですな。パグみたい。はははは、ははは。
 ほら早く、起きている状態の彼にお会いになりたかったんでしょう。言ってしまいなさいな、歯の浮くような台詞を……失敬。失敬! ごめんなさい、ごめんなさいってば!
 ……おや。何も言いませんので? あら可哀想、さっきはあんなにもベラベラおしゃべりしておりましたのに。毎回やると言っておきながら、もう止めてしまわれるんですか? あ。さては、そちらさん……相模様に、嫉妬なさってるんじゃあ? 何が家族愛だ、ただの親の七光りじゃないかとお考えなんですね。はは、図星だ。まーた豆鉄砲を食らっている。
 そうですねぇ、まずそちらさんの家族はそんなもん存在しませんからね。家族と言う後ろ楯も、自前の楯だってそれほど強いわけでもない、非力な独身男性ですものね。そら僻みもしますよ、人間だもの。
 しかし、彼は一歩前に進めているんですよ。心の繋がったご友人が、社会に復帰しようとしていらっしゃるんですよ。何をそんなやっかむことがありますか。それとも、これだけのことでぐらつくような関係だったと言うのですか。自分よりも恵まれているという理由だけで、見限ると言うのですか。
 勝手に記憶を消された彼は、どうでもいいとおっしゃるんで?
 ……と、御託を並べている間に行ってしまわれましたね。お気をつけてくださいませ、特に寝癖に。ほら、そちらさんも何か言ってあげなさいな。古河様だけ贔屓するのはいけませんでしょうに。
 あらま、「さよなら」だけ。シンプル・イズ・ベストでございますね、あてくしも気恥ずかしくならずに済んでほっとしております。
 さて、まだお続けになられますか? 何せこれは、あてくしのプライヴェートでございます。サービス残業なんてもっての他、無償のサービスでございます。とことん付き合います故、何卒、何卒。
 はいはい、高尾様。何ですって、こちらの方で最後に……よろしいので? はぁ。ま、お客様がそういうのであれば従いますとも。さて、参りましょうか。
 それ、パッチン。

 到着いたしました、こちらが現在の高尾様でございます。
 ええ、ご本人様でございます。何か問題でも? そちらさんは高尾様のところへ飛べと申された、あてくしはそれにしたがったまで。

 生死など、関係ありません。

 呼びかけてももう起きやしませんよ、既に息は引き取られております。顔を見れば分かるでしょうに、こんな真っ青な顔をした人間が、生きていられるとお思いですか? そちらさんのご遺体と全く同じ色をなさってるんですから、少しは頭を働かせて下さいな。
 いやしかし、こちらの方は優秀だ。まず、声をあげないために睡眠薬を過剰摂取したのち、猿ぐつわを着用。そして両手首を切って、シャワーを流しながら湯船に浸かるだなんて。しかも、きちんと遺書とお金まで用意して……さらに言えば、部屋も綺麗に片付けていらっしゃる。きっちりしている方ですなぁ。そちらさんとは大違いだ。生きている間もさぞ立派な方だったんでしょう。ま、わざわざご実家で自殺してしまう人間だ。抜けているところは抜けているんでしょうね、例えば常識だとか。
 な、怒らないでくださいまし、あてくしが殺したんじゃあございません。痛い、痛い。高尾様がご自分でなさったんですよ、死を選ばれたんですよ。痛い、痛い。お止めください、本当に。
 あー、あ。あららぁ。ついに泣き出してしまった。どうぞお泣きなさい、喚きなさい。止める人など居らぬのです、呼び掛けたい方も居らぬのです、同情する方さえいらっしゃらぬのです。ついでに言えば、そちらさんの声など誰にも届かぬのでございますから、いくら声を枯らして頂いても結構。泣き終わったら声をお掛けください、すぐに参りますので……何ですって。理由? へぇ、お話してよろしいんで。知らない方が幸せなこともあるのでございますが……かしこまりました、それだけ言うのであればご説明致しましょう。
 この方も例に漏れず、そちらさんの記憶が消えております。
 確か、あなたはご友人様達の兄貴分だったと申されておりましたね。高尾様は、一番そちらさんに懐いておられました。そう、まるで本当の兄のように慕っていた。あなたはその思いを拒絶しなかったし、何だったら喜んで受け入れておりましたね。
 可愛い可愛い、自分の妹だと。
 お二人様は幼馴染みと言うのもありますから、特にそういう感情は高く持っていたでありましょう。恋愛感情を越えた関係と言っても、過言ではない。
 高尾様は、日を跨ぐ度にあなたへ信頼を置いていきました。自らの全てを認めてくれる存在であり、いつでも頼れる男性であり、何でも相談できる人間であった……実際、相談事はかなりされたでしょう。あなた、誰にでも優しくするタイプですからね。頼まれれば、金さえすぐに渡してしまう。
ですが、ご存じですか。優しさというのは、深入りしないからこそ生まれる感情なのですよ。つまり、自らのエゴでしかないのです。特にあなたは、自己嫌悪が酷いお方でした。そのため、他人に尽くすことで自己肯定感を補っていたのです。所詮あなたの優しさは、自分に対するエゴの塊でしかなかったのでございます。
 ですが、高尾様はその偽りの優しさを信じました。あなたの作られた真心を信じて、付き従ってきました。尊敬の眼差しを向けていました。
 どれだけ辛いことに阻まれても、立ち止まらずに歩いて行きました。
 高尾様はアーティストでしたね、お歌を唄っていらっしゃった。それはとても小さな頃に、あなたに自身の歌声を褒められたからだったのですよ。「綺麗だよ、とっても素敵だ」という、どこにでもありそうな褒め言葉でしたが。尊敬している人に褒められて、喜ばないお人など居ません。それを聞いて、高尾様はご自分のお声で仕事をしようと考え出しました。
 とはいえ、やはりは芸術系のお仕事というのは、中々のいばら道でございます。事務所に入ったとしても、なかなか世間に認知はしてもらえません。世へ作品を出す毎に、批判や心ない言葉をかけられることだって多いのです。さらには、過激なファンに心の傷を負わされることもしばしば。
 それでも、彼女は折れませんでした。何故ならあなたの言葉があったから。あなたと言う存在が、大きく支えになっていたから。あなたの中味がない優しさや応援に、救われていたから。

 ……もうお分かりでしょう。
 高尾様が自殺をしたのは、あなたのせいだ。

 最後の砦が急に崩れ去ってしまい、どうすることも出来ない感情を揺さぶられ、足を進めることも出来ず、終いには……ああ、おいたわしや。人間は、実に脆い生き物でございます。大事な何かを失えば、自分さえ失ってしまうのですよ。はあぁ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
ただ死んだだけなら、この最悪な事態が起こらなかったかもしれないと言うに。あなたの身勝手な願いで、このような結果に至ってしまったのでございますよ。
 あなた、『彼らのために死んだ』とおっしゃっておりましたが、それは死を美談として語るための嘘でございますね? 本当は、誰にも愛されず、誰にも必要とされていないご自分が嫌になって、『自分のために死んだ』のでありましょう。全く、浅はかな方だ。悲観的にしか物事を考えることしか出来ず、他人の想いなどまるで上の空。見映えだけは良い殻の中で、外の世界を想像のみで思い描いていらっしゃったのですもの。だからこそ、あんな願いを持ってしまうのでしょうなぁ。
 ……おや、何でしょう。自分のお部屋に戻られたいのですか。宜しいですけれども、もう警察やら救急車やらで大変な騒ぎになっていると思いますよ。戻ったところで平穏はございませんが、それでも? はい、ならば参りましょう。
 それ、パッチンと。

5

 ……ああ、私の部屋だ。私の風呂場だ。私の死体だ。ひどい有り様だ……。まるで私の心のようだ。外からすすり泣く声が、聞こえる。大家かな。サイレンも鳴り響いて……警察か、救急か……もうどっちでもいいが。
 "渡し守"。もう、満足した。もう、この世に未練はない。もう……見たくもない。さ、連れていってくれ。地獄行きは確実だろうが、ここに留まるよりマシ……何、記憶? いや、もうその話は終わっただろう、私という存在は皆から消え……残ってるって、どこにだ。お前の頭の中か。勝手に消してくれ、別に構わん。お前とはこれ以上、会話なんてしたくないんだ。
 何だって、二人もいるのか!? そんな、お前以外誰が……何で俺に指をさすんだ?

 ……俺も?

 はは、は。冗談はよせ! 何で俺自身の記憶までも消す必要があるんだ! お前の記憶だけで良いじゃないか、何故俺も巻き込まれないといけないんだ! 俺は、俺は、おれは……俺自身の記憶を消せなんて言ってないぞ。た、確かに言ったさ、『自分に関する記憶を全て消してくれ』って! でも、でもさ、それは俺自身にも振りかかるなんて、思っ、思ってなかったんだよ! それなら何で残しておいたんだ、最初から消してくれれば良かったろ!
 自分の仕事のために残しておいた、だと? 俺の願いのせいだって言うのか!! くそったれ、この、この悪魔!! クソッタレのゲス野郎!! そういう説明は先にするべきだろ! 何故こんな事態を見せつけてからそんなことをするんだ!!
 笑うな!! 笑うなよ!! 人をこけにするのもいい加減にしろ!! 何楽しそうにしてるんだ、苦しそうな俺がそんなに見ていて滑稽か……おい。プライベートっていうのは、これのためか? 俺が絶望の縁に立たされるのを見るためか!? 苦しみもがく様を見せるために、そんな、あああ!! お前、このゲス野郎が!! 殺してやる!! 絶対だ!! 来世で、必ずだ、探しだしてやるからな、待ってろ!!
 ……嘘だ。嘘だろ、自殺したら、そんな、だってそんなの聞いてないぞ、ふ、普通は輪廻転生が出来るもんだろう! そう聞いたぞ、なんで、そんな、嘘だ、嘘だ嘘だ。特別措置は、そのため!? ……そんな、そんなことがあってたまるか!! こんなことで天国にも地獄にも行けないなんて!! うわああ、あああ。あああああ!!
 ……おれは、おれは。おれは自分が分からないまま幽霊になって、この場に居続けるのか? 誰にも認知されることなく、消えることさえ出来ないまま、ずっと、ずーっと一人で……やだ、やだよ、なぁ、"渡し守"、頼むよ。俺は普通に死にたいよ、あの世へ渡してくれよ。ずっと一人はいやだ、いやだ……。
 は……そんなぁ……そんなの、考えられるわけないだろ。お前の名前聞いたら、あの世とこの世を渡す役割だと思うじゃないか、何だよそれ。詐欺だ、さ、詐欺だぞそんなの。真実を言い渡すためだけの、ただの伝書鳩だなんて、そんな、そんなの。
 嘘だ。嘘だ。嘘だ!!
 なぁ、全部嘘って言ってくれ。俺の見てる夢なんだろ。夢って言ってくれ、起きたら全て忘れるようなそんな悪夢なんだろ、なぁ。
 ……また笑ってやがるな! 顔下半分を覆っても分かるぞ、お前の目だけで分かる! やけに楽しそうな目をするんだ、口角はひきつったようなのに、目だけはしっかり笑ってやがるんだ!!
 何だ、鼻血か? 興奮しすぎだぞ、生粋の変態らしいな! こんな仕事よりそういう界隈の仕事……うわ、あ!! ああああああ!! あああああ!!! 口が、口が、取れ……ひ! 腐ってる! 口が、顎が……黄色い。変色してやがる。
 ははは。あはははは! 嘘を付かないって言うのは本当だな、あの時言った、顔つきの話しは本当だったんだ。死体から剥ぎ取ってやがったんだな、嘘と言うのが嘘か、嘘付いてるじゃないかはははは! あははは。ひはははは! 下顎がずり落ちやがった、これでもうお前はしゃべれないな、ざまあないぜ!!
 なんだ、そんな恨めしそうな表情をして。分かった、新しい顔が欲しいんだな、お前……いや、やめろ。やめろ!! 俺のかおに手を伸ばすな!! やめろったら!! やめてくれぇ!! 俺の体に触るな! やめ……ひっ!! うわああ!! ひ、人でなし!! 人でなしめ!! さらにルックスが酷くなったじゃないか、なんてことするんだ、あ……うわぁ、すぐに引っ付いた。ひひひひ。おれのかおが、口が、笑いかけてくる。ははは!! いひひひひ!! 俺の声で話しかけてきやがる!! ぎゃはは!! これが小遣いか、そうか! そういうことか!! ひひ、あはあは。楽しそうに返事しやがって。あはあはははは! 人でなしの、イカれ野郎めが!! 
 あ、あ。あ!! 近づくな。俺に近づくな! 血まみれの手を伸ばすな!! 記憶を消すんだろう、すべての記憶を消すんだろう!! お前ふざけんなよ、何が心機一転だ!! 記憶が消えたら、セーブが飛んだゲームと一緒じゃないか!! ゲームならまだいいさ、同じ道を辿れば同じ展開を迎えるからな! でもおれは、おれはもう、死んでるんだぞ!? もう同じ場所に戻れないんだぞ!!
 来ないでくれ、頼む、なぁ、小遣いだってあげたじゃないか、おれのかおに免じてゆるしてくれ、許してください、お願いします、"渡し守"様!
何をそんな急いでるんだ、プライベートなんだろ? もう少し楽しんでいけばいいじゃないか、い、いくらだって泣き喚いてやるさ、言いたいことは山ほど……急用が入った? いや、待て、待ってくれ。せめて、せめて、こ、心の準備くらいさせてくれ。さっき一番大事な妹をなくしたばかり……そうか。急用ってのは……小夜子の所だな。小夜子のところに行くんだろ、この悪魔!! 何も知らない小夜子まで、その手にかけようってんだろ!! 許さねぇぞ、俺は!! 記憶が飛んでも、お前のことだけはずっと覚えていてやる、絶対だ! ひひ! ひひひひ!! 人間様を舐めるなよ、死んだって意識はひっ、ひぃい!! 離せ!! 離せよ!!
 俺の頭から手を離せーっ!!
 なんで、何でお前は掴めるんだ、魂はすり抜けるんじゃなかったのか! 何なんだよおまえ、お前は、おまえは!!

 一体、どこからどこまでが本当なんだ!?

 せめて教えてくれ、どうせ記憶は消えるんだから、消えるんだろ? 全部消えるんだろ、なぁ、なあって。何か言えよ。言ってくれよ!! 嫌だ!! 嫌だ!!! いやだ!! 消えたくない!! ひとりはやだ、嫌



エピローグ


 ……や、やー、や。どうもどうも。どーもこんにちは、初めまして、いやぁどうもどうも。ここまで歩んできた長~い人生、とにもかくにもお疲れさんでした。そんな、ご謙遜なさらず。本当に、ほんとぉーに、お疲れさんでございます。
 ……あらら。そちらさん、ご自分の置かれた状況をご存じない。したらば、ご説明いたしましょう! くるっと回れ右、していただければ否が応でも理解するでしょう。ささ、くるりんぱと。
あーっはっはー! いーいリアクションだ、百点中の百二十点! 満天の星空! 博多大吉大先生! おめでと、おめでとさんでした! ラッパだって鳴らしちゃったりして!
 そう、あなたは人としての旅路を終えたのです! ほら見てください、こんなにも真っ青なお顔! 否、どす黒いお顔といった方が宜しいか。生きてる人間じゃあこの色は出ませんよ、出血が酷くならなきゃここまでならない。浴槽一杯の紅い水がそれを示しておりますな。あーらまぁ、こらぁまた派手に手首を切っちゃって。しかも両手首と来た、ここを切って湯船に浸かれば、すぐさまあの世行きだ。しかもそちらさん、睡眠薬も飲んで猿ぐつわまでして。確実に死のうと覚悟していらっしゃるのが、見て分かる。死に逝く準備、バッチシでございますなぁ。これを朝方見つけた親御さんは泣きますよ。いやぁ素晴らしい、喜ばしい。
 え? 死んでからイケメンに褒められるとは思わなかったって? うふふ、なんてポジティブな方だ。言葉の裏を考えようとしないんですね。全く、からかいがいがないったら。
 とはいえ……イケメンだなんてそんな、照れるじゃありませんか。あてくし、自分の顔に自信がありますのよ。特にこのお口。実は、


 ……カミソリ負け、いたしませんの。

この記事が参加している募集

眠れない夜に