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【朗読劇】【映像化】のいいところ。難しいところ。

こんばんは。何色何番の演出、たかつです。この記事では、初めて【朗読劇】【映像作品】の作品作りをしてみた所感を文章にしていきます。

【朗読劇】台詞の言葉。

作品作りする中で演出として気をつけたのは、戯曲を丁寧に伝えられるようにすること。なんせ約100年前に描かれた戯曲ですから、言葉遣いも耳慣れないものが多いのです。
例えば、台詞の中に「あひみ互つてことがあるからね。」とあります。
仮名遣いを現代に直すと「あいみ互いってことがあるからね。」だと思います。調べると、【相身互い】同じ境遇の者同士が同情し、助け合うこと、とありました。
こんな言葉、私は初めて目にしました。今使うなら「お互い様」ってことでしょうか。でも少しだけニュアンスが違うような。うーむ。
現代の「お互い様」は助け合うことにも使われますが、突き放す時にも使われます。「相身互い」の説明文には「同情」「助け合う」しか出てきません。文章の説明と、実際どのようなニュアンスで使われていたのかという点には、やはり少し隔たりがあります。

台詞の前後から状況を読み取り、話題に出てくる人物の人柄や事情等を想像し、言葉にそれらを込めて声に出す必要がある。基本的に【演じる】とは、そういうことだと思います。だからこそ、言葉の意味はわかってなくちゃいけない。
戯曲は【文字】を使って表しています。
演者は【声】を使って表しています。
その2つの間に、演者の脳内変換フィルターが挟まれるわけです。
演者が理解出来ていないことは、声に現れません。
当たり前のことですが、言葉を声にして話すだけで、【台詞】としてしまう危険性を改めて感じました。

その役は、どうしてその台詞を言ったのか?どうしてその言葉を選んだのか?という点は非常に重要です。そこに含まれるものは文章化されていなくても、物語の進みに必然性をもたらすのです。
つまりそれが成立していない場面では、違和感が生まれるため、私から「なんでその台詞言ってるの?」という疑問の矢が演者に放たれます。
「戯曲に書いてあるから」なんてのは答えになりません。それならお客さんに戯曲を読んでもらった方が表現として成立するからです。
これは朗読劇に限らず、演劇としても非常に重要なことです。【人間が表現する】ということ。立体化すること。「戯曲をそのまま読んだ方が面白い」なんてことにしてはいけないのです。「人が実際に演じると、こうなるんだね」という面白さが演劇の魅力のひとつです。

約100年前に描かれた戯曲を【朗読劇】という形にすることで、いつもよりも、演者の脳内変換フィルターという、目に見えないものとしっかり丁寧に向き合える時間が増えた気がします。

【朗読劇】観客の想像力を信じる。

【演劇】と【朗読劇】の違いについては、過去の記事に書きました。

大きな違いは「情報量」である。言い換えると「想像の余地」である。
簡単に言うと、そうまとめました。普段から観客の想像力を信じて創作を行っている方だとは思いますが、今回はより多くを観客にお任せしたというか、勇気が要りました。

そして、いつもの公演なら観劇後にアンケートを書いてもらいます。そこで初めて「お客さんがどの様に受け取ったのか」という点が少しわかります。何色何番の過去公演はアンケート回収率が良く、平均して8割のお客さんがアンケートを書いてくださいます。しかも、しっかりびっしり書いてくれる方が多かったです。作品を自身や知人に投影した所感、日記のように自分の過去を書いてくださる方も。
同じ作品・同じステージを見たお客さんから「バッドエンドで辛かった」というアンケートと、「ハッピーエンドで良かった」というアンケートを貰ったこともあります。これはなかなか面白い経験でした。
それらを読んで私は「想像の余地を残した演劇作品作りの面白さ」を感じ、創作に生かしてきたのです。

そんな私の新しい挑戦が【朗読劇】です。限られた情報量で、戯曲・演者の力や魅力を引き出したい。勇気を出して、お客さんの想像力をより深く信じてみました。

残念なのは、アンケートがないことですね。これは本当に、本当に、残念です。お客さんの文字の筆圧やその手を動かすスピード、時折何かを思い出すように上を見る仕草。そういったものすべてが「私の創作の完成」に必要だったと痛感しています。(はやく通常の公演を行いたい気持ちが爆発しそうになります……)

【映像化】時間・距離を選ばない。

朗読劇『留守』は2020年11月30日にチケットが発売されました。

チケット購入・視聴は2021年1月12日までとなっています。是非実際に観てもらえたら嬉しいです。

既に観ていただいているお客様から、嬉しい感想もいただいています。その声から、【映像化】することのメリットが改めて見えてきました。

「会場へ行って観るのももちろんいいけど、家でリラックスして観るものいいね。リラックスして観れたし、新鮮だった」

「子どもたちが寝てから観れるから助かる」

「何色何番の公演、ずっと気になっていたけど、京都を離れてしまったのでなかなか見る機会がなかった。」

この言葉たちに、【映像化】は時間・距離を選ばないことが最大のメリットだなと思いました。
今までは【映像化】は避けてきました。単純に「作風に向いてない」とか「資金がない」とかいろんな理由はあります。しかし、苦渋の決断とはいえ「やってみてよかった」と思えました。
やっぱり、私の創作は「観た人の心の中」に初めて着地点を得る、と実感しています。
私にとって演劇は生涯学習であり、コミュニケーションツールなのです。

【映像化】演技の質を変える。

今回の挑戦により明白になった【映像化】する際に一番難しかったことは【観客が目の前に居ない】ことでした。「目の前にいればわかるだろうけど、撮影した動画を見るとイマイチ伝わらない」と稽古中に何度感じたことか。目の前に居ると難なく伝わる【空気感】が、映像化するとあんまり伝わらないんだと痛感しました。

その落差を埋めるために、役者たちには呼吸・間・目線・表情等を、普段の演劇よりも丁寧に、わかりやすく、明確にすることをお願いしました。稽古を撮影し、その動画を役者自身に確認してもらいます。「どうやったら伝わるか」の模索です。じっくり時間をかけて追及してもらいました。

想定してはいましたが、やはり【演劇の演技】と【映像の演技】は違いました。それでも、役者たちが培ってきた基礎力を用いて、新しい演技チャンネルを探す・作るという工程もまた面白かったです。

具体的に言うと、【前列】では表情。普段の何色何番の創作現場ではここまでおおげさな表情作りは求めなかったと思います。「カメラにアピールして」なんて、普通の芝居ではまずあり得ません。ですが、敢えてしっかりと表情・目線に「カメラ」を組み込んで演技してもらいました。

【後列】では、想定している相手の位置と本当に相手が居る位置、この二つの意識を柔軟にシフトしながら動きを作っていきました。役者は初めこんがらがっていましたが、意図を理解して演技に組み込んでくれました。そして撮影したものを観て「こうなるのか!面白い!」と言っていました。【朗読劇】ならではのことができたと思います。

ちなみに、前列・後列どちらも観られるお得なセット券もあります。

よかったら、見比べてみてくださいね。

次の挑戦。

さて。私たちは今、次の挑戦をしています。【演劇】の【映像化】です。稽古・撮影はスムーズでした。本領発揮ですからね。しかも作品に合わせて、【大正時代に建てられた京町屋】を借りて撮影しました。本番を観ながら、「なんでここにお客さんが居ないんだろう。めっちゃ面白い芝居になってるのに」と悔しい気持ちにもなりました。空間も含めて楽しんでもらえる先品になったのに、と。でもそこは仕方ありません。ニュースで海外で感染率がより高くなった変異種の感染拡大していると知りました。無観客公演は正しかったと思います。

で、撮影したものの編集作業です。ええ、もう、四苦八苦しています。役者が動き回る映像を編集するのって本当に難しい。先に朗読公演をやっておいて正解だったと強く感じています。

頑張って作業を進めますので、仕上がった映像作品も、ぜひ見てくださいね。

「ええな」と気に入ってもらえたら、「ちょっと気なるな」と思ったもらえたら、サポートいただけるととても励みになります!よろしくお願いいたします!