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韻を「回す」という解釈

私は中学生の頃にヒップホップにハマってからというもの、韻というものに人一倍反応してしまう。

口にしたくなる言葉や自然と韻を踏んでいる文章などを見ると気分が上がる。

近年のバトルブームの影響もあり、ヒップホップは今一時期と比べると盛り上がっており、ラップの要素、韻を意識させられるポップスもわかりやすい形であらわれるようになったと思っている。

もうチェケラッチョと揶揄するものではなくなったヒップホップやラップ。

多様性を増していく楽曲やスポーツ化していくラップバトルの中でも、やはり「韻」は切り離せないものとなっている。

どれだけ踏めるか。

踏みながら意味のあることを言えるか。

飛距離のある韻や韻を使った多くのテクニックが数多くのアーティストの活動により、多くの方に知られるようになった。

そこに加えてもいいのかもしれないと最近密かに考えていることがある。(もしかすれば、知らないだけですでにあるテクニックかもしれないが)

それは「韻を回す」という考え方。

特定の韻を踏み続けるのでなく、永久的に回していく。

あいうえお、足りるけど、愛すれどという流れが「踏む」ならば、

「回す」は「あいうえおは、いつでも俳句への愛故と、混じるエゴは、端くれと」嘲笑ってる……というように、特定の言葉をグルグルと回すように言葉を紡いでいくことで、自分の発想を超える言葉に出会えるのでは?と思いはじめたわけです。

今のラッパーなら志人さんがやっているようなイメージなのですが、あまり多くの方がされていないので、スキルフルな誰かがやってくれたら面白いのになと思っています。

このやり方の面白さは、ヒップホップの歌詞が韻に重きを置いて言葉でリズムを生み出す手法なのだとしたら、この手法によって言葉で楽曲とのポリリズムを容易に生み出す手法なのではないかと思うのです。

試しに自分で実践をしてみようと思いますが、独占したい思いなどはないので、いろんな人のいろんなアプローチを見てみたいと思い、だらだらと書き進めてみました。


いろんな角度からヒップホップが健全に盛り上がってくれればなと思います。

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