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読解力の向上や自分の読解力の確認をするには「あのテキスト」を使って勉強をすればいいのでは?

はじめに

 今回は「読解力」ということをテーマにあげますが、ここでの「読解力」は受験に向けての「読解力」という視点ではなく、日常生活で目にする文章に対しての「読解力」という視点で話を進めていきます。

少し前の話ですが……。

 2019年12月にOECD(経済協力開発機構)生徒の学習到達度調査(PISA)において日本の学生の「読解力」が急落したという記事が発表されました。
 この調査の結果を受け、各メディアが、今までの「国語教育」は正しかったのか、もっと実用的な文章を読ませるべきではないのか、といったそれぞれの意見を発信していたことは、皆さんも覚えているのではないでしょうか。

 このPISAの結果をすべて受け入れ、今までの教育は間違っていたという視点もあれば、OECDが提示している「読解力」の基準は、日本の教育における「読解力」とはずれている、中には、英語で作られた問題文であったため、日本語に訳した際に、本来の文章よりも難解になっていた、などの意見もありました。
 このPISAの結果とともに近年話題になったとある書籍を皆さんは覚えていますか? その書籍とは『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』という新井紀子さんの書籍です。この書籍についてのレビューはまた別の機会に投稿しようと思っているのですが、PISAの結果以前に、教科書を読み取れていない学生の存在は、話題になっていたことを踏まえると、やはり今「読解力」について考えを深めていく段階なのだと思っています。
 私個人としては、「読解力」の低下の犯人探しをすることも重要かもしれませんが、「読解力」とはそもそもどういうものか、ということを考え、今後の教育で、子どもたちにその力を身につけてもらうことが必要だと考えています。
 その「読解力」の定義の前に、日本社会全体に「読解力」は身についているのか、という部分を考えていきます。

「読解力」が必要なのはどの世代も。

 近年Twitterにおいて、本人の意図していない形で炎上してしまったり、全く無関係な返信をしてしまう、「クソリプ」という言葉が広まっています。
 「文字は読めていても文脈が読めていない」と批判されることもあるこの「クソリプ」という言葉ですが、これは今「読解力」が低下していると言われている子どもたちだけなのでしょうか?
 140字以下という短い文字数だとすべてを伝える難しさもあると思いますが、その言いたいことすべてを書ききれていないことや、本人がなんとなくつぶやいたものなのか、誰かに反応をもらおうと書いた内容なのか、批判しているのか、賛同しているのか、といった書き手の背景を汲み取ることなく、文章の中に書かれている一部の言葉のみに反応してしまうこの現象は、子どもたちだけでなく、成人した方や、ニュースの見出しの言葉だけで反応している政治家の方々にまで見受けられます。
 今SNSなどで見られる、ニュースへの反応などを見ていると、「読解力」が必要とされるのは、子どもたちだけではないのが現状だと思っています。

では「読解力」って何?

 「読解力」の定義は、「文章を読み解く力」と定義されていますが、この定義をもっと噛み砕いてみましょう。

読み解く」……読んで理解をすすめること。文献などを読むことで、問題を解決する、答えを導き出すという意味合い。

理解」…物事の意味・内容をわかること。物事の仕組み、状況、その意味などを論理によって判断し、わかること。

論理」…考えの形式、法則のこと。

 これ以上はキリがないので、ここまでにしますが、整理すると、「読解力」は、「文章の意味を、考え方の形式によってわかりながら、読み進める力」のことだと定義できます。
 ここで重要となるのは「考え方の形式」の部分です。日本語だけでなく英語などの言語に存在する様々な要素を文章に成立させる構造や枠組みによって文章を理解することが、「読解」であるならば、語彙に注目することも大事ですが、それらの言葉がどのようなルールによって文章として成立するのかという部分に対する理解が必要となってきます。つまり、「文法」に対する理解が必要となってくるのだと考えられます。
 そのことを踏まえて「読解力」を改めて定義するならば、「文章の意味を、文法によってわかりながら、読み進める力」となるのです。

自分には「読解力」があるのかな?

 「読解」には「文法」への理解が必要と定義したところで、果たして自分自身に「文法」の知識があるのかどうかは、なかなか自分では判断が難しいのではないでしょうか。なぜならば、日本で生活をしている方々の多くは、「日本語ネイティブ」であるため、話す能力とは関係なく、日常会話が全くできないという例は少ないと思うからです。
 一応書いておきますが、ここでの日常会話ができないという部分は、ASDやADHD、LDなどの特性をもった方々に対して言及しているわけではありません。むしろ多くの方が、「文法」や「語彙」を意識しないままに、日常会話を行い、多少理不尽な展開の会話すらも「ノリ」という言葉で強引に成立させている点に注目しています。
 「文法」や「語彙」に注意しなくても日常会話が成立する。単語だけでも会話ができる。それこそ、SNSやLINEにおける、言語のコミュニケーションの短文化の影響が少し関わっているのかもしれません。(決してそれらだけのせいだとは思いません。)
 では、日常生活においての「読解力」には、どれほどの「文法」の知識が必要なのか、どこまで到達すれば、日常生活レベルでの「読解力」があると判断できるのか。それを明らかにするにはある検定が答えの鍵を握っていました。 

ヒントは海外にあった!?○○試験について。

 私が、日本語の「読解」に対して丁寧に解説をし、自分がその「読解力」が身についているのかの判断に適していると考えたのは「日本語能力試験」です。

 「日本語能力試験」は海外の方を対象とし、日本語をどれだけ身につけているかなどの能力を測定する試験です。

 この試験ではN5からN1までのレベルが定められており、その中でも

N3
・日常的な話題について書かれた具体的な内容を表す文章を、読んで理解することができる。
・新聞の見出しなどから情報の概要をつかむことができる。
・日常的な場面で目にする難易度がやや高い文章は、言い換え表現が与えられれば、要旨を理解することができる。

N2
・幅広い話題について書かれた新聞や雑誌の記事・解説、平易な評論など、論旨が明快な文章を読んで文章の内容を理解することができる。
・一般的な話題に関する読み物を読んで、話の流れや表現意図を理解することができる。

N1
・幅広い話題について書かれた新聞の論説、評論など、論理的にやや複雑な文章や抽象度の高い文章などを読んで、文章の構成や内容を理解することができる。
・さまざまな話題の内容に深みのある読み物を読んで、話の流れや詳細な表現意図を理解することができる。

と定められています。

 実際に試験を受ける必要はありませんが、もし「読解力」について自分は身についていないんじゃないかと疑念がある場合は、テキストを解いてみるのもいいかもしれません。
 N1に定められいる基準などは、実際に「読解」が苦手な高校生や中学生にむけての指導に適しているのではないかと考えています。
 受験にむけての参考書も多数出版されていますが、その参考書を読んでも理解が難しい、そもそも教科書の内容を読み取ることも難しい子どもたちは、今現在増えていることは、はじまりにも書きましたし、その子どもたちはゆくゆくは大人になっていくことを考えると、今現在「読解」が苦手な大人の方々に対しても、受験・進学ではなく、「日本語の読解」という部分に重きをおいた、「日本語能力試験」で「読解」を勉強することは有益かと思います。

 加えて、「日本語能力試験」のテキストでは、「文法」や「語彙」のものもあるため、「文章の意味を、文法によってわかりながら、読み進める力」と定義した「読解力」の向上に適したテキストだといえます。


おわりに

 今までの「読解指導」の多くは、実際にテキストを読み、ノートにまとめるという部分が多かったと思いますが、「日本語能力試験」の視点を取り入れることで、「文章を展開するための言葉(機能語)」に重きをおいて、文章の内容に左右されずに、日本語で作られた文章の形式を用いて読解するという力が身についていくと考えています。

 「読解力」を高めるためには、どのような文章を読むかではなく、どのように文章を読むのか、文章はどのようにして成り立つのかという視点での指導が大事だと思っています。

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