見出し画像

ショートショート くまさんの自転車

くまさんお疲れ様です!

新入社員がさわやかに挨拶をしてくる。若いのに残業か。大変だな。いや、若いから残業してるのか。考えてみると、定時で会社を出るようになったのは、3年前に定年を迎え、社長の希望で嘱託の身になってからだった。

「結構働いたなぁ。あっという間だったなぁ。」

思わず声に出てしまう。こういうコントロールが効かなくなるのが老いた証なのだろう。

タイムカードを通し、職員出口を出た左手に停めてある小さな小さな折りたたみ式自転車。これが私の愛車だ。元々身体が大きい上に、こんな自転車に乗るもんだから結構注目を浴びやすい。しかし、恥ずかしいと思ったことは1度もないし、買い換える気もない。部品を注文して直してもらっているくらいにこの自転車を大事にしている。
もう何年乗り続けているのだろう。振り返ってみるともう10何年になる。
修理に出していても、人間と同様に自転車も老いるわけで、この前はサドルがバカになり突然1番低い位置まで下がってしまい、ハーレーのように腕を高く上げる格好になってしまった。

先ほどと矛盾するが、さすがにこの時ばかりは恥ずかしかった。

少し言うことを聞かない部分もあるが、愛らしい自転車だ。

身体が大きいこと、愛車の小ささから、サーカスのクマのようだと誰かが言い始め、今では立派に「くまさん」と呼ばれている。
ここ5年以内に入った社員は恐らく私のタケダケンシンという本名を知らない。今日に至っては「くまさんすいません……。タケダさんにお電話なんですけど、どなかわかりますかね……?」と聞いてきたくらいだ。
本来ならどこかで直すべきだったのだろうが、割とこの名前が気に入っている。皆から愛称で呼ばれるというのは案外気分がよく、まるで家族と過ごしているような感覚になる。

この姿を見ると同じように考えるのだろうが、最近は近所の小学生にも「クマのおじさん」と呼ばれている。今日も遠くから声をかけてきた子どもたちに手を振り、家へと帰ってきた。

「ただいま。」と廊下に声をかけて、リビングへと向かい。妻と娘に声をかける。

「今日な、またクマのおじさんって呼ばれたんだよ。しかもあれは低学年くらいじゃないかな。俺はね、先輩から後輩に都市伝説のように伝わってるとみてるんだよ。いやぁ、参ったよまったく。悪意がないのも困っちゃうね、思わずニコッと笑って、手振っちゃったよ。」

妻と娘は何も語らず、優しくこちらに微笑みかけている。
「あ、そうだ。忘れるところだった。」またコントロールが効かないまま言葉を呟き、おりんを鳴らし、笑顔の2人に手を合わせる。

10何年と2人はこの笑顔のままで私を見守ってくれている。
「今日も疲れたよ。そろそろ引退したいんだけど、社長がうるさくてね。もう2年ほどはこのままかもしれない。あの自転車も修理の限界と言われてきたよ。何度もチェーンが空回りしてしまうんだよ。困ってはいるけど、約束した以上は新しいのに買い替えられないしね。なぁユミコどうしたらいいと思う?」
もちろん娘からの返事は返ってこない。私の声が部屋に響くだけだ。だが、私には娘が言いそうな言葉が聞こえてくる。
「え?もう乗らなくていい?それを言われると余計に乗りつづけようとするのは知ってるだろう?まったく。」と少し笑みをこぼしながら、娘と会話をする。


元々、あの自転車は孫に買ったものだった。娘の子育ては妻に任せっぱなしだったことの罪滅ぼしではないが、孫のためならなんでもしたいとすぐに考えた。
しかし、何をすればいいかわからないまま、スーパーで見かけた1番小さな折りたたみ自転車を買って帰った。
それを見た妻には
「あっはっは。まだ孫ができたってわかったばかりじゃない。それに乗るのもあと10年はかかるわよ。やだ、ほんとおもしろいわね。」と腹をかかえて笑われ。
「それどうするのよ。私は今は乗れないし、その大きさじゃ子供のカゴもつけられないじゃない。」と娘に詰られた。

恥ずかしさからムキになった私は「孫が乗るまで私が乗ればいいだろう。修理しながら使えばいいだろう。」と言ってしまい、娘からは「言ったね?約束だよ!絶対守ってね!今まで授業参観とか運動会とかいろんな約束破ってきたんだから!」と詰められた。
それを見た妻は「あんたそんな小さい頃のこと根に持ってたの?だから逃げられるんじゃない?」
「うるさい!それとこれとは関係ない!」
2人の喧嘩は見たくないと思った私はさっきの勢いままに「落ち着きなさい。怒鳴るのは身体にも良くないしな。今日はどこか食べに行こう。な?」
2人は表情を変えずこちらを向いて「お父さんが払ってね。」「私お寿司が食べたい」と徒党をすぐさま組み始め、私は女性の怖さを目の当たりにした。

事故が起こったのは2人を車に乗せ、店へと向かう最中だった。

私が意識を取り戻したときには、もう2人は息を引き取っていた。

その後のことは鮮明に覚えているが。思い出しはじめると気分が悪くなるので、思い出さないようにしている。

心が空っぽになり、全てを投げ出しそうになった日もある。そんな時、玄関前に置いていた。あの自転車を見つけた。

私と妻、娘、生まれてくるはずだった孫。唯一我々を繋ぐものがこの愛車だった。

自転車で通うのには少し遠い距離な上に、身体とあっていないのもわかっていたが、そんなことはどうでもよかった。家族を感じられるものがそばにあることが嬉しかった。

この自転車をきっかけにして生まれた、くまさんというあだ名もそうだ。家族がつけてくれたのではないかと考えたこともあるし、我々家族の愛称のように感じられた。

ボロボロになるその日まで、私はこの愛車に乗り続けるのだろう。

そして明日からも私はくまさんと呼ばれるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?