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令和地獄めぐり『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』の感想③

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」とトルストイが言ってましたが、この本は短編集でそれぞれの話で登場人物の地獄が紹介されているので、読むと色々な地獄が見られます。前回に引き続き個人的に印象に残った話を紹介していこうと思います。それにしてもどの短編についても語りたいことが出てくるってのは良い本ですね。

吾輩はココちゃんである

マンチカンのココちゃんが、飼い主である美幸について語る話。『3年4組のみんなへ』で語られた、「人はそれぞれ他人からは見えない地獄を抱えている」と同じ様に、人にはそれぞれ幸福の形があってよい。にもかかわらず、あるきまった幸福の形が正解だという思い込みを無くせないという不幸が描かれている。

まぁ、多様性の時代なんだからそれぞれに幸せになればいいんだよ。といっても染みついた価値観は中々剝がせないってのは理解できるところ。

うつくしい家

田舎(愛媛県四国中央市)のうつくしい家で、母親が思うソフィスティケートされた幼少期を過ごした主人公が、東京に出て本物のソフィスティケーテッドに触れることで、自身に染みついたソフィスティケーテッド()に絶望するという話。

都会的であったり文化的であることが素晴らしいというわけではないってのは自明ですが、この主人公は田舎のうつくしい家で幼少期を過ごし、文化的であることを自身の核に置いてしまったというのが不幸だなぁと思うわけです。そして、吾輩はココちゃんであるの感想でも書いた通り、価値観は中々変えられないってのは辛いところ。

私としては、自身の核に置くものってのは取り換え可能で、冗長化しておくってのがいいんじゃないかと思っています。

この部屋から東京タワーは永遠に見えない

『九条の大罪』でも取り上げられてましたが、『東京カレンダー(東カレ)』ってのはもはや一つの宗教みたいなものですね。東京には多様な面があるにも変わらず、その中である一定の方向の情報だけを集めてカッコよく見せる。それによって読者はそれこそが東京だと思い込んでしまう。

主人公はその東カレ的価値観にどっぷりつかった30歳の薄給な男性、「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」と言うタイトルは、東カレで描かれているような世界に薄給な自分はいけないという嘆きなんじゃないかと思います。

もちろんそれはそれで本人の中では地獄なんでしょうけど、そもそもこれこそが東京であると雑誌の情報で決めてしまっていることこそ地獄だと感じるなぁ、僕は。

すべてをお話しします

あとがきかと思ったら読者をヒヤッとさせる系の話、なんだろうか?ここを読むと何となく想定されている読者や、この本が刺さる層ってのがわかるような気がします。まぁ、少なくとも私のように大学に行っていなくて、ある種の競争から降りている人と言うのは想定された刺さる層ではないんだろうなと思いますが、東京に住んでるからか、地獄めぐりとか絵画鑑賞とか、テーマパークなんかみたいな感じで楽しめました。

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