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どうしてもあの道は通れない。

小学校1、2年生の頃、学校の通学路は、途中、昼でも薄暗い (と当時の私は感じていた)、人も車もめったに通らないこんもりとした森の中を通る細い道が設定されていました。

今とは安全に対する意識が違っていたようで、車の通りが多い道は通学路としては不適当で、できるだけ車通りの少ない道が通学路として設定されていたようです。交通安全最優先だったのですね。

朝は集団登校だったので、その道を通ることは全く気にならなかったのですが、下校時、一人で薄暗い森の中を通って帰るのがどうしても怖くてしょうがありませんでした。

それで、私は何度も車の往来のある広い道をこっそり通って帰りました。広くて人通りの多い道ですから、「こっそり」は成り立たないのですけれども。

ある日、私がこっそり広い道を通って下校していることが通学班の班長の上級生も、私の親も知るところとなり、、、、。

それからどういう話になったのか、実はあまり記憶がはっきりしません。班長にはちゃんと通学路を通って下校するように注意されたような気がします。

おこられて、森の中の通学路を通るように挑戦させられたのか、だれか友達と待ち合わせて一緒に帰るように指導されたのか、はたまた親が帰りの通学路を選べるように学校と交渉してくれたのか?

ただ、一度、父親の自転車の後ろに乗せられて、その森の中の道を通った記憶があります。「この道、怖いのかい?」と背中越しに父から聞かれたような記憶があります。もしかすると夢の中の記憶かもしれませんが。

その後の記憶はあいまいですが、小学校3年生になってからはその暗い道を通って下校した記憶も、森の中の通学路を通る、通らないという心の葛藤の記憶もないので、下校時には広い車通りのある道を通って下校することが認められたのだと思います。

そして、小学校3年生頃には、私自身がもうその森の中の道もあまり怖くはありませんでした。友達の家に一人で遊びに行くときにも、自ら通り抜けていたぐらいですから。

小さいときの「大きい」「暗い」「怖い」などの記憶は、大きくなるとなんだかちっぽけに思えることが沢山ありますね。大人になってから久しぶりに通ったその道は、びっくりするぐらい普通の、ちょっとした林を抜ける道に見えました。

自分自身の成長にはなかなか気が付かないものですが、これも成長の証だったのでしょうか。


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