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中東の石油現場でグルベンキアン 「ミスター5%」の名残を感じる

石油開発会社に入り世界の石油開発の歴史を少しかじると、1800年代後半からの世界の石油開発の歴史の中で、有名な巨大石油資本誕生の話を知ることができます。

米国ロックフェラーのスタンダードグループと、ロシア・東南アジアに基盤をおくロイヤル・ダッチ/シェルグループの台頭。

ペルシア (現イラン) で油田を発見し、これを母体として、後のブリティッシュ・ペトロリアム (現在のBP) の原形となるアングロ・ペルシアン石油会社の設立。

米国での新しい油田の発見にともない1900年代初頭に設立されたテキサス燃料会社 (後のテキサコ)とガルフ石油会社。

米国におけるシャーマン反トラスト法の適用により、持株会社としてスタンダード石油グループを統轄していたニュージャージー・スタンダード石油会社 (後のエクソン、現在のエクソンモービル) が解体され、独立した石油会社として、カリフォルニア・スタンダード石油会社 (後のシェブロン) やニューヨーク・スタンダード石油会社 (後のモービル、現在のエクソンモービル) の発展。

スタンダード石油3社 (ニュージャージー/カリフォルニア/ニューヨーク) に、シェル、アングロ・ペルシアン、テキサス、ガルフを加えた国際石油資本は一般に7大メジャーズと呼ばれていました。

石油開発に興味がなくても、どこかで耳にしたことのある会社名があるかもしれません。

世界の石油開発の歴史を紐解くと、さまざまなサクセスストーリーのような話を目にしますが、カルースト・サルキス・グルベンキアンの話も非常に有名です。「ミスター5%」と呼ばれる逸話を持つ人です。

トルコで石油商人の息子として生まれたカルースト・グルベンキアンはロンドンのキングス・カレッジ・ロンドンで石油工学を学び、1902年にはイギリスの市民権を取得。1907年のロイヤル・ダッチ/シェルグループの合併に尽力し、同社の5%の株式を取得しました。

彼はこの5%の権益をその後の石油利権の変遷の中でも維持し続け、1928年にアングロ・ペルシアン、ロイヤル・ダッチ・シェル、フランス石油、スタンダード・オイルが中近東における石油権益について規定した赤線協定を結んだときに、自身の5%の権益を認めさせたのです。

そしてこの権益をもとにグルベンキアンは石油の売買により莫大な財産を手にすることとなったのです。

世界の名だたる石油会社が台頭する中で、5%の個人権益を認めさせることがいかにすごいことか。

私が海外赴任して働いていた中東のある石油会社の関連会社の株主には、エクソンモービル 、ロイヤル・ダッチ・シェル 、トタール 、BPという名だたる国際石油資本が株主として名を連ねていましたが、その中にあってポルトガルのパルテックスというあまり名の知られていない石油会社がわずかながらにシェアを持っていました。

その経緯について聞くと、なんと、カルースト・グルベンキアンの5%の権益の名残だということでした。グルベンキアンはながらくパリに拠点を置いていましたが、第二次世界大戦を避けて1942年にポルトガルに渡り、1955年にリスボンで没したそうです。彼の没後、息子のヌバール・グルベンキアン (1896年-1972年) が彼の石油事業を受け継いだそうです。

その後パルテックスは2014年の石油会社の権益更新時に、その中東の国の石油権益からは完全撤退したようです。

グルベンキアンは世界の石油開発の歴史の中では非常に有名な名前でしたし、私のとっては遠い昔の話だと思っていましたから、この経緯を聞いたとき、身近にグルベンキアンの名残を感じて、とても感慨深かったことを思い出します。

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