強弁の裏の危うさ
政府や自治体の首長など行政の中枢を担う人たちや国会議員などの答弁や記者会見をみていると、危うさを感じてしまうことがあります。
論理的な説明も出来ず強弁やあいまいな発言を繰り返す政治家を見るにつけ、私たちは自分たちが投票した (あるいは投票しなかった) 選挙の結果としてこのような人たちを選ぶことになってしまってよかったのだろうか、この人たちに政治をまかせてしまってよかったのだろうかと不安になります。
国民に論理的に説明できる政治的信念や、行動理念、倫理観などが希薄なのではないかと疑いたくなることもあります。
このような政治家に共通しているのは、以下のような点ではないかと思っています。
自分の理念や政策に自信が無く、理路整然と説明ができない。
自分の意見に固執してしまう頑迷さ。
自分の行動を振り返り反省することができない。
相手の意見が論理的だとしても自分への反対意見を受け入れられない偏狭さ。
それでも、誰かにおだてられ、利害を共にする関係者の前や、論理的に政治理念を説明することもないまま取り込むことに成功した一部の雰囲気だけで支持してくれる人たちの前では、大きなことを言いたがる傾向があるようです。
お金にまみれた政治家を見ていると、本当に頭の良い、国民本位で論理的に考えることが出来る政治家が生まれてくることを、本気で避けたがっている企業や団体があるのではないかと勘繰ってしまいます。
結局、それでも選挙で誰を選ぶかは私たちの手に委ねられているということを忘れたくはありません。誰かに投票するも、誰にも投票しないも、その結果として当選した国会議員や首長の行動や発言を私たち自身が注視し、その質に責任をもたなければいけないのだと感じます。