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入社したころのオフィス

私が入社したころはまだオフィスのPCが今ほど普及していませんでした。各自の机にはまだPCが置かれてはいなくて、コンピュータールームと呼ばれる部屋に数台のPCが置かれていました。

通常の社内技術報告書は手書きで、やっとワープロによる清書が普及し始めました。

もちろん e-mail なども無くて、日本と南国のやり取りは、国際電話、FAX、テレックスなどで行われていました。毎朝、南国から送られてくるテレックスやファックスを、テレックス係と呼ばれる担当者が、整理・仕分けして、配布先の指示書を付けて、部署ごとに回覧していました。文字数の節約のために、南国から送られてくる掘削状況などを知らせるテレックスは略号が多く、暗号文のようでした。

2次元地震探査の解釈も紙のセクション上で行われ、油層構造図も、層厚マップ、孔隙率マップ、水飽和率マップもすべて紙の上に手作業でコンターマップとして描かれ、埋蔵量の計算もそのコンターマップから手作業で計算していました。

製図道具、文字や数字をきれいに書くためのテンプレートなどは必需品で、コンターを引くために2点間をいくつかに等分するための等分割ディバイダー、閉じたコンターラインをなぞることによってコンターの内側の面積を測定することができる機械式プラニメーターなど、今ではオフィスでほとんど見ることのなくなった道具が普通に使われていました。

PCのデータは8インチまたは5インチのフロッピーディスクに保存し、また、OSを立ち上げるのにもフロッピーディスクからでした。

人事などから来る辞令などの書類は、最初のころは漢字の打てる和文タイプライターで印字されたものでした。

油層シミュレーションも本格的に始まったばっかりで、Reservoir Engineer は時間課金の大型コンピューターを社外に借りて、フロッピーディスクにデータを入れて、油層シミュレーションを行っていました。

きれいに出力できるプリンターもまだなく、機械が数色のペンを持ち替えながら図面を描くXYプロッターが活躍していました。

各自の机にPCが置かれ、コンピュータールームにはワークステーションとハードディスクが導入され、きれいなプリンターでレポートを作成し、e-mailで海外とのやり取りが自由にできるようになったのは、入社後10年くらいたってからです。

オフィス環境が進歩し、コンピューターのハードやソフトが発達すると、できることも増えますが、期待され、要請されることも増えてきます。苦労は変わりませんね。

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