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伝説のアマンリゾートを作り上げたエイドリアンゼッカの生涯〜前編〜

世界で最も高級なリゾートホテルであるアマンリゾート。一泊10万から30万ほどのラグジュアリーホテル。このホテルを創業したのがエイドリアンゼッカという人物です。

それではエイドリアンゼッカの生涯を紹介していきたいと思います。
エイドリアンゼッカはインドネシアで生まれました。23歳のゼッカはニューヨークのtimes誌で働くことになります。その後、彼は初めてのホテルビジネスを経験することに。

彼の友人がマリオネットホテルチェーンブローカーの土地取引を手伝ってほしいと頼んできたのです。
そしてその手伝いをしてホテルのノウハウを得た彼は1972年、アジア初の高級リゾートホテルの一つであるRegent International Hotelsを設立します。

12のホテルを建設した後、30%の株を売却してこのホテルチェーンを去ります。その後は不動産投資ファンドを設立しますが、その会社も最終的に売却することになります。
そうやってゼッカは資金を蓄えていきます。
ある日、彼がプーケットで別荘を建てる場所を探すため、ビーチ沿いを歩いていました。そこでココナッツ農園を見た彼は、その場所を大変気に入り、友人と協力して小さなブティックホテルアイデアを思いつきます。

今までのホテル経営、不動産経験の点と点がつながった瞬間でした。それくらい彼はホテルが好きだったってことだったんでしょうね。
銀行の融資なしという厳しい状況の中、自分たちでお金を出し合って、1988年、400万ドルの資金を投じて40部屋のホテル、アマンプリをタイのプーケットにオープンします。

このホテルがアマンリゾート第一号。彼のアマンリゾート物語がスタートしました。

テレビなどの設備はあえて除くことで土地の魅力を最大限に活かしたこのホテルは、一泊10万以上という超高額でありながら大成功。
勢いに乗ったゼッカは、バリにアマンダリをオープン。素晴らしい土地を見つけ出す才能にたけていたエイドリアンゼッカ。それから数々のアマンリゾートを創っては成功させていきます。


しかし、そんなエイドリアンゼッカにも暗雲がたちこめます。1996年アマンリゾートはフランスの銀行から巨額の資金を借りていましたが、その銀行が財政難に陥り、ローンの返済を要求。
そうしてアマンは全株式の20%をアメリカの不動産投資会社に譲渡することで助けてもらったわけ。
これが後々に悪い結果をもたらすことになるんだよね。
それから追い打ちをかけるように1997年インドネシア経済が崩壊。
同年にインドネシアにオープンしたアマンジオはこの影響をまともに受けてしまった。
それに、我慢できなくなった不動産投資会社。 
貸していたお金を利子つきで返済することを要求してきた。そんな大金急に用意できないよーってなったアマンは大部分の株を手放すことに。
アマンの実権を握った投資会社はやりたい放題。その会社が持っていたホテルの名前にアマンのブランド名をつけちゃったりなんかしたもんだから。
ゼッカさん大激怒。
なにしてくれとんねんってなったゼッカさんはアマンを去ることを決意します。

と、ここで今日のお話はおしまいです。
次回、後半をお楽しみに。
それではケンチクチャンネルのタカでした〜

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