2023/02/04 断捨離行

うまく収まっていたものを一度取り出して要る物を選り分ける作業は、
絶望して泣きたくなるくらい部屋が散らかる。
こんなのどうしろって言うの…
2時間に一回は泣きが入る。
最初の頃は写真に撮って友達だけがみているTwitterに進捗としてアップしていたけど、今に至ってはそんな余裕はなくなっている。
絵的にも、散らかった部屋はあまり変わり映えないし。

実家から引き上げてきた物は3分の2以上は結局捨てた気がする。
『上手く使ってあげられなかったなあ、ごめんね』
と謝りながら普段のゴミとは別の袋に入れて見送った。

人からは、「一緒の空間にいた時間があったんだから、それで良いと思う」というようなことを言ってもらえたけど、持ってきた箱の中のみで過ごさせてしまった物が多かったから、ますます申し訳なく思う気持ちがある。

自分のものは比較的バンバン捨てられるけど、遺品となるとそれはここにあるだけになるし、もうこれ以上は“あの人たちが使っていたもの”というモノは増えないから【捨てる】という判断を下すのがひどく鈍った。

その度に、これは【断捨離】なのだ、と思い、実際にあるモノよりそこにまつわる思い出をしっかりとイメージし、この先も使うことなく仕舞われたとして、何かあった時に自分以外の人になら雑に扱われるであろうものを、ちゃんと自分の手で見送ろう、それができるのは今なのだと、その『モノ自体』への執着を剥がしていった。

捨てるというか、見送る・送り出す。
これが荷物を持ち込んで4年、物を減らそうと動き出して2年弱、
その間に自分の中で作られていった自分の『断捨離』の仕方になってきた。

最初は快適に過ごしたくてじわじわと始めたのに、結局は引っ越しのための急かされる片付けにつながってしまった。
今回のことで片付けがあまりにも大変だったから、次の梱包の時があるならこんな思いはしたくないなという気持ちになった。
だけど自分が好きで集めたものなのになとも思うし、なんともいえない複雑な気持ちを抱えている。

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