小説『濃い女』#4


 

 いくらその言葉自体がウケるものでも、思い当たる節があるとあまり笑えない。「ハゲってマジおもろいよね!ギャハハ!」と言われても、聞いている側が薄毛に悩んでいたら笑えないのと同じ。久松の目はしっかり私の眼球の奥を掴んでいる。どうやらボケているわけでもない。一個のボケのためにここまで連れてくるほどギャンブラーなやつでもない。真剣に私に問うている。お前は本当に筆圧が強いのか?と。

『筆圧?んー。確かに強いかも。大体の人より、濃いな』
「それはいじめられてるからなの?内に秘めてるフラストレーションがそこから出ちゃってる的な」
『たぶんちゃうな。小学校からずっと濃かった。鉛筆の芯折りすぎて、お母さんによく怒られてたし』
「そうか」
『じゃあ、別れるしかないね』
 いやいやいやいやいやいやいや。ちょっと待てよ爽やかボーイ。理由それ?それとこれが因果?【筆圧が強い】っていう理由で私はいまフラれようとしてる、?これは、明らかに悲劇。笑ってる場合ではなさすぎて逆に笑ってしまいそうになる。こいつ、マジかよ。
『え、どういう意味』
「別れよう。筆圧が強い女子ってなんか嫌なんだよね。もうなんか鬼に金棒じゃない?」
『ずっと何を言うてんの。鬼に金棒?』
 気性の荒い関西人の私が筆圧すらも強かったらもう手に負えませんてか 。現状超強い吉田沙織が、悪魔の実の能力者になってしまった的なこと?「いじめられてる」という事実にひっついてくるややこしそうな諸々に関しては、私はひれ伏すしかない。それが理由で別れるって言うんなら少しばかりの暴言と共に、比較的にスッと受け入れらる。でもでもでもや。「筆圧が強い」ってことってすべてをかき消すほど悪いこと?現に彼はいまデモ参加者のように【筆圧強者断固反対!我不屈!】と書かれたプラカードを掲げている。そして別の女への政権交代を押し進めようとしている。デモ活動と違うところは、二人しかいないので、一人の持つ意見の力が絶大なところ。片方の意見でいとも簡単にこの国は潰れてしまう。ともあれここは民主主義の国。話し合おうや。
『え、でも、どうしても嫌やっていうなら、弱める努力とかはするで』
「そういうのは申し訳ないんだよね」
『万年筆とかにすれば、弱まるみたいなのをヤフー知恵袋で見たから、今度買うわ』
「それはいいよ。俺がちょっと無理ってだけだから。カリナがそれに合わせる必要ないじゃん?」
 バカにしてんのか。それ優しさやと思ってんのか。全然優しくないし、全然スマートでもない。万年筆買いに行こうゆうて手をひいて文房具屋で「ちょっと早いけど、誕生日プレゼント」って微笑みながら髪を撫でんかい。
『なんかダサいで、自分』
「ああ。そうかもね。でも嫌なものは嫌だっていうことの大切さはカリナから教えてもらったよ」

 してやったり、とどめを刺しました、という顔の久松を見て、三谷幸喜のドヤ顔が連想され、返す言葉もなく、仕方なく私はその申し出を受理した。少し離れた所に、二つ並んで置かれている自転車。いらつく。並ぶな、仲睦まじく、並ぶな。腰掛けていた河川敷の芝生からすぱんと立ち上がって、右足で久松の左肩口を思いっきり蹴っ飛ばす。河川敷の斜面をカッコ悪く転がっていく様子を見て「なめんなよ!」と叫ぶ。怒りと悲しさと虚しさで肩を震わせながら早歩きで自転車に向かう。私のマウンテンバイクの隣、青のシティサイクルのサドル部分に、右ローファーの踵を充てがって、ほんの一秒感触を確かめたのち、思いっきり蹴り飛ばす。ランニング中のおじさんが私をやばい人扱いする目で見てくる。見んな。きしょいねん。走んな。帰れ。みんな、消えてなくなれ。

 とにかく漕ぐ。漕いだとて何かが解決されるわけじゃない。そんなんわかりすぎてハゲるどころではなく、頭蓋骨が破砕してしまうほどによくわかってる。やけど今の私には漕ぐことぐらしいかできへん。回転式の遊具でカリカリと途方もない「前」に向かって走り続けるハムスターみたいに漕ぐ。何がなんでも早く家に帰りたい。ZARDの『負けないで』が一瞬スポティファイで再生される。私はぐんぐん漕ぎながらもうすっかり濃紺に染まった空中に向かって「いやちゃうねん!そういう感じでもないねん!」と叫ぶ。馬鹿にすんなよ。なんなん筆圧強いからフラれるって。ていうか、ダサいんは私の方やんけ。別れるに値する大きな欠点とは到底思われへんし他にある私のいい所と合わせたら、総合点では圧倒的高得点叩き出すはずやのに。でもあいつにとっては違った。筆圧が強いという私にとってはとるに足らないことが、私のまさにパーソナリティと相まって「鬼に金棒」状態を作り出してしまったらしい。わからん。整理してみても全然わからん。わかることはもう会いたくないってこと。会うたびにあいつから「あ、妖怪筆圧女だ」って思われるんや。やあ、でもいきなり結論へ急がんでいいやん。もっと話し合ったりしたらいいやん。なんで急ぐん。いや、なんで急いでんの私。なんでこんなに感傷的になってもうてんの。それこそダサいがな。

 玄関先でお母さんが心配そうに辺りを見回しているのが見える。おーい、遅くなってごめんと手を振ろうとしてハンドルから右手を離した二秒後バランスを崩して無様にこける。笑う。立ち上がる気力はもうない。息がかなり弾んでいる。自分の鼓動に耳を澄ます。仰向けになって空を見る。濃紺に白い点がいっぱい。冷えたアスファルトとお尻の間にあたたかいものを感じる。涼しい風がそのにおいを私の鼻腔へ運ぶ。疑惑は確信に変わる。盛大に大便を漏らしている。私は今、彼氏に筆圧が強いという理由でフラれ、矢野顕子の『ラーメン食べたい』を聴きながら、大便を漏らした。ふざけんな。



(おわり)

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