メモリースポーツ人生でやり直したいこと
2016年3月にメモリースポーツを始めてはや9年目。
国内の現役メモリーアスリートの中では指折り数えられるほどの古参になってしまいました。
僕は思い出の類の記憶力があんまり良くないので昔のことは全然覚えていないのですが、今振り返ってみれば「あの時こうしておけばもっと良かったんじゃないか」と思うことがいくつかあります。
今回はそんな「メモリースポーツ人生でやり直したいこと」を羅列していこうと思います。最近始めた人は何か参考になれば嬉しいです。
※全然ネガティブな記事では無いのでお気軽にお読みください。
●もっと海外の大会に出る
一番はこれですねぇ。
僕は2016-2020年が大学生でして、1年生の時からメモリースポーツを知ることができて本当に良かったなと思っていますが、コロナ禍になるなんてもちろん予測できず、もっと海外の大会に出ておけばよかったなと思います。
こんなに大会に出づらくなるとは思わなかった。
また社会人になると長期休みも取りづらいので、海外遠征は厳しいです。
アジアならまだしも、大会が多く開催されているヨーロッパにはなかなか行けないですね。試合で2日間、前後含めても最低4日は必要ですし、時差調整しないといけないので5日は少なくともほしいです。厳しい。
十種競技の大会は体力と時間があるうちにいっぱい出るといいと思います。
とは言え遠征費もかさむので、大学生にはそっちの問題が大きいですね。
●スポンサーを見つけて遠征費を稼ぐ
と言うことで次はこちら。
金銭的に海外の大会に何度も行き続けるのは難しいです。
大会の賞金も相当上位になっても交通費分ももらえるかどうかですし。
なので、スポンサーや奨学金に応募して遠征費を稼ぐというのはやれば良かったなと思います。
スポンサー探しの努力はできていなかったなと反省しています。
学生の活動を応援してくれる財団や返済無しの奨学金、コンペも探したら結構あるので大学生のうちに実施して海外の大会に出たら良かったなぁと。
孫正義育英財団に申し込まなかったのはかなり後悔しています。
僕は常々「メモリースポーツの経済圏を作りたい」と言っていますが、メモリースポーツ関連でマネタイズでき、そのお金で大会に出たり活動を続けたりできたら幸せだなと思います
●もっとメディアに露出する
スポンサー探しと近いですが、メディアへの営業も足りなかったな、もっとできたなと思っています。
大学生かつ日本チャンピオンの肩書きをもう少しうまく使えば、一気に競技人口を増やせたかもしれません。
99人の壁など色々チャレンジはしましたが、今思えば色んな番組に営業をかけたり、自分でポッドキャストをやったりなどはできたなーと振り返ります。
出版甲子園というイベントに出場して、そのまま大学生の時に幸運にも一冊目の本を出版できたことは、自分の中でも「やっておいて良かったな」と思える経験の一つです。
●PAOの後3桁ワンイメージや2カードシステムに移行する
競技の話だと一番はこれですかね。
当時は2桁ワンイメージは弱く、PAOが上位互換とされていたので、迷うことなくPAOに移行しました。その後PAOOシステムというオリジナルのシステムを開発し、身に着けたわけですが、これは後悔しています。
当時気付くことはほぼ不可能でしたが、2桁ワンイメージとPAOの効力は同じだと思っています。しかもそれをより1か所あたりのイメージが重いシステムに改変してしまったので、今苦しんでいます。
そのまま2桁ワンイメージで続けるか、PAOの後に時間があったなら3桁ワンイメージを作り切って定着すれば良かったです。
もちろん今から変えることもできるのですが、必要な場所の量や慣れ切ってしまったというコストがあり、腰が重くなってしまいました。うーんどうしようかな。
今から始める人は、安易にPAO系には行かない方が良いよとアドバイスします。どちらもメリットデメリットありますが、多くの人にとっては2桁ワンイメージの方が良さそうかなと思います。
●社会人になっても細々とは続ける
僕は大学卒業後に若干の燃え尽き&憧れの職業に就けたこともあり、一切競技に触れない期間が半年~1年程度ありました。
その後復帰しましたが、4年かけてもいまだに全盛期には戻っていません。
毎日ではなくとも、場所を辿ったり、変換だけでも続けていれば、現状維持に近い形にはなって取り戻すのも楽だったかなぁと思っています。
また、過去の自分のレベルが高かったからこそ、「自分にはこれができる能力があるはずなのに、なぜか到達しない」というもどかしさに苛まれることになります。ぐう。
それが自信にもなる場合もあるので良いのですが、過去の自分が通せん坊している感覚はちょっと辛いですね。
●SCC以外の大会を開く
この動画でも話していますが、僕はSCCの発起人の一人です。
当時十種競技しか無かった時代に、ハードルが高すぎて参入障壁になっていると思った僕は、色々考えてトランプ記憶だけの大会「SCC」を作りました。
おかげで競技人口は増えましたが、それでもやっぱりまだハードルは高いのかなと思います。観戦していて盛り上がるものではないですし。
なのでトランプに限らずもっと色んな種目を入れるか、見応えのある形式にするか、もっと短時間で終わる大会にしておいても良かったのではと思っています。
まぁこれは今からでもできることは結構あるし、メモリーリーグの普及も広まっていったので、模索して今後やります。
SCCも面白い形式だし、日本選手のトランプ力底上げには繋がったので、後悔ではなく「もっと色々できるんじゃないか」に近いですね。
はい、とまあ色々書きましたが、総じて思うのは「メモリースポーツを早い段階でやっていて良かった」に尽きますね。
そして後悔のほとんどは今からやったって遅くはないものなので、これからさらに飛躍していこうと思います。今頑張らないと将来後悔する。
お読みいただきありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?