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闇落ちからまた帰ってきた

希死念慮

基本的に前向きだったわたしですが、誰も仲間が出来ないし、生きろっていう人より死ねば、っていう人の方がトータル多く、バランスが崩壊しかかってます。。

何をしようにもお金がいるし、場所も奪われ、つま先で立ってるような毎日です。1日のうち、何回か死ぬことを考えるようになっていました。

もちろんそんなことはダメというわたしもいるのですが、わたしをボコボコにしている人の方が社会で認められ、わたしがもしこのことをお医者さんに伝えてしまったら入院させられる。あいつはハッピー、笑いが止まらんやろ。目の前から一時的にいなくなるんだ。サイコーじゃん。

腹立つしわたしの味方にならん奴に迷惑をかけたくて、そんなら電車がいちばんなのかとか、考えるようになってしまった。

入院は最悪だ。仕事ができない。せっかくここまで頑張ってきたのに。どうして、わたしの思う通りにならず、君の夢は叶うの、この世の中は。

君のために一秒でも人生使っちゃったことを後悔してる。やっちまったのはわたしだ。

とにかくあと3年は我慢しようと、その間に人生逆転してやろうと考えて、いろいろトライしていたが、そのたびに引っかかることがある。

自分の人生グラフを書くこと。自分を晒すこと。
女性起業プログラムはこの系統が必ずある。これを書こうとすると、現在の被害を書くか書かないか、で引っかかるのだ。

一度玉砕覚悟で聞いたことがありました。すごく真剣に答えてくれて、ありがたかった。女子なのに、惚れました。
簡単にいうと、出来れば協力してもらった方がいい。けど無理なら、無理しなくてもいい。そんな感じの回答でした。

でも「なんで晒さないの?」なんてことを言う方もいらっしゃる。
被害者なんて、人口の数割しかいないから、知らない人も多いのはわかってる。しかし、そんな些細なことでさえ、脳のしわに深くしみ込んでくる。

本当につらい。明らかに、前よりきつくなった。
これでも、うつではないのか?

解離性障害になってるというので、大丈夫というわたしと、無理もうダメなわたしが、どんどん離れてってしまってるんだろう。

アサーション

色々な方の、整える本、ごきげんになる本を読んでいて気がついた。わたしは感情を表現することが出来ていない。
コミュ力が強いが故の弊害だ。相手に迷惑になりそうな言葉を避ける。
わたしの中にその感情が起こっても、ひとことも口にしないことが出来てしまう。だから、ストレスがたまって病気になってしまったのだ。

感情は、昔ならイラストで、今なら人形や文章で表現してきた。しかし今は、言葉で表現できる場所が本当に限られている。
5年前くらいから人形を作っていますが、不思議なことに、いまは人形で感情を表現することが出来る。それを堂々と発表し、見て褒めてくださる方がいる。が、言葉ではいまもまだ出来ない。

1つくらいあればええやん、と思うのだが、SNSの時代、個の時代に文章で自分を表現出来ないのは致命的な欠点だ。だから文章力を鍛えようと思ったし、こうして稚拙ながら途中過程も書けるnoteにチャレンジしているのだ。

実はまだ苦手意識が強いのですが、通りすがりのいいねをくれる方に勇気をいただき、なんとか毎日書き続けて100回をこないだ超えた。

実際、書くだけでなく読むわけで、かなりの読書量になる。おかげで書く意識はそうとう変わったと思う。たまに読むkindleもほぼ一日で読了するようになった。本当にありがたい機会になった。

感情を文字にすることが、こんなに難しかったのか。まったく自覚がなかった。

わたしは実家で生活しているうちは、比較的感情をそのまま言えていた。現在も故郷へ帰れば、わたしの感情を受け取ってくれる環境があった。

関西に来て30年過ぎたが、こちらの家族、親戚たちがまったくわたしの感情表現をよしとしてくれなかった。仕事場や友達も、まるっと受け入れる人はほぼいなかった。30年、少しずつ感情表現を封印して、気づいたら表現することすら忘れてしまっていた。

わたしらしいを急に書けと言われたのがつい数週間前の話だ。
一文字も、打てなかった。

自分の気持ちを言葉にすることを「アサーション」と言うそうだ。
わたしはコミュ力はあったけど、アサーションが出来なかったのだ。

かなしい、くるしい、つらい、なんてずっと、誰にも言ってない。
それを言った人が、次々とわたしから離れていき、気づいたらわたしの周りには、私の声など聞きたくもない人しかいなかった。

その人たちは、わたしにその気持ちをぶつけてくる。わたしの気持ちを聞きもしないのに、わたしにしゃべるなと言うのだ。それは、基本的人権の侵害だ。

日本国憲法にもある。わたしのアサーションを否定することは憲法で禁じられているともいえる。
人権を守るのなら、わたしが自分の気持ちを話した上で、あなたとは今日は話したくないと言えばいいのだ。気持ちを言いたいのなら、相手の話も聞く義務があるのだ。

なるほど。人権を踏みにじっているから不快だったのか。そりゃそうだ。

この世に生を受けた人は、自分の気持ちを表明する権利がある。

お互いに尊重し意見を言い合う、という人権を保障された場の確保が出来ないこと自体、人権がないということだった。

わたしは、こっちで人として認められてなかった。。
そりゃ、いつか希死念慮も出てくるわ。

自分はADHDのせいだと言っているが、ADHDの人に人の話を全く聞かない人は少なく、むしろ聞きすぎて悩んでいる人の方が多いので、聞きたくない言い訳にしているだけなのでは、と考えている。わたし的には、チックのように感じている。それなら、人の話をふざけて言い返したりするのに納得がいく。

本来なら、児童のうちにきちんと病院で診断されるべき事案。身内に問題児が産まれたことを恥じていたのかもしれないが、判断しないと未来の嫁や子にも迷惑になるし、何より本人がしんどい。誠意がない家族というのは、こういう所からも感じられる。

パニック障害

実はパニック障害の患者さんに、アサーションが出来ない人が多いのだそうだ。わたしも出来てないので、見事に該当している。
つらいのにつらいと言えないから、発作として表現せざるを得なくなってしまった。アサーションが出来ないから、薬で治まるが病気は治らないのだ。

わたしが病院で会った患者さんも、問題を抱えている人が多かった。でも同じ患者なので、患者同士でならアサーションが出来た。時々患者さんが集まって症状を打ち明けあうセッションがあるが、アサーションの訓練になるのだろう。

本来なら今の人間関係で、アサーションが出来れば寛解に近づくのだろう。自分には当分出来そうもないが、感情を書きだす訓練はいろいろなシーンで役に立ちそうなので、やってみることにする。

きょうは、かなしい、つらい、おどろいた、うれしかった。
Twitterやインスタで、作品や投稿に反応があった。外国の方かな?たくさんいいねしてくれた。
わたしは、自分の人生に嘘はつきたくない。ひどいことも、いいこともある。表現しちゃいけない所なら、アカウントはいらない。今のところ、うちよりSNSの方が、みんないい人ばかりだよ。

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